2016年8月24日水曜日

O2 14-11-9 ヒンプン



明治になってから“共通語としての日本語”が造り出されたとはいう物の、いまだ聞き取れない方言はたくさん残っていてそれは土地に結び付く文化・風習も同様。
ただし、世界が文明的に小さくなっていく勢いの前に、再評価されその重要性も認められてきているとはいえ消滅の危機にあるけれど。 


西洋のチャンスの神様は前髪しかなくて出会ったときに正面でさっとつかまなければ取り逃してしまうということを聴いたことがあります、そして沖縄の人々が避けたがる悪鬼はまっすぐにしか進めない、どちらも怖いだけじゃなくて少し微笑ましい。 

さて “ヒンプン” (沖縄の伝統民家で敷地に入るための入り口正面に設けられているもの)生活に悪鬼の侵入を防ぐためにとはいえ狭くなるし不便なような気もするけれど。これが文化という事・物かもしれません。この わざと突き当りを設ける わざと曲がりを設けるというのは個々の家のつくりだけではなく、道そして集落のつくりにも反映しているそうで、大陸文化の影響か整然と碁盤上につくられた町と、突き当りや曲がった道をわざと取り入れた道・町づくりの両方があるそうです。政治的に作り出され管理統制された町と自然発生的に生まれ増殖してきた生活の場所・生活道路という事なのか興味深い話です。 

 ヒンプンの前に立ったらお客様は向かって右へ家族は左手へ回って敷地に入るのだそうです。  
この風習を聴いたとき、韓国で石造りの参道の真ん中は神様の通り道だから踏まないように、そして右手は王様の通る道 左手は家臣の通る道と、韓国文化の一端を解説してもらったことを思い出しました。 神様と悪鬼だから同じと言ってはいけないのかもしれませんが、どちらも人知の及ばないものという事でつながるものがあるのかなと思いました。

2016年8月16日火曜日

自分の匂い


   まだまだ暑い夏。仕事の中身が前と違うからかこれまでに増して暑い夏汗をだらだらとかいています。

 職場には男性も複数いるんだけれど、シフト性だから日常的には女性のほうが常に多い職場。普通だと夫も若い既婚女性はこの手の臭いに敏感らしく、ついに“加齢臭”を指摘されてしまいました。
 

私自分の汗の匂い嫌いじゃありません。鼻を近づけて嗅いでもいやな感じしません。 

まだ山の装備も今とはずいぶん違っていた昔のこと。シャツの下に着るものも最近の速乾消臭素材なんてものはまだ全くなく肌とシャツの間に空気層を作るということの網シャツでした。汗をかいた後冷えるから綿の下着は着るなウールがいい、ズボンはニッカボッカという時代でした。そのころ南アルプスの高原地帯を歩いたことがあります。その休憩の時シャツを脱いだらスーと風が通り汗が乾く感覚がありました。その時の汗の匂いから自分の匂いが好きになりました。 

研究では、男女がひかれあう・大勢の中から相手を見出すのに匂いが大きく影響しているとのことです。そう考えると、自分の匂いが好きな私は私を好いているといえるのかもしれません。
 

彼女は私の匂いをどう思うだろうか 彼女の匂いはどうだったっけ 

2016年8月15日月曜日

私の気持ち  日が短く暗くなっていくとき なぜか「ガープの世界」を思い起こしてしまいました


 
   夏至を過ぎお盆を迎えるこのころまで来ると同じ勤務体制で同じころに帰ってきているはずなのに陰り具合が随分違い「日が短くなってきたなぁ」と感じるようになってきました。
その だんだん暗くなってきているという変化だからか、車をいつもの場所に止めるべくバックで入ったとき久しぶりに映画「ガープの世界」のことが頭に浮かびました。
だんだん日が長く明るくなっていくときよりも、短く暗くなっていくときのほうが感覚的にいろいろなことを思うものなのかもしれませんね。 

 この映画、私にとってはいくつもの印象的な逸話によって印象に残っています。
主人公ガープが生を受けるところからして普通には考えられないような展開だけれど、交友や夫婦・家族のことも結構強烈です。
その中の一つ
ある夜ガープが小さい息子二人を乗せた車で帰ってきた。いつものように星の瞬く夜空に滑り込むようにライトを消し自宅駐車場に突っ込んだ。ところがその日はそこに妻と男性が乗る別の車が止まっていて…    結果ガープ自身も大けが子どもも一人が死んでしまう。相手の男性はペニスを切断(噛み切られ)、妻もそれがもとで神経を病んでしまう。[ここでのエピソード  レモンイエローのモーガンに乗っている性転換をしている友人がこんなことを言う「私の時は麻酔をしたけど、麻酔もなしに痛かったでしょう」と。]

 

昔々の話。 仕事を終え夜帰ってきて車を止めるとき、点いているはずもない家の明かりがどうか車が止まっていないかと何度思った(願った)ことでしょうか。
思うと その時は そこに ぶつかる車がいてほしいと思っていたのだと思います。

2016年8月14日日曜日

O214-11-8  那覇市・沖縄各地を移動するときの交通手段 3/3  ゆいレール(跨座型モノレール) タクシー レンタカー


モノレール
2003年に開業したゆいレールは走っているところが限られているので、沖縄県全体の名所・旧跡巡りに使うというところまではいきません。 けれどわかりやすく、モノレール自体が眺望もきき那覇の市民の日常の足としての他に観光客にも利用しやすく都合のいい路線だと思います。
那覇市内を特に駅をポイントに、駅からタクシーに乗り換えてタクシー代節約等いろいろ使えそうです。 
 
タクシー
タクシーは2回乗りました。運賃は私の地元に比べると安い感じがしました。何より日本語が通じるし観光客に親切。時間も稼げるし、思い切って乗るのもいいかも。 
運賃が安い印象だったのは、初乗り運賃も確かに少し安かったけど、もしかしたらヨーロッパの旧市街と同様那覇市の中心部の名所旧跡は狭い範囲に収まっているのかもしれません。ですからこれが郊外、今回みたいに北部の東村に行ったり南部の平和の礎だったり斎場御嶽までお願いしますということになるとそれなりに ということなのかもしれませんが。

 

沖縄においては、バスが主要な交通機関・移動手段になっていてそれだけで県内各地を回ることも可能とのことです。今思う一番は、那覇市内ならゆいレールの駅をベースキャンプにしてそこから歩きとタクシーを上手に組み合わせる。タクシーは沖縄の雰囲気自体を感じるというのでは歩きやバス ゆいレールに負けるのかもしれないけれど、時間を上手に使うには思い切って組み合わせるのがこつかな。郊外はバスが主になるのかもしれませんが、ここでも時間や体の負担のことを考えると上手に組み合わせる 使い分けるということになるでしょうか。

結局県内各地の観光地を一通り網羅的に回るなら定期観光バス。狙ってなら路線バス。お金はかかってもいいから時間的にも効率よくということならタクシー・観光タクシー。那覇市内を音や匂いまでじっくりなら歩き、ピンポイントで効率よく回るに一番はタクシー、高いところからの景色を眺めながら市内名所・繁華街を順に回る感じならゆいレール、そして組み合わせということになるでしょうか。
   慣れてきたら自分でレンタカーを運転してもありでしょう。
 

*レンタカー
 車で結構遠方まで行っている私ですが、レンタカーには今までのところ乗る機会がありません。でも、どうしても目につく“Y”ナンバーに交じって“わ”ナンバーも結構目にしました。その全部が観光客のものではないと思いますが利用している人も多いのでしょうか。荷物 時間が楽なのは間違いありませんし、道はナビがあるしパンフにもよく載っていますし。
 標識は日本語表記だし言葉が通じる、交通ルールも同じなので諸外国で借りるより利用しやすいのは確かです。私も将来使うことがあるかもしれません。
ただ細い道もそうですけれど、意外と例えば郊外の片側何車線もある道などでも混雑具合を見ると気をつけて運転しなければという感じがします。 乗せてもらいながら歩きながらあちこち見てというわけにはいかないような気がします。ピンポイントで目的地に行くということで割り切ったほうが安全そうです、せっかくの旅先でということもありますから。

2016年8月12日金曜日

O214-11-7  那覇市・沖縄各地を移動するときの交通手段 2/3  乗合自動車=バス


前回も今回も企画ものでしたので移動は専用のバス。目的地へ移動は、時間・荷物・天候を問はず快適に回ることができました。 それから考えると、一番が専用車両なのは間違いなし。でも個人だとそういうわけにもいきません。 

そう考えてくると、初めて個人あるいは少人数のグループで行ったときに一番簡単で間違いないのは定期観光バスということになります。
ですが、定期観光バスでは回るところが最大公約数で大勢が行ってみたいと思う観光名所・旧跡になるでしょうし、決まった時間で何か所も回らなければいけませんので一か所ごとでの時間も限られてくるからもっとゆっくりしたいと思ってもそうはいけません。団体行動での制約がどうしても出てきますね。
そもそも沖縄は旅行代理店のツアーがたくさんあるので、その中から選んで沖縄に行くという人が多いのかもしれませんが。
 

路線バスは、小型車両使用での循環路線を走るゆいバスに、那覇バスターミナルから首里城まで乗りました。
那覇バスターミナルはたくさんのバス路線がここから発着そして経由していました。規模も大きくて、私が乗りたいゆいバスの乗り場が見つけられないほど、結局事務室で教えてもらいました。
事務室で乗車券を買う段になって進められたのは、那覇市内一日乗り放題のチケット。ただその時は、もう昼だし夕方の集会の時間まであちこち目いっぱい回って会場にはタクシーと思っていたので一回乗車券にしました。 でも一日那覇市内をいろいろ回るには確かに得になる料金設定でしたよ。
 

那覇空港から首里城まで那覇市内中心部を走るモノレール一路線以外鉄道といわれるもののない沖縄においては、バスが主要な交通機関・移動手段です。今回私は路線バスとしては那覇市内のゆいバスしか載っていませんが、説明(宣伝?)ではバス路線は充実していてそれだけで県内各地を回れるとのことです。

ですが、実質どうなのでしょう。もう沖縄には何回も来ていて日程はある、その中であそこだけここだけというような人でないと限られた日程の中で効率よく回るには適さないような気がします。
観光客にはバス停留所も最初から調べなくてはなりませんし、何よりバス時刻に制約されてしまいます。荷物も多いと大変ですしね。じゃぁタクシーでと考えると時間の問題 荷物の問題は解決するけれど料金がバスよりずいぶんかかることになるし、なかなかうまくいきませんね。
でも、今まで行った中で時間をかけてでもまた回りたいところだけという人には選択肢になるんじゃないでしょうか。次はバスに挑戦してみようかな。

2016年8月11日木曜日

O214-11-8  那覇市・沖縄各地を移動するときの交通手段 1/3 道路


前回は全工程終日専用のバス利用の団体行動でしたが、今回は自由行動の日がありましたし飛行機の関係で後泊することになりその際にバス・タクシー・モノレールと一通り乗ってみました。
その印象と考えたことを少し 
 

道路 道路事情
道は、広く何車線もあってまっすぐに整備されているものから、逆に細くくねくねという道が混在していました。昔からの集落の生活道路のようなところでは、悪いもの・魔物はまっすぐ進むからとわざわざ突き当りを作って入ってこれなくしている道さえありました、そのおかげで車は急角度で曲がらなければなりません。

もともとの農村部や旧市街、繁華街が途切れることなく続くような市や町をつなぐ国道等の道は簡単に拡幅できるわけではありませんから通りにくかったり渋滞するような道でした。それらとは別に、返還された基地跡が再開発され新都心と呼ばれている おもろまち のようなところ 郊外に新たに通された道は車線数も多く整備されている印象でした。 

 整備された道 考えすぎかもしれませんが、古くからの街並みがそのまま残っているようなところで住んでいる人をどかして道幅を拡幅する 新たな道を作るというようなことはとても難しいこと。けれどそれに対して戦禍や大火で破壊されたり焼けてしまって何もなくなったところを新たに開発というところは、一から現代の自動車社会に合わせた交通網にすることがその点では可能なわけで、そう考えてくると沖縄の場合は先の大戦でそれだけ破壊されたからということでしょうか。

2016年8月9日火曜日

夏祭りに合わせて紹介された浴衣(着物)で土地に結び付いた固有の文化を改めて考えた


私の住む地は今が一番暑い時期。といってもお盆を過ぎれば朝晩はずいぶん過ごしやすくなるというのが毎年のことですが。そしてこの時期、新潟を含め全国いたるところで夏祭りの真最中。新潟の人はほんとに花火が好きだなぁと思うけど夜になるとどこかで花火が上がっています。

 そんな時期ということもあってか、先日ある番組で“浴衣”が取り上げられていました。そこで紹介されていた浴衣の一枚一枚、浴衣姿の女性のなんと美しいことか。
 西欧風のファッション感覚では体の線を強調するデザイン、ふわりとカバーするようなデザインもあるのでしょうけれど 着物には寸胴体形が一番ピッタリ。
この番組の時の素敵な浴衣姿の女性は今どきの若い女性だから、その体形上あえて肩先から腰 裾までがストンとなるように補正して凹凸のない寸胴体形にしているのでしょうけれど。 日本の着物、特に女性の着物は肩先から腰 裾まで凹凸のないすとんとした寸胴体形がしっくりきます。そして、それに規定される美しい所作。
 この場合はどちらのデザインがよりとかいうことではなく、なにを美しいと感じるかという感覚 美意識、この土地に結び付いた固有の文化ということなんでしょうね。

2016年8月8日月曜日

再録 微笑ましく心和む心情風景と幼子の思わぬ指摘



 (わかりやすくするために一部削除加筆しました)

 

5歳の息子。
旅行で那覇空港に降り立った時、軍用機がたくさん止まっているのを見て一言。
「こんな爆弾の飛行機がいっぱいの飛行場に降りるつもりじゃなかった。」

 

4人の子を持つ娘から聞いた話。
「小6の長男が 脱法ハーブ を 脱肛ハーブ と言い間違えてた」と。
そういうあなたも ワンマンバス を ワンワンバス と言って、20歳ころまで気づかなかった。

 

ママと5歳の孫の会話。
保育園の帰りにママが
「今日は疲れたから夕食、外で食べようかな。でもパパにすぐばれちゃうよね」と。
それを聞いて孫は
「大丈夫。お茶碗をいつもの水切りの上に並べておけばいいよ」と。
どこでおぼえたのでしょう。 孫は大好きなママの味方になり、
ママに少し楽になることを教えてくれたようです。

 

 

曇りのない目で見えたことを素直に口にする
幼子にはそんな風に聞こえているのか・見えているのか と思ってしまう
そして自分で自分を制限することなく口にした言葉 それがまた思わず笑噴出してしまう言葉 そうだったよなぁと思い出させられてしまう言葉 

愛情が、聞き漏らしてしまうかもしれない小さな声を聞き取らせているのでしょう
この 関係も素晴らしい いい家族なんだろうなぁ

2016年8月7日日曜日

住民投票の日・8月4日 歴史に学ぶ 2/2・おまけ


ところで、こんな指摘もあるんです。そうだなぁと感心・納得しながらもびっくりしました。

日本経済新聞 20011221日のマーケット総合面の歴史と教訓という題の大磯小磯という囲み記事で、アメリカの歴史学者アーネスト・メイ「歴史の教訓」を紹介しています。要約しますと、未来を予測する際過去から類推する。そのさい過去のどの事実を参考にし判断材料に選ぶかは、自分(の考え 主張)にとって好ましい都合のいい事実を取り挙げ参考にするというのです。

 これは経済面に載った記事なので、経済 景気についてという前提がもしかしたらあるのかもしれませんが政治経済という言い方もあるのでどちらも作用しあっていること、日和見的に楽・都合のいい事柄だけを取り上げ参考にしないように律していかなければと思っています。

住民投票の日・8月4日 歴史に学ぶ 2/2


今年(20161月ワイツゼッカー元ドイツ大統領がなくなりました。「過去に学ばないものは再び同じ過ちを繰り返す」という言葉とともに世界の人がこの名前を知っていたのではないでしょうか。第2次世界大戦後のワイツゼッカー元大統領の真摯な行い・人間性と あいまって印象に深い言葉です。

 

今年の年度替わり3人そろって降板した報道番組の辛口キャスターの中の一人古舘伊知郎さんのニュースステーションでの特集「独ワイマール憲法の“教訓 なぜ独裁が生まれたのか」(2016年3月18日放送)が優れた番組に贈られるギャラクシー賞のテレビ部門大賞を受賞しました。

番組は直接にはナチスドイツ・ヒトラーのしてきたことをたどっているのですが、ヒトラーが利用した「国家緊急権」が安倍首相の「緊急事態条項」とかぶっているんです。

ワイマール憲法の中にあった“国家緊急権”を悪用してヒトラーが世界大戦を引き起こしたように、いま安倍首相・自民党が“緊急事態条項”を通し一内閣での解釈変更で憲法レベルの国の進路変更を勝手に強引に通してしまう。自民党は結党以来憲法改定を訴え続けてきた政党だとして平和憲法を変えようとしています。前段として報道への露骨な介入、民主主義・ルール無視。経済格差 地域格差 社会格差 紛争・テロの拡散。そしてワイマール憲法の時のように今の平和憲法への攻撃。過去を見返し時間軸上においてみると今まさに繰り返す歴史になっていて実に恐ろしい。 先日の参議院選挙の結果は、安倍首相が党首・総裁を務める自由民主党が衆議院に続いて3分の2の議席を占め、危険な企て・平和憲法の改悪が一段と現実味を帯びてしまいました。いまそういうところまで来ているのです。

2016年8月4日木曜日

住民投票の日・8月4日 歴史に学ぶ 1/2


今年も住民投票の日・84日がやってきました。いつものことだけど、当時のことあの暑さやそのあとのことをいろいろ考えてしまいます。
感覚的なものなんだと思うけれど、行きと帰りだと帰りがなぜか早く・短く感じ、84日ももう1年!?という感じがしています。

歴史は繰り返すという言葉があります。20年も30年も町を二分して幸せと発展を阻害してきた原発建設を受け入れるか中止するかの住民投票の行われたのは1996年ですから確かに最近のこととは言えないかもしれません。でもその後の動き、特に3.11・東日本大震災の後の世界と日本の原子力(核)発電をめぐる動きはずっとせめぎあい続けているということにほかなりません。

地震は天災、でもそのあとは人災。

いろいろな考え方の人がいるので物事私の願うように一直線に進まないことは承知の上。それにしても、3.11のあと共通認識になったと思った原発は危険なもの、そして世界中で行われた原子(核)力発電の見直し。それが特に日本においては喉元過ぎればという感じで(させて)、危ないものというものから新しい安全基準に合格したから 経済的に必要悪という動きと再稼働。まさに責任を取らない国・責任者の日本だから広島長崎を起こし ビキニ水爆の後での“平和利用”という言い替えでの原子力(核)発電の導入、 そして3.11東日本大震災による第1原発事故まで来てしまったわけです。世界の原発・核兵器廃絶に向けての動きの足かせにすらなっている日本。ということを考えると、主人公たる住民が自分の意思を表明をする・し続けるというのは現状ではまだまだ歴史にしてはならないことだと思います。