2018年9月12日水曜日

防災の日  天災は防げなくても人災を防ぐために 3/3 下  避難所運営 避難者カ―ド




3・11 避難所となった小学校体育館
避難所に来た人には避難者カードを記入してもらい、避難人数や属性 必要な物資の把握を行うように定められていました。 

これまでの報道・調査などで、様々な事情で避難所に行けない・行かないという人たちが思いのほかいるという事が明らかになっています。 救援物資は避難所にいる人に配られますのでこのひとたちは必要としながら手にすることはできないと聞いていたのですが、改定を重ねて第7版となった避難所運営マニュアル初動偏・運営偏によると改善されていました。 両編で言い回しが少し違っていますが、避難所に寝泊まりしていない人でも避難所に出向き避難者カードを記入することで救援物資の配布を受けることができる、要望も個人で出すのではなく自治会を通せば聞きますよというようになっていました。

物資の備蓄に関するところを見てみますと、備蓄拠点や避難所ごとに備蓄をしているが備蓄量は決して十分な量ではないので各人で3日分の備蓄をしておいてください、緊急物資が届くまで近隣の商店や個人からの供出をお願いすることがあります、となっていました。 確かに、供出するしないは別として、普段から考えておく 備えておくという事は必要なことだと思います。

全体を通して。 確かに災害時の対策は練っているというのはわかります、災害という非常時 緊急時ですから大変だし想定以上という時もあるでしょう。 ただし、依然として特に初期においては収容というイメージ。人も物も動き出し、救援物資が届くまでの間は各人の備えと忍耐で生き延びてください 自己責任と助け合いで生き延びてくださいという前提があるなぁと感じます。 この日の説明 資料では、長期になった時 別の支援が必要になった時のことはわかりませんでした。



ところで 311の時実際に目にした不思議な光景があります。 金曜の昼2時過ぎの地震の後、私は翌週に宮城県の塩窯にチームで入りました。 受け入れ拠点の施設は自家発電で何とかやりくりしていましたが(発電用燃料の入手困難)、個人住宅は電気もガス 水道もまだ復旧していない時でした。  

支援先からさらに指定された避難所に行く道中で、自宅にとどまり不便な生活を送っていると思われるおばあさんがコンビニで買った水を持って歩いているところに一緒になりました。小柄なおばあさんで、2ℓの水のペットボトルが2本 つまり4キロのビニール袋を持つ手・指がを赤くなっていたのがいまだに記憶に強く残っています。

その時に、よその県から水や物資を積んできたけれど、コンビニはもうやってるんだぁ と整理のつかない思いになった覚えがあります。

支援で現場に入った人間が山行のような格好で歩いているところで、出勤途中なのでしょうかスーツ姿で歩く人と行き違いました。 早く日常の生活に戻る というのは心がけるべき大切なことですがもう普通に仕事!自分の家の後始末は?と思ってしまいました。

0 件のコメント: