2014年3月2日日曜日

もう一つの 3.1


 
3.1というと、特に今年は60年ということもありビキニデーをまず思ってしまいます。

今年の31日はどうしようか気にかけながらも日程的にも折り合わず、新潟で行われた「歴史認識問題をどう乗り越えるか 朝鮮植民地支配を巡って」と銘うっての集まりに参加しました。

そしたらこちらもそうでした。「そうだった」と会場に行ってすぐ思いましたよ。
こちらは95年になるんだそうですが、31日は日本による植民地支配を受けていた朝鮮で独立運動が始まった日だった、と。

 講演テーマは、特に安倍さんが首相になってからの“日本”の危ない状態を強く感じているもんだからもちろんタイムリーだと思いました。
  でも、それ以上に 私がこのたびこの集まりに参加しようと思ったのは“歴史認識”という言葉で思い出すことがあったからなのです。

 

先年韓国に行き独立記念館でガイドの人からまず言われたのが「私たちは日本の人たち・あなたたちを責めようとは思わない。ただ事実を知ってもらいたい。・・・」ということ。

戦前“日本”が朝鮮に対して行った数々のことに対して、戦後に生まれた個人が責任を感じるということと、“国”が責任をとるということは同列ではありません。
  ただし、何をしたのか事実を知ることは戦後に生まれた人間でもできることだしそれは日本に暮らすものとしての義務だと思いますが。
  そういう発想で思うことがあったのです。

オームもそうだけど、霊感商法などで大きな社会問題になったカルト集団・統一教会がらみで、なんでこんなにいともたやすく洗脳されてしまうんだろうということを私も含めて多くの人が思いました。

昔言われていたのが、特に統一教会は韓国で誕生したということもあり日本が戦前朝鮮で行ったことの責任を今の日本人・若者が取らなければいけないということを刷り込んだ。教育・受験制度のことプラスわざと教えない触れさせないという結果、初めて知る数々のことに衝撃を受け、その結果洗脳され取り返しのつかない選択をしてしまう若者が多かったということでした。
  日本はそんなに悪いこと ひどいことをしていたのか。 
 みんないい若者なんだと思います。純でいい。だけど、周りの大人の責任もあるけど、同時に幼いともいえると思います。
  そう刷り込まれてしまったわけなんだけれど、自分が責任を取らなければいけないと思ってしまうんでしょうか。

そんなこと感じていたのがきっかけでした。

ちなみに、その頃ミッションスクールにいた私は、論破するなんて息巻いて、街頭でかみ合わない話し合いなどをたびたびしていました。
  実は当時でも全くなかったわけではないんですが、まだ今ほどには直接的な危害の恐れは少なかったように思います。今思うと危ないことをしていたなぁと思いますけど。

 

この日の集まりは資料も内容も網羅的に十分な内容の講演会だったと思います。
 講演の中でも質問に答えての話の中でも、今現在まさに問題になっているタイムリーな話も出ていましたし。
 今ここで当日の内容を詳しくリポートはしませんが、内容以前に今言っておきたい一番印象に残っているのが、講師が本題に入る前にあいさつも兼ねて口にしたこんなこと。
 それは、今日ここに講師として呼ばれたことに謝意を述べるとともに、以前の経験から参加者は集まっても2030人くらいかなぁと思っていたのにこんなに大勢の人が集まって驚いている、ということ。

確かに、決して小さくはない講座室を二つもつなげての会場に用意していた机と椅子だけでは足りなくなって、急きょ他所から椅子を運び込まなければならないほど、資料を増し刷りしなければならないほど大勢の参加だったのです。
 200まではいなかったと思うけど百半ばはいたんじゃないかなぁ。通路もぎゅうぎゅう大勢でしたねぇ。
 講師は、2年ほど前からすごく変化を感じていると言っていました。

先日の2.11集会のときと同じように、今本当に剣ヶ峰 せめぎ合っているんだと重ねて感じる集まりでした。

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