2016年11月5日土曜日

行ってみたかったところ二題 その二 第五福竜丸展示館


  

こちらはつい最近。 東京・夢の島にある「第五福竜丸展示館」にいってきました。  

ビキニ水爆実験・第五福竜丸事件に関してはこれまで幾度も書いてきました。つまりずっと関心を持っていたという証。  まさか水爆実験に巻き込まれた船が第五福竜丸一隻だけという事はないだろうとずっと思っていたのが、地道な調査研究でじつは1,000隻にも及ぶことを知らせてくれた高知の研究者・グループ。ベンシャーンの作品「ラッキードラゴン」も観ました。研究で明らかになったように、もちろんほかにも被害を受けた船・人々はいるんだけれどやはり象徴的な意味合いとして集まりや各種報道で第五福竜丸の名前はどうしても出てきます。静岡県焼津市で毎年行われるビキニデー集会をはじめ様々な集まりでもその名前を聴きました。 それらすべてが第五福竜丸展示館に行ってみたいという思いを増すものでした。中でも昨年一昨年と原水爆禁止運動の一環として集まりで第五福竜丸展示館の人の、特に一昨年の「交通費さえ出していただければどこへでも出かけていきます…」との熱い話は内容もよかったけれど非常に印象に残っています。



東京都江東区夢の島公園の記念館には、山手線などのある地上のホームから東京駅の地下深く深く潜り歩いて歩いて(初めて乗った)京葉線へ。その新木場駅で下車し夢の島公園の一角(外れ)目指して歩いていきました。

初めて目の前にした展示館は建物のまわりにも展示があり、深い焦げ茶色 船を模したのであろう外観で、それ自体特別に大きいものではありませんでした。

早朝の新幹線で新潟を立ち昼過ぎまで用事を足し、ここまで来て朝からの緊張で喉は上ずり乾き何も口にしていなかったことに改めて気づき疲労と空腹でベンチに腰を下ろし一息、持参した食べ物を少し口にすることにしました。

今に至る日々を思い起こすと、少し大げさかもしれないけれど「やっとここまで」という気持ちで簡単に足を踏み入れられない思いというのもありました。



館内、第五福竜丸はイメージしていたものよりずいぶん大きい船でした。  木造船という事は知っていました。舵までも大きな板をつなぎ合わせ、お便所は船体から海に突き出して板で囲われただけのもの(排泄物は直接海に落ちる)でした。

展示は企画によって入れ替わっているのでしょうが、乗組員の遺品、ビキニ水爆実験関連資料、ビキニ後の核実験・放射能汚染をはじめとする数値等の資料。核廃絶に向けた運動を記録した資料・写真の張り出し。 それらの展示は、規模的に「それだけ?」とも言えるし「そんなに!」とも言えるものでした。ただ、この記念館は第五福竜丸自身そして保存し続けてきているという事(運動)に意味があるのだからそれでいいのかもしれません。



 次はまだ行ったことのない国立歴史民俗博物館に行ってみようかな。

 追伸 記念館で土門拳の「生きているヒロシマ」を見つけました。春になったらjさんと一緒に久しぶりに山形県・酒田市の土門拳記念館に行こうかな。

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