2018年9月30日日曜日
沖縄県知事選 玉木デニーさん当確(当選)
よかった⤴ 勝つだろう 勝ってほしいと強く願っていましたが、いずれにしても接戦、当落が明らかになるのは遅くなるだろうなぁと思っていました。そしたら開票が始まったまだ何分?と言うときに当確の一報が! 思わず万歳!をしてしまいました。ほんとによかった。まずはおめでとうございますです。明日の新聞が今から楽しみです。
これで新潟の県知事選で池田さんが勝ってたらなぁ。
2018年9月26日水曜日
愚民政策の日本
GAFA ガーファというんだそうです。アメリカのIT企業グーグルのG
アップルのA フェイスブックのF アマゾンのA だそうです。いずれも時代の先端を行く“優良企業”です。技術でも収益でも他を寄せ付けない規模と強さを持っています。 でもその収益は、タックスヘイブンの税逃れ、過酷な労働条件・賃金抑制で生み出している由。“時代の先端”のイメージが台無しです。結局は資本主義下の古い時代の大企業と同じことをして儲けていたという事なんですね。
それにしても、GAFA・ガーファとはよく思いついたものです。日本人、と言うだけでなく人間はこういう造語が好きですねぇ。 日本人は、どうせわからないだろうとでもいうのか日本語に訳すときにわざと違う意味・言い方に変えたりしていますけれど。TPPなんかその最たるものだと思っています。TPP
日本ではNHKが一々環太平洋なんて言い替えていますけれど、ほんとは太平洋を挟んでアメリカ(合衆国)と日本・アジアの国々と という意味合いなんですってね。 ずいぶん意味合いが印象が違ってきますもの、これも日本の言葉を言い替えることで本質を見えなくしょうとするいつもの手。
OECD これはもう昔からある言葉で、経済協力開発機構。 そのOECD が先に公表した、2015年の加盟各国国内総生産(GDP)に占める日本の教育に対する公的支出の割合が加盟34カ国中の最低で2.9%だったそうです。 それも前年に比べて0.3%下げながら2年連続で。(平均は4.2% 1番は6.3%のノルウェー
続いて5.6%のフィンランド 5.5%のアイスランド 5.4%のベルギーだそうです。 思い当たることがありますね。)
脈々と続く“愚民政策”と飽く無き利潤追求がここからもうかがえます。
2018年9月24日月曜日
P3 16-4-19 日本の方が暑い!
実際に体感したフィリピンの暑さについての印象はすでに書いた通りですが、要は、暑いことは暑いけれど、特に寒い時期の日本からフィリピンに行き身体がまだ暑さに順応していない時の暑さが身体に堪える。そして意識して注意しなければならないのは、暑いところから寒いところに帰って来た時はその逆よりもより気配りが必要。十分に暖かくして身体をいたわってあげなければ風邪をひいたりして体調を崩すという事を体験的に感じました。
以前沖縄に行った11月のときもそうでした。この時は約10度の気温差でしたが、新潟に帰ってきてから、寝込むほどにまで重症ではありませんでしたが風邪をひいてしまいなかなかはっきりしない体調が続きました。それがフィリピンとでは20度以上の気温差なわけですから体調もおかしくなろうというものです。特に一二月の真冬よりは緩んでは来たもののまだまだ寒い3月が堪えたのはそのせいかと思います。この時期で比べると役30度の温度差ですから。日差しも全然違いましたし。
さて「日本とフィリピンどちらが暑いか」 こちらに来てからまだ数年という人からもう何十年、途中一時帰国しその後また来日という人たちに聞いてみても一様に「日本の方が暑い フィリピンはこんなに暑くない」という返事が返ってきました。 昨今の日本の暑さ、そんなに大昔まで知っているわけではありませんがそれでもここ数十年を振り返ってみても今の日本の暑さは異常だと思います。そしてこの変わりようはどんどん加速しているように感じています。 特に今年の夏は全国的に暑い日が多く、日本各地
真夏日を観測というところがぐんと増えました。昔だったら考えられない39度越えというところも沢山ありました。確かに大台だし、さすがに40度越えというのはまだ少ないのでニュースにもなるのでしょうけれど、この夏は何回そのニュースが流れたことでしょう。 37度くらいだったらもうどこでもと言ってもいいくらいに多かったような気がします。 今日一番暑かったところで、私の住む新潟(県)の町が紹介されたこともありました。 そんなだったものだから「フィリピンも暑いけれど34~6度くらい、39度だ40度はない。」という返事が返ってきたのだと思います。
日本の方が暑い!日本の方がきつい!フィリピンはこんなに暑くない! どうもその違いは、湿度かなぁと思います。新潟の海岸部は蒸し蒸しジメジメ、フィリピンは風がありカラッとしてる、結果として過ごしやすい。 もちろん生まれ育ったところ、気候になれているというのはもちろんあるのでしょけれど。
確かに、フィリピンでお世話になった家は構造のせいで屋内にいるとまいる暑さでしたけれど、外に出てみれば夜や朝方は気温も下がり十分過ごしやすい環境でした。日差しの強い日中でも、日陰に入れば意外なほど快適でした。特別に大きなショッピングモールでなくとも、お店に入れば空調も自然で快適でした。
2018年9月21日金曜日
P1 15-10-20 彼女はどんな人! その2 国民性?
ところで。彼女のこんな振る舞い、私は個人の資質だと思っています。 たまたまユーチューブに出てきた,泊まったホテルのある街並みや空港に関する映像を幾度か見てみたら、そのあと出るわ出るわこんなにあるの!と感心するくらいフィリピン関連の映像が出てきて、その中にはフィリピン人(ほぼ女性)の性格なるものを紹介しているものも結構ありました。それらを見せてもらって、もしかしたら最大公約数的に共通する“国民性”というものも何かあるのかもしれないけれど、例えば陽気な人おとなしい人
明るい人 暗い人なんてのはどこの国にもいるし どうなんだろうなぁと思いました。 ただJCOBの集まりなんかで見ていると、みんな楽しそうだし周りを思いやることを忘れない心根の優しい人が多いように感じます。讃美歌
歌・カラオケも好きみたい、彼女はどちらかというと前に出て歌い上げるというタイプではなさそうですが彼女もそうかな。手を動かしたり体を揺らしたりはしています。 と、こんなふうに降り帰ってみると国民性というよりは個人の差の方が大きいというのが感想です。
2018年9月19日水曜日
P1 15-10-20 彼女はどんな人!
初めて降り立つ空港、出迎えの人ですごい賑わいです。そこに今回お世話になるRさん一家と彼女が待っていてくれました。 彼女とは約半年ぶりの再開となるのにそんなに間が空いた感じがしません。飛行機で約4時間半の距離離れていましたが、この間ずっとインターネットを介して連絡を取り合ってたからなんでしょうね。 ネットのない昔だったら、お互い照れたし恥ずかしがったりしたんでしょうねぇ。それはそれで微笑ましい感じもしますけれど。
便利な時代になったものだと感謝しています。 今や居ながらにして顔を見られるし声も聴ける、遠く離れたままでも同じ時間を過ごすことができるんですからすごいことだと思います。昔だったら手紙・エアメール、思い切って国際電話なんてところが関の山。
ただし。話が少し横道にそれますが手紙はやり取りに時間がかったけれどその時間はただ無駄なことばかりでなく、その間に沢山のことを考えることができました。来るか来るかと待ち望むあの不安ちょっぴりワクワク沢山も良いですよね。 どんな字を書く人か言い回し・文面を書く人か。 便せんや封筒のこだわりを見てお互いを慮ることもできました。 何より、届いた手紙をいつ読もうか読むまいか、何度も何度も繰り返して読むのもすべて自分の都合で決めることができるいいところがあると思います。 対してネットは双方が同時に顔も声もそして瞬時に返事も聴けるというのはすごいところ。でもここが、いいところであり同時に厄介なところでもあると思うのです。 この同時性
双方向 瞬時は否応なしにその間別の事 自分のしたいことができないという事でもあります。 手紙と違って Eメールとも違って、後で自分の手の空いた時・都合のいいときに観る・読むとはいきません。 都合を付けて待っている時だけでなく、何か別のことをしているときでも都合お構いなしにいきなり飛び込んでくる・つながってしまうときもあります。 連絡とる方は自分で都合をつけているわけですからつながればOK、でも受ける方は必ずしもそういうタイミングばかりとは限りません。用があるのにと気がもめる時もあるでしょう。 「口を押えると、顔が喋りだす」私だと忙しいとき何かやりたいことがある時なんかだと、用が済んだら…て感じになっているんじゃないかなぁ。 私の方はそんななのにこの間彼女は、私の都合でかけた時でもつながっている間ずっと付き合ってくれていました。やることやりたいことがなかったわけでは決してないと思います。でも自分の時間を全部私のために使ってくれていたんです。すごいと思います、なかなかできることではありません感謝しています。 そんな彼女にだから私も答えなけりゃ、掛け替えのない人だから大切にしなければと思っています。
2018年9月13日木曜日
P2 16-3-9 楽しい礼拝
「どうだったの」 「楽しかった」
JCOB日曜礼拝の後、走り出した車での彼女の第一声です。日本だと良いお話(説教)だった とか 気持ちが落ち着いた とか辺りの反応になるんじゃないかと思います。 集う皆さんの様子を見ていると確かに楽しそうです。頭を垂れて説教を聞くのではなく、まっすぐ見て楽しんでいます。 日本の礼拝の様子とはずいぶん違います。
私の教会の牧師にこんな礼拝の構成・模様を話したら「救世軍みたいなんでしょうかねぇ」 と言っていました。 救世軍の礼拝に出たことはありませんけど、私の救世軍のイメージと言うと、クリスマス時期の社会鍋 市内4教会共同で持っている墓地の委員会で同席した会員の方のイメージが大きいでしょうか。そのほかにはイギリスに起こり山室軍平から始まる日本の救世軍に関しての限られた知識・社会福祉への貢献や軍隊形式を取り入れているくらい。いずれにしても、この楽しそうな感じとはイメージが合わないなぁと思いながら今のご時世ですから動画サイトを見てみました。 そこでは、日本の社会鍋の様子と中国・香港(?)の教会のものが紹介されていました。 スペインの影響なんでしょうフィリピンの方がやはりラテンて感じで乗りの具合はだいぶ違いますけど、確かに構成なんかは通ずると感じました。 ただ、この乗りの違いは国民性だけでなく、宗派もある気がします。写真はフィリピン・マニラ・イントラムロスのマニラ大聖堂内部のものです。開放されていたので私も入ってみたというだけで礼拝時のものではありませんが、こちらはカトリック教会というイメージを裏切らない雰囲気でした。この日のこの短い時間だけでわかったなんてことはとても言えませんけれど。
2018年9月12日水曜日
P1 15-10-20 ついたところは すっきり過ごしやすい肌感覚
見事に降ってさっと上がった雨(スコール?)もいい体験でした。
街を抜け高速を通り賑わうお店の並ぶ街中を通り、だんだん灯りが少なくなり家々の並ぶ道を通り、田んぼの間の舗装が切れた道を通ったかと思ったら、ゲートをくぐって団地(街?)に着きました。 深夜で道も空いていて、思ったよりも短時間で着いた印象です。
もうどの家も明かりが消えている時間の住宅街、車を降りると肌に触れる空気もすっきり。目が覚めました。 先ほどの空港ターミナルビルを出たところのむッとする肌感覚とはずいぶん違います。 夜遅くなって気温が下がったという事もあるのでしょうが、雨が空気をきれいにそしてすがすがしく過ごしやすくしてくれたのかもしれません。
初めてのフィリピン、第一印象、さっきからずぅっと好印象。 この後のことを考えると緊張も高まってきますけれど。
防災の日 天災は防げなくても人災を防ぐために 3/3 下 避難所運営 避難者カ―ド
3・11 避難所となった小学校体育館 |
避難所に来た人には避難者カードを記入してもらい、避難人数や属性
必要な物資の把握を行うように定められていました。
これまでの報道・調査などで、様々な事情で避難所に行けない・行かないという人たちが思いのほかいるという事が明らかになっています。 救援物資は避難所にいる人に配られますのでこのひとたちは必要としながら手にすることはできないと聞いていたのですが、改定を重ねて第7版となった避難所運営マニュアル初動偏・運営偏によると改善されていました。 両編で言い回しが少し違っていますが、避難所に寝泊まりしていない人でも避難所に出向き避難者カードを記入することで救援物資の配布を受けることができる、要望も個人で出すのではなく自治会を通せば聞きますよというようになっていました。
物資の備蓄に関するところを見てみますと、備蓄拠点や避難所ごとに備蓄をしているが備蓄量は決して十分な量ではないので各人で3日分の備蓄をしておいてください、緊急物資が届くまで近隣の商店や個人からの供出をお願いすることがあります、となっていました。 確かに、供出するしないは別として、普段から考えておく
備えておくという事は必要なことだと思います。
全体を通して。 確かに災害時の対策は練っているというのはわかります、災害という非常時
緊急時ですから大変だし想定以上という時もあるでしょう。 ただし、依然として特に初期においては収容というイメージ。人も物も動き出し、救援物資が届くまでの間は各人の備えと忍耐で生き延びてください
自己責任と助け合いで生き延びてくださいという前提があるなぁと感じます。 この日の説明 資料では、長期になった時 別の支援が必要になった時のことはわかりませんでした。
ところで 3・11の時実際に目にした不思議な光景があります。 金曜の昼2時過ぎの地震の後、私は翌週に宮城県の塩窯にチームで入りました。 受け入れ拠点の施設は自家発電で何とかやりくりしていましたが(発電用燃料の入手困難)、個人住宅は電気もガス 水道もまだ復旧していない時でした。
支援先からさらに指定された避難所に行く道中で、自宅にとどまり不便な生活を送っていると思われるおばあさんがコンビニで買った水を持って歩いているところに一緒になりました。小柄なおばあさんで、2ℓの水のペットボトルが2本 つまり4キロのビニール袋を持つ手・指がを赤くなっていたのがいまだに記憶に強く残っています。
その時に、よその県から水や物資を積んできたけれど、コンビニはもうやってるんだぁ
と整理のつかない思いになった覚えがあります。
支援で現場に入った人間が山行のような格好で歩いているところで、出勤途中なのでしょうかスーツ姿で歩く人と行き違いました。 早く日常の生活に戻る
というのは心がけるべき大切なことですがもう普通に仕事!自分の家の後始末は?と思ってしまいました。
防災の日 天災は防げなくても人災を防ぐために 3/3 上
当日実態調査で受け持った避難所は、受け入れ可能人数2,166人となっているN中学校の体育館でした。板敷の床 天の高い伽藍堂の体育館に、2,000人以上もの性別・年齢・事情の異なる人たちがどのように過ごすのがイメージされている数字なんだろうと感じます。
災害時トイレの事は切実な問題です。健康問題、生活の質にも大きく影響する課題です。 そのトイレ、避難所として使用できる体育館併設の物は、和式2洋式1の組み合わせで男女各1。(校舎にあるトイレは、授業・生徒に影響するので避難してきた人たちは使用不可だそうです。 災害直後から授業を再開するのか。落ち着いてきて再開できるようになっても、避難してきた人たちはより環境のいい施設・住居に次の段階として移るのではなく、日にちが立ってもこの環境にそのまま居続けるという事しか想定されていないのか。避難生活が長期になった時の次の段階はどう考えているのでしょうか。) 水道は一か所で蛇口が4個。(正確に言うとトイレにももう一個ずつあり) 受水槽がありましたので、水自体は停電でもタンクまで行けば手に入ります。ただ普段が600・700の規模の学校ですから2000人規模だとどれくらい持つものでしょうか。ちなみに、井戸はないそうです。 学校プールには水が張ってありました。
施設と共に備蓄・物品のチェックもしました。 食料
水の備蓄は無。毛布の入った段ボールが5箱。 暖房器具は、電気がなくとも使える家庭用の反射式石油ストーブ1台。保管上の安全のためか、ここに石油は見当たりませんでした。(学校の物として、体育館での式や授業時に使用する大型の暖房器具がおそらくあるはずですが、その説明はありませんでした。 この大型ファンヒーターは電気がないと作動しませんし、時期によっては石油がないかもしれません。) コンロが3~4器。これはその昔に野外の催しなどで使ったものがたまたま捨てられずに残っていたという事情のようでしたが。ただしプロパンガスボンベはなし。 個人家庭で鍋をするときに使う火口一個の卓上カセットコンロが一個。それに使用するカセットガスボンベは、カセットガスで使用できる簡易発電機と共用で3本のみ。 この簡易発電機は、ボンベ2本で最大0.9kwの電気を1~2時間発電するというもの。 コンロもガスボンベも発電量もこの規模・人数
想定に対してはどう考えても足りません。
平時に何時起きるかわからない災害に備えてというのが難しいことだというのは心情的にはわかります。災害時 物資は他の地区から運ぶという想定になっているのでしょう。 でも、災害直後各避難所に一斉に給水車や食料
暖房 衛生 衣類、仮設トイレ設置なんてことは物理的に無理な話。
確かに対策は練っている、でもそれが実際のところどうなのかという事を思います。 態勢も物も、結局は落ち着く(?)まで(個々人の努力と忍耐で)我慢してください・・・といういつものパターンなのかと思ってしまいます。
2018年9月8日土曜日
防災の日 天災は防げなくても人災を防ぐために 2/3 ここでも出てくる“自助”
せっかくですから当日渡された資料から。 驚きですよ。避難所の受け入れ可能人数がビックリなんです。 Nふれあい公園12,393人 ここは確かに広い公園。I野球場10,329人 プロの試合をするような大きな球場ではありませんけど野球場ですから。 S保育園広場1,000人 そんなに大きい保育園だったかなぁ。 広域避難場所の指定を受けているJ運動公園はここ一か所だけで95,282人 U公園93,120人 ここは田んぼに囲まれた潟を機械で排水して造成された公園。地盤が悪そうだけれどなぁ。ちなみに区全体でも人口は6万弱です。
ところで。 「避難所」 いざというときに備えてちゃんと指定してあります!という事は確かにそうなんでしょうけれど、実際の運用ではどうなんでしょうか。 災害時必要物品の備蓄では大いに疑問です。 災害発生時はまず身の安全の確保が第一。その後避難所へという事になるわけですが、水・食糧
トイレなどの備蓄は受け入れ可能人数に対してはとてもとても。 避難所の運用についても大いに疑問符が付きます。避難施設の鍵の管理という事で行政の防災担当者や施設管理者の名前が出てくるものの、訓練を受け多少なりとも専門知識を持った人がかかわるのではなく避難者の中から人を選出し(この日の資料想定では地域ごとの避難所では該当自治会役員が当たる想定)運営を行うという想定になっていました。 素人がいきなりかかわるのではなく訓練を受けた人間がもっともっとかかわる必要があると思います、経験からも。 条件は様々ですからどこもまったく同じと言う事はないと思いますが、スタッフの対応力の差によって避難所ごとの差は少しでも小さくしたいものです。それこそが、災害緊急時のより良い対応に結び付くことですし、救援物資を備蓄する大切さ同様有益な準備作業だと考えます。
いずれにしろ、救援が来るまでの数日は我慢しかない、盛んに言われている家族の人数×3日分の備えをという事になるわけです。
ところで、数字の算出根拠、資料によれば緊急避難所は一人1㎡、避難所の場合は一人当たり2㎡ということで計算して受け入れ可能人数が産出されていましたが、この1㎡でいい2㎡でいいというのはどこから出たのでしょう。 この広さの所に居ろと言われても狭いですよ~。
ことわざ に “立って半畳
寝て一畳” というものがあります。 人は金持ちだろうとなかろうと偉い人だろうとなかろうと同じように立てば半畳で寝ても一畳の広さしか必要としないものなんだ 足りるという事を知りなさい
というような意味合いでしょうか。 それをもってして、これで我慢しろと言うような意味合いの 根拠 という事になるのでしょうか。 畳一畳は長辺が182㎝短辺が91㎝で面積は1.6562㎡ 半畳はその半分。 一人当たり1㎡ 2㎡という数字の根拠は案外こんなところから出ていたりして・・・
2018年9月6日木曜日
防災の日 天災は防げなくても人災を防ぐために 1/3
9月1日は大正12年(1923年)の関東大震災にちなんで制定された防災の日。地震 異常気象・豪雨水害が頻発する中、様々な取り組みがされています。 私の住んでいる地域でも地域コミュニティ協議会主催による会がありました。 今回で5回目となる会は、行政担当者の説明と防災士による「避難所・避難所運営とは」というテーマの講義を聞いた後、参加者同士組みを作って割り当てられた各指定避難所まで実際に行き備蓄されている防災物品 避難施設の状況のチェックを行いました。
この日の資料 避難所調査で、何か収容可能人数・箱(避難所確保)の準備が第一それさえ整えばというような感じがして少し釈然としない思いがしました。 実際、指定避難所の物資の現状は受け入れ可能人数として公表されているものに対して種類も数もあまりにも少なく。災害が生じてから、災害被害のないところから運んでくる対応というのが実際のところと感じました。 「災害が生じてから2~3日もすれば支援物資が届くからそれまでは各家庭・個人で水・食料を備えましょう。」と呼びかけられ、関連商品もさまざまに売られていますが要するにこういう事なんでしょうね。
広域災害となれば、建物崩壊
橋や道路も通行できなくなり人も物資移動も影響が出るのは確か。 避難所に指定されている所でさえ現状は物資の量も種類もお粗末な状態ですので、救援物資の届くまでの数日は悲惨な状態になってしまいますね。 分け合って食べた子どもやお年寄りに食べてもらった日本人の我慢強さが素晴らしいなんてことがニュースになるのは見たくありません。それだけ準備が不十分だったという事の証明なんですから。
災害が頻発するからという事もあったのか、日本以外の避難所そして避難所運営を紹介する記事が話題になり、私も注目していました。そしてこの日の集まり。 対応の速さと集中の仕方、ちゃんと訓練された人員が関わることの重要さ、起きた直後の状況から変化する長期化したときの対応・必要な支援に対しての対応で根本的な違いを感じてしまいました。
2018年9月3日月曜日
P1 15-10-20 初めてのフィリピンは雨のお出迎え
入国審査を終え、すごい人数・込み具合の出迎えの人たちの間を抜け駐車場へ向かうため空港ターミナルビルを一歩出たら都市熱特有の熱気に包まれました。この熱気の中では夕涼みというわけでもないのに人が大勢です。 見上げれば、空港のエクステリアというにはちょつと不釣り合いの大きな飾りが目につきます。聞けばクリスマスの飾り付けの由。 もう!と思ったけれど、こちらでは10月になるともうクリスマスモードになるんだそうです。さすがキリスト教国。 飾りつけの印象は、行ったことはないけど何かメキシコの遊園地みたいな感じです。
迎えの車は3列シートの大きな車。 でも待ってよ!日本から行った私たちだけでも子ども1大人3の4人。迎えに来た人は彼女を入れて4人。そして大きなスーツケースが4つに機内持ち込みの少し小ぶりのスーツケース バッグなどを積まなければならないので、日本でなら2列で5人が乗るところに、当然子どもは膝の上大人もまっすぐ前を向てなんか座れません身体を横にしてぎゅうぎゅうにくっついて乗り込みました。今度は人の熱気で、エアコンが聞いてくるまでが大変でした。
荷物も人もいっぱいなのは誰の目にも明らかなことだからぴったりでも誰も何とも言いません。最も離れてと言っても無理な話ですが。 今夜からしばらくお世話になる家まで2時間近くかかるような口ぶり。これはきつい。
途中から雨が降ってきました。 そういえば赤道を超えてケニヤ・ナイロビのジョモ・ケニアッタ国際空港に降り立った時も雨が降りました。「乾季のこの時期に珍しい」
とガイドさんが言ってましたが、雨はほんの短い時間スコールのイメージ通りに降り 上がり、ドバイの乗り継ぎで疲れた身体 気分もそして空気もさっぱりした覚えがあります。 でも今夜(この時期)のフイリピンは雨期だから降って当然なのかな。
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