明治になってから“共通語としての日本語”が造り出されたとはいう物の、いまだ聞き取れない方言はたくさん残っていてそれは土地に結び付く文化・風習も同様。
ただし、世界が文明的に小さくなっていく勢いの前に、再評価されその重要性も認められてきているとはいえ消滅の危機にあるけれど。
西洋のチャンスの神様は前髪しかなくて出会ったときに正面でさっとつかまなければ取り逃してしまうということを聴いたことがあります、そして沖縄の人々が避けたがる悪鬼はまっすぐにしか進めない、どちらも怖いだけじゃなくて少し微笑ましい。
さて “ヒンプン” (沖縄の伝統民家で敷地に入るための入り口正面に設けられているもの)生活に悪鬼の侵入を防ぐためにとはいえ狭くなるし不便なような気もするけれど。これが文化という事・物かもしれません。この
わざと突き当りを設ける わざと曲がりを設けるというのは個々の家のつくりだけではなく、道そして集落のつくりにも反映しているそうで、大陸文化の影響か整然と碁盤上につくられた町と、突き当りや曲がった道をわざと取り入れた道・町づくりの両方があるそうです。政治的に作り出され管理統制された町と自然発生的に生まれ増殖してきた生活の場所・生活道路という事なのか興味深い話です。
ヒンプンの前に立ったらお客様は向かって右へ家族は左手へ回って敷地に入るのだそうです。
この風習を聴いたとき、韓国で石造りの参道の真ん中は神様の通り道だから踏まないように、そして右手は王様の通る道 左手は家臣の通る道と、韓国文化の一端を解説してもらったことを思い出しました。 神様と悪鬼だから同じと言ってはいけないのかもしれませんが、どちらも人知の及ばないものという事でつながるものがあるのかなと思いました。
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