それもあって、久しぶりに時の南ベトナム臨時革命政府外相としてパリでの和平交渉に 臨むアオザイ姿もあでやかなグエン・ティ・ビンさんの写真を目にしました。
脂ぎった肥満体の男たちと小柄できゃしゃなグエン・ティ・ビンさんというイメージで、判官びいきの日本人というのを差し引いても声援を送ったものです。そう思わせるだけでも外交上の駆け引きでは勝っていたといえるんでしょうね。“アリと巨像の戦争”とも言われたベトナム戦争。自主独立とか民族自決とかの言葉を初めて耳にしたのもこのころのことでした。
日本では昔から“言霊”と言ってとても大切にしてきた言葉と行動、行為の崇高さ。改めて安倍首相の数々の発言は軽いなぁ 中身がないなぁと感じます。
中身のない言葉はうんざりするほど聞かされているけれど東京オリンピック誘致の時の“アンダーコントロール”もその典型。実際はどうかに関係なく、すでにできているかのように口にする。口に出すと、すでにやったかのように出来ているかのように思えてしまうんでしょうね。いや逆か?!そうしか思えなくて簡単に口にしてしまうのでしょうか。願望が安倍首相の中では結果になっているんでしょうね。
やってくれ(やめてくれ)ということをほっておいて、自分のやりたいことだけをやっている。 みんなの意見・気持ちに耳を傾け聴くことなく、自分の立場での発言がどのようにとられるかどのような結果を呼び起こすかをなんら顧みず発言しています。
積極的平和主義だとか、この度の安保法制。“平和”という言葉を並べて言っているのがすごくおこがましい。戦争が起こらないように外交努力をすることなく、戦争(軍備)に備える。その前にやるべきことがあるでしょ!と思うけど着々とですよね。
福島第1原発事故後の原子力発電への対応でも問題を感じています。
問題の深刻さ重要性をいち早く察知して、決して革新でも環境派でもないメルケル首相は全原発の廃止という大転換を選択しました。 これが国・未来に責任を持つ人・対応だと思いました。決断のできる人だと思いました。
ビキニ水爆実験の後の平和・放射能の危険のない生活を希求する人々に対して、“原子力の平和利用” という言葉を弄した至極政治的な対応。いまだに経済的に(その計算のしかた自体に問題有り)原発は必要だと言ってはばからない事故当事国の選択は、本当にその国のため国民のために国のかじ取りをする人・責任者かという、政治家として人としての違いを感じました
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