2014年3月9日日曜日

「三姉妹 雲南の子供たち」 を観ていて心に浮かんだ先の見えないつらい生活の日々

 私このところ、ここ何年かの中では一番のものすごい勢いで映画を見ています。

 年末年始の上映作品は大作話題作が多く、上映期間も長いように思います。

私なんかは観たいものはすでに年末のうちに観てしまっているので、毎月一度は実際劇場に足を運んで映画を観ようと課している私だけど、この一月はどうなることかと心配になったくらいでした。

 

 それでも、一月も下旬になると上映作品も動き出してきて、このところはちょうど見たいと思うもの がかかる ようになってきて通っているというわけです。

 

その中の一本に「三姉妹 ‐雲南の子どもたち‐」があります。

母は子どもたちを残して家を出、父も出稼ぎに出ていて不在。
日常の生活、食事・食べるということ 衣服 他の子ども・家々との違い・序列も感じられます。
出稼ぎに行っているとはいっても父の収入はあまりない様子。 

母の代わりに父の代わりに6歳と4歳の幼い妹の面倒を見ている12歳の長女は、しょっちゅうを咳をしています。
 間違いなく呼吸器が悪いと思います。 慢性気管支炎、もしかしたら結核かと思うほど。
 歩き方を見ていると股関節も悪そう。

生活(レベル)は今の日本では想像もできないほどのもの。
事情からこの三姉妹の生活はより困難とはいうものの、この集落全体の生活全体が将来にわたってなんの希望も感じられない状態。

もし、あるという言葉で何かを言うならば“絶望”はある と切ない思いになりました。

 

話は変わるけど、そんなことから思い出したことがあります。

以前とても多いことを表すのに、星の数ほどとか数えきれない以上に多いことを表す言い回しとして「たとえ星の数が数えられてもそれ以上に…」という言い方があるんだ云々と言うことを書いたことがあります。

今回このなんら希望が見いだせないというところから思い出したことが二つあります。

一つは「ブエナビスタソシアルクラブ」の中でフェレールが「つらくて歌も歌えなかった」と答えているところ。

 つらさを歌で紛らわすということは聞いていたけれど、歌も歌えないほどつらいというのがあるのか、と印象に残っています。

もう一つは、「サイダーハウスルール」という映画に関してだったと思うんだけど、生まれ育った町には何もなかった“夢”さえもなかった云々ことを見聞した時です。

人はつらいとき、ここ以外の場所にこれから先に夢を見ることでその辛さに耐えるということがあると思っていたんです。

たとえ今目の前に物がなくとも、この先にはきっと明るい未来が…というように。

物がなくても夢だけはいつでもどこでも見られると思っていたんですけど「そこは何もなかった、夢さえもなかった」と言うのを耳にしてびっくりしたのを思い出したんです。

三姉妹のこれからには希望のない毎日しかないような気がして、こんなことを思い出してしまいました。

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