午前に新潟を発ち独立記念館を見て今ユガンスン生家に到着しました。独立記念館は韓国の人たちにとってはとても大切な所だから間違えようもないところだけれどユガンスン生家は観光コースからは完全に外れたところのようです。運転手さんが道を勘違いして、生家によってから柳寛順烈士記念祠堂に行く予定が逆になってしまったほどです。ガイドの李さんいわく「普通の観光客コースではここには来ない。私ももっと早くわかっていれば事前に一度来て下調べをしておいたのですが…」との由。
先ほどの柳寛順烈士記念祠堂は独立記念館の印象が抜け切れないままに過ぎてやってきたユガンスン生家は、秋口の夕暮れの時間になってしまったせいなのかもしれませんが駐車場に車はなく人気がありません。隣接する教会そして集落にも人気がありません。このソウルの大学に進学するきっかけとなった教会。建物自体は当時のものではないと思いますが、ユガンスンの家とこの近さで建っているということを実感しただけでも現地に来たかいがあったというものですが。
生家は、きれいに整備されているとはいってもこじんまりとした建物。広大な敷地に建てられた独立記念館との差異に正直な所ちょっとほっとして家の作り日常の生活用品などを韓国の生活文化として眺めることができました。
そんな風にしていて改めて感じたのが“こんな地方のそのまた小さな集落、教育者とは言え特別な政治活動家でもなかった父親母親という環境から韓国のジャンヌダルクとも評され教科書にも乗るほどの人が生まれたの?” でも考えてみればこれは至極当然のことだとも思いました。どこに生まれどのように育ったから後世に残るすごいことをするという決まりごとはない。その人の出自に関係なく事を成す人は生まれえると。物事はそんなに簡単ではありませんから、もちろんどんな人でも同じことができるとまでは言いません、ユガンスンだったからというのも紛れもないことでしょうけれど、時代が彼女を押し出したということもあるのかなぁと思いました。
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