2016年11月30日水曜日

日本の私たちももっと意思表示を


私もその一人なんだけど、日本の人はおとなしすぎ。最近だけでも平和・戦争に関すること教育 医療 年金 雇用 不公平な税制 食も農も通信も交通も・・・沖縄の辺野古も高江も原発も   この状況では 現在にも将来にも希望がありません。

なのに個人的に 「悪くなる → じゃどう準備しよう」 なんだから。もちろん力を合わせ反対の行動はあります。でも、悪影響を受ける人のほうが多い事柄がなぜその意向に反して行われてしまうのか、個人の意思表示と共同がもっともっとあっていいと思うのです。



お隣の国 韓国ソウル特別市。抗議に集まった人の数150万という数字は大きすぎてピンとこないほどです。

抗議する 人 人 人の写真を見ていて あ~と気づきました。その場に立った光化門につながるあの広い公園=光化門広場。全部で何車線だったのだろう世宗大通り。その片側車線分だけでもこちらの駅前の広い道より十分幅の広い道そして広い広場、そこがいっぱいなんです。広場の大きさ道路も併せての広さは覚えています、韓国の人たちの抗議の意思の広がり強さがだいぶわかりました。



 確かに今回の韓国、国の仕組みとしての問題 政治 経済 財閥いろんな問題があるのは確かだけど、日本だってどれだけ他人のことを言えるでしょうか 似たようなもの。  そのうえで大きく違うのが、みんなが自分の思い・考えを行動に表すということでしょうか。

意思表示、個人でも集団でももちろん何もしていないわけではありません。力関係も変わってきました。まさに剣が峰、せめぎあうところまで追いつめていると思います。

これまでかかわってきた人たちの輪を広げて、これまでかかわっていなかった人もやめさせたいこと いやなことにはいやと日本の私たちも抗議の意思をはっきり示すときです。

2016年11月24日木曜日

F1 15-10-23 道路事情・運転事情



都合3度フィリピンに行ってみたもののじかに見て回ったのは首都マニラとその近郊。 ですから、広いフィリピンの限られたところに限定というわけですが、道路は細い裏道も片側6車線もある幹線もとにかく車が多いひっきりなしに車が走っていました。どこから来たのかどこへ行くのかわからないけれど歩いている人も多く、新旧大小のバスも結構走っているけれどそれ以上にぎっしり人を乗せた様々なジープニーが走り回っています。

因みに人口密度は日本と大差ないようですがこの“混雑”は、近くで見ていると混乱・混沌も含めて国の勢いというものを感じさせるものでした。

この混雑は、メトロマニラとそこに密接している都市部に主要産業をはじめ多くが集中しているからかと思います。そしてそれに加えて、道路網が街の中心部をバイパスするような循環型の道になっていなくて太い幹線に一度すべての車が流れ込むようになっているのもすごい渋滞の原因だと思います。



この渋滞の中に身を置いていると、ここでは運転するなんて考えない方がいいなぁと思います。運転が好きな私にそう思わせるほど渋滞がすざましい。

細い道は途切れることなく車両 特にトライシクルが続き、幹線は隙間なく車が並び車線なんか有ってないようなもの。 3車線なら横に4台 4車線なら横に6台も車が並んで先を目指すという感じ。

車でぎっしりの道は少しのスペースでもあると向きを変えどんどん鼻先を入れていくから、何度身を固くし載せてもらっている私にはあるはずもないブレーキペダルを踏んだことでしょうか。渋滞の中グイ~ンと進路を変える「あぁ~ 」と思わず口に出るほどだったけれど、すごい渋滞の中お互いさまとでもいうのでしょうか結構譲っているというか、スピードが出せない状況の中だからか思いのほか進路変更ができていました。クラクションがあまり聞こえないのは意外かな。

この車線数以上に車が並ぶ以上にびっくりしたのは、自分の車線側が混んでいるからって対抗車線にはみ出して、つまり私の方に向かって走って来た時。もうなんでもありという感じ。 でも交通事故は見かけませんでした。

横浜いじめ事件と共通する鶴保沖縄担当相の意識


もとは沖縄県外・大阪から動員された機動隊員の沖縄東村高江のヘリパット建設に対する示威行動を行っていた人々に対する“土人”発言がもとでした。この発言に対しては同じ大阪の松井知事の「差別発言には当たらない」という発言もあったけれど、菅官房長官をはじめ多くは善くない発言という認識でした

ところが、こともあろうに沖縄県を担当する鶴保沖縄担当相が沖縄の人たちを傷つけた土人発言を追認してしまったのです。これに対しては、沖縄を担当する大臣なのにという驚きと、出るわ出るわ鶴保議員のこれまでの問題のある言動が、それで大臣としてはもちろん人間としてもその資質が問題ありとなってしまいました。本当にそう思っているという事が衆人の知るところとなってしまったわけです。

そこへ持ってきて安倍内閣の見解として「鶴保沖縄担当相の発言は差別発言には当たらない」という声明。これを言ったらこれをしたらどうなるという想像力が非常に弱い安倍首相の内閣その内閣の一員だからなぁとこの流れを納得してしまいました。



問題が明らかになると飛びついてすぐまた次のセンセーショナルな話題に移るという事を繰り返しているワイドショーにおいてさえもまだ取り上げられている横浜市・教育委員会・学校による福島第1原発事故後福島から避難してきた小学生いじめ事件。

本人からの訴えも家族からの相談も警察からの報告にさへもちゃんと対応しないでとうとう学校に行けなくなった問題。150万円にもおよんでしまったお金の要求。小学生がこんな大金にかかわることは誰が考えても普通ではないとわかること。だからこそ親からも警察からも話があったんだろうに。

一番は本人からの訴え。いじめをした側がどんなに「おごってもらっただけ」と言いつくろっても本人がいじめられていると訴えているんだからこれをこそ聴くべきことでしょう。

  いじめている側 数万円しか確認できなかったと結局いじめではないと結論付けた学校や教育委員会も、まず本人の声を聴き気持ちに沿うべきだったと思います。



いつもながら前置きが長くなってしまいました。

このたびの鶴保沖縄担当大臣の「(機動隊員による沖縄の人に対する)土人発言は差別発言ではない」という見解は、福島から避難してきたという事でいじめの対象になってしまった小学生の問題と同じだと思います。
   言われた側が差別発言と感じ された側がいじめられたと感じている、それがすべてです。言った側が差別発言ではない した側がいじめのつもりではなかったなんて言い逃れできる立場ではないんです。
本来なら沖縄担当大臣の立場以前に人として相手の立場に立つ・想像すべきことではありますが、少なくともその言葉を投げつけられた沖縄の人たちが差別発言だと言っている時点からでも気づくべきですね。

2016年11月23日水曜日

案じてくれる人がいるということはありがたいことです


1122日早朝の地震(2016)はここでも震度3を記録し、1たまに2くらいということが多かったので久しぶりに 揺れたなぁと感じました。

 その日私は早番で、5時過ぎに起きてお風呂洗顔お昼のお弁当を作って朝のニュースを見ながら朝食をまさに食べ始めたところでした。6時、アナウンサーはお早うございますの挨拶とともにこれからの放送のことを話し始めたその時緊急地震速報がなんとも言えない音を響かせました。外はまだ真っ暗。

 腰を下ろしているのになんだかフワァーと身体が動き妙な心持。すこーし上に持ち上げられるような感じもしました。テレビの画面に掲示された現在時刻では61分でした。それからは地震のニュース一色。

 この地震のことは、ただ揺れただけでなく津波の警報が続けて出されたのでみんなは11311日の東日本大震災のこと原発事故(事件)・津波のことを思い出しました。それは日本に暮らす私たちだけでなく世界中でも同じように受け取られ伝えられたようです。



 夜。自分の携帯をだめにしてしまって必要な時だけおばさんのを借りて連絡を取り合っている彼女からテレビ電話が入りました。そんな事情から私がかけることがほとんどで彼女のほうからというのはほんとに珍しいことなので何事かと思ったら「ニュースで今朝の地震と津波のことを聴き心配だったので」との由。

 飛行機で4時間半前後 距離でも約3,000㎞も離れてはいるけれど思いは一気に縮まりました。たとえ遠く離れていても、私のことを案じてくれている人がいるということはありがたいことです。

2016年11月21日月曜日

F1 15-10-21 物の値段 円に換算してみるんだけど




物の値段、日本と同じくらいかなぁと感じるもの割安と思うものさまざま。日本で買うより安いけれど、こちらの人の平均的な月収に照らし合わせてみるとそう気軽には手が出せないなぁと気づくものもだんだんわかってきました。 



知らないという事は怖いもの。当地での金額を一度日本・円に換算して判断してみるんですけど生活習慣の違いもあるし社会環境の違いもあるし置き換えられないときもあります。最初の時、高いんだなぁと思いながらも手持ちのお金だけでは足りなくて急きょATMのクレジットでお金を用立てて払ったこともありました。

この時はこういういきさつでした。一晩中乗る長距離バスの片道料金が7,000ペソというんです。ずいぶん高いんだなぁと思いながらも、私のために仕事を休んでまでして来てくれたんだからと支払ったんです。片道7,000ペソ。日本でいえば2万円近い金額。もちろん片道2万、もっと高い料金だってあります、いろいろと。 交通機関の種類や席の格によっても高低はありますが、素直に考えればまずは遠くなるほど料金も高くなるという事。ですからこの7,000ペソという数字から考えると「住んでいるところはすごく遠いところなんだなぁ」と取ったというわけです。

片道7,000往復で14,000。加えて、一晩中だから途中の食事や飲み物代も必要というし。その人数分を封筒に入れて渡したらびっくりしたような困った妙な顔をする。「これは多すぎると」言うのです。実は7,000ではなくて700だったんです。一人分で片道7007,000では相当違います。通訳してくれた人の取り違いだったというわけです。思うとちょっと怖いお話でした。

2016年11月19日土曜日

F3 16-4-16  街の“両替商”




外国に行くと日本のお金(円)はそのままでは使えません(USドルは小さいお店でも露店のようなところでも使える!)から現地通貨(今回はフィリピンペソ)に両替をしなくちゃなりません。案内してもらって市中の両替店に行きました。実は、当座の分だけでもと思って空港(併設されている銀行)で変えようと思ったのですが率が悪いという事で。

行った所は街の“両替商”。 行った先には通りに面して両替商が何軒も。もっと言うなら隣り合って並んでる感じで、こんなにあって成り立つの?って思うほど。その近さ多さ加減 は、いつも使うお店のあたりの道がぎっしりの車でとても止められず「じゃぁ別の所へ」となり「どこまで行くのかなぁ」と初めての街 時間も遅くなったし少し心配に思っていたら道を少し走った所にすぐありました。このあたりそういう地区なのかもしれません。


日本にいるままだとその必要性も存在もピンとこないんだけど、ここではこんなに身近に“両替(商)が垣根低くあることに、国際化や働き方における違いを感じさせます。

2016年11月15日火曜日

“嘉陽のおじい” が亡くなりました


“嘉陽のおじい” が亡くなりました。(2016113日)

初めて沖縄・辺野古を訪れた2012年にお会いし 「私の今の願いは、来年またみんなとここで勝利を喜びあいたいということです。」との声を聴くことができました。(その時の模様は ラベル・沖縄平和ツアー/辺野古 オジーの願い  201299

94才だったそうです。

今の オール沖縄の基となった辺野古の区民達で立ち上げた(1997)「命を守る会」の創立時のメンバーで、最後は顧問を務めていたそうです。

最後まで貫いた運動への思いは「戦後の食糧難の時辺野古の海の海産物で無数の人が救われた。この海は命を育み、沖を通る船の旅人の無事を祈る聖地。この海を埋めて人を殺す基地にしてはダメだ。」という強い思い・体験だったようです。

ご冥福をお祈りします。

2016年11月13日日曜日

最初のパスポート




日本最初のパスポート・旅券は、江戸幕府が海外渡航の禁を解いた後の1866年に日本外国事務局から発行された。

 ちなみに第1号は、パリ万国博覧会に向かう18名からなる曲芸団・日本帝国一座の団長隅田川浪五郎とみられるとの由

日本の手話2種




・日本手話

日本語とは異なる独自の体系を持つ言語。聾者が 
日常生活でよく使っている。



・日本語対応手話
    日本語を話しながら、手話の単語を並べていくも
    の。日本語を話す=音声と手の動作=手話を同時
    に使うもの。

核兵器禁止条約 地球温暖化対策・COP22


今更とも思いましたけど、地球温暖化対策・COP22の初会合がつい先日行われたばかりだし核兵器禁止条約に日本が反対したという事でも意思表示はしておきたいと思って。

 

このたびの国連における核兵器禁止条約に、日本がはっきり反対という報に接して、いつもあいまいな態度で来ていた日本が!とびっくりしました。

核爆弾による惨禍を経験した日本こそ核兵器禁止の先導役になるべき国なのにまさか核保有国とともに核兵器禁止条約反対に回るとは。アメリカ(合衆国)追従も極まれり。ここまで来たか!と暗澹たる思いになりました。




地球温暖化対策・COP22 に関しても情けない。

アメリカ合衆国の顔色をうかがい様子見を決め込んでいたら、そのアメリカがインドと共に批准に回り条約が発効することになってしまい大いに慌てた日本。国会での承認・批准が間に合わず第一回会議にはオブザーバー資格での参加となってしまいました。

温室効果ガス排出量世界で5番目の日本は、同時に技術を持っていて地球温暖化問題に関して貢献できるはずなのに。嘆かわしい。





*「自分の行いに責任を取らない日本。」「自分にしかできないこと、自分がしなければならないことについての認識が欠けている。」をまたまた痛感しました。

 

*「核兵器禁止条約」最初「核禁止条約」と勘違いして おお すごい! と思いました。 結局 兵器 だったわけだけど、すべての核になったらいいなぁ。

2016年11月5日土曜日

行ってみたかったところ二題 その二 第五福竜丸展示館


  

こちらはつい最近。 東京・夢の島にある「第五福竜丸展示館」にいってきました。  

ビキニ水爆実験・第五福竜丸事件に関してはこれまで幾度も書いてきました。つまりずっと関心を持っていたという証。  まさか水爆実験に巻き込まれた船が第五福竜丸一隻だけという事はないだろうとずっと思っていたのが、地道な調査研究でじつは1,000隻にも及ぶことを知らせてくれた高知の研究者・グループ。ベンシャーンの作品「ラッキードラゴン」も観ました。研究で明らかになったように、もちろんほかにも被害を受けた船・人々はいるんだけれどやはり象徴的な意味合いとして集まりや各種報道で第五福竜丸の名前はどうしても出てきます。静岡県焼津市で毎年行われるビキニデー集会をはじめ様々な集まりでもその名前を聴きました。 それらすべてが第五福竜丸展示館に行ってみたいという思いを増すものでした。中でも昨年一昨年と原水爆禁止運動の一環として集まりで第五福竜丸展示館の人の、特に一昨年の「交通費さえ出していただければどこへでも出かけていきます…」との熱い話は内容もよかったけれど非常に印象に残っています。



東京都江東区夢の島公園の記念館には、山手線などのある地上のホームから東京駅の地下深く深く潜り歩いて歩いて(初めて乗った)京葉線へ。その新木場駅で下車し夢の島公園の一角(外れ)目指して歩いていきました。

初めて目の前にした展示館は建物のまわりにも展示があり、深い焦げ茶色 船を模したのであろう外観で、それ自体特別に大きいものではありませんでした。

早朝の新幹線で新潟を立ち昼過ぎまで用事を足し、ここまで来て朝からの緊張で喉は上ずり乾き何も口にしていなかったことに改めて気づき疲労と空腹でベンチに腰を下ろし一息、持参した食べ物を少し口にすることにしました。

今に至る日々を思い起こすと、少し大げさかもしれないけれど「やっとここまで」という気持ちで簡単に足を踏み入れられない思いというのもありました。



館内、第五福竜丸はイメージしていたものよりずいぶん大きい船でした。  木造船という事は知っていました。舵までも大きな板をつなぎ合わせ、お便所は船体から海に突き出して板で囲われただけのもの(排泄物は直接海に落ちる)でした。

展示は企画によって入れ替わっているのでしょうが、乗組員の遺品、ビキニ水爆実験関連資料、ビキニ後の核実験・放射能汚染をはじめとする数値等の資料。核廃絶に向けた運動を記録した資料・写真の張り出し。 それらの展示は、規模的に「それだけ?」とも言えるし「そんなに!」とも言えるものでした。ただ、この記念館は第五福竜丸自身そして保存し続けてきているという事(運動)に意味があるのだからそれでいいのかもしれません。



 次はまだ行ったことのない国立歴史民俗博物館に行ってみようかな。

 追伸 記念館で土門拳の「生きているヒロシマ」を見つけました。春になったらjさんと一緒に久しぶりに山形県・酒田市の土門拳記念館に行こうかな。

無言館館主 窪島誠一郎さんの思い



安倍首相の憲法改定の企てに対しての無言館館主 窪島誠一郎さんの思い。








「かつて私たちの国は、一部の為政者の誤った国策によって、2千万人以上の外国人の命を奪い、300万人余もの日本人の犠牲者を出した。今も多くの被爆者を苦しめている広島・長崎への原爆投下を招いた。だからこそ私たちは戦争を完全に否定する平和憲法を制定し、この国を再建してきたはずです。戦没画学生たちは今、戦争法を、秘密保護法をどう思っているのか、聞いてみたいのです。」



安保関連法案=戦争法 それに先立ち国民の目と耳を封殺する 秘密保護法 を成立してしまった安倍首相たちの言動に対して

野見山暁治さんの言葉





「美術館は優れた絵を並べる場所ですが無言館は違います。 いわゆるいい作品ではなく、死を予告された若者が、その執行猶予の期間、何を描くか。 無言館に並んでいる絵はその答えです。」



戦没画学生の作品を収集・保存 展示をしている美術館=無言館 の設立にかかわった野見山暁治さんの言葉

ひめゆり学徒隊 宮城喜久子 さんの言葉





                    これからの時代は銃や爆弾ではなく、言葉で平和を築いていく時代。



                             ひめゆり学徒隊 宮城喜久子 さんの言葉

なんともまぁ あきれます


なんともまぁ あきれます

“せい(政)≒生活費” とはよくもまあ言ったものだと思います。

議員報酬とは別に、議員活動 調査活動 活動報告等に使うことを念頭に支給される公的な交付金=政務活動費。  政務活動費の問題はこれまでにもたびたび問題になっていて幾度も改革・改善が図られているけれどいまだに不十分なまま。

 このところこれまでにもまして取り上げられている政務活動費の問題、その発端は6月に富山市議会が自ら議員報酬を60万から10万増やして70万にしたことから。それに対して市民から疑義が出され、地元新聞社記者が富山市議会のドンと呼ばれている自民党議員に取材をした際に取材メモを奪われ押し倒されるという暴力を振るわれるという事件が起きたのです。その後新聞社は情報公開請求をしお金の流れを調べたらおかしなことが次から次へと出てきた、政務活動費の不正受給 報告会や会議に使ったと言いながら実際は行わず飲み食いやまさに生活費に充てていたのです。それが他の議員にも他の議会にも飛び火し、結果として12人もの議員が辞職し選挙が行われるまでにことが大きくなったのです。

で、それが何度も何度も記事に取り上げられるうちに言いやすくという事だったのでしょうか、政務活動費を縮めて政活費。私はこの政をに置き換えてをくっつけて“生活費”が一番ぴったりだと思います。音でいうと同じ発音なんですもの。思わず吹き出してしまうほど言い当ててます。 笑い事じゃないんだけど。