2015年9月11日金曜日

「長岡戦災資料館と中越メモリアル回廊を巡る旅」


雨降りという、外を見て回るにはあいにくの空模様の829日(土)に「長岡戦災資料館と中越メモリアル回廊を巡る旅」に参加してきました。支援活動で行ったほかにもたびたび個人的に行っていたところではありましたが、この度はその後に作られた資料館訪問も含めて関係者の案内 説明が聴けるということで応募したものです。たまたまタイミングよく見つけた企画でしたが幸いでした。
具体的に言うと、JR長岡駅から近いビルの一角に2005年市民有志が募金活動を行い建立された長岡戦災資料館。中越メモリアル回廊の中の小千谷震災ミュージアム・そなえ館(防災学習拠点施設) 川口きずな館 道の駅・アグリの里を回ってきたというわけです。以前行った所もありましたが、そこも含めて案内してもらい説明を受けるとまた別、深まるものだなぁと感じま
お昼は、これも震災当時 被災した人たちに そば をふるまったという逸話のある小千谷そばの名店で へぎそば を食してきました。
 

長岡戦災資料館
 ここは、長岡空襲資料収集保存(焼夷弾模型・空襲の模様・模擬原爆模型・空襲で亡くなった方々の遺影・戦時下の生活の模様他)語り部活動を行っていところ
長岡空襲を実際に体験した人の話。「82になりました…」というこの人の話(方)は実に達者。声の張りも年を感じさせない、場慣れている、話を聞くその時の相手に合わせて内容も話し方も変えられる。空襲されているときの生の話、戦争中の日常の生活、戦争前との変わり様などは見るからに立派な資料などにはかえっておさめられていないもの、数字を知っているだけでは得られない貴重な話でした。往々にしてありがちな尊大な感じはないし得難い人。
展示コーナーにあった年表は、昭和16年の第2次世界大戦からではなく盧溝橋から始まっているというところに、ただ 大変だったとか空襲された恨みの感情だけでない なぜ空襲されるようなことになったのかその前のことも知らなければいけないと考える理性を感じま

 この人の案内で模擬原爆投下地にも行きました。長岡だけでなくここから遠く離れた津川にも模擬爆弾が落とされていること、(新潟)全市民非難命令が出されたことなども知っていましたが、実際にその場に立つのは初めて。巻き込まれて亡くなった方々がどういう人たちだったのか、亡くなった方々の家族のことも含めてどんなことがあったのかをこの場所で聴くことができて、知識として知っていること以上のものを感じます

この模擬原爆投下地がたびたび訪れていた山用品のお店のすぐ近くだったというのにはびっくり。この度のような機会がなかったらこんなに近くまで来ていても行くことはなかったかもしれません。体験した人の話も聴くことができたし得難い機会でした。感謝

 

10年と8か月が過ぎた中越大震災。
震災時の記憶を留める様々な工夫とそこから得た教訓からの防災教育を目的とした小千谷震災ミュージアム。その時結ばれた縁を大切にと川口を訪れるお客様と地域の皆さんの交流 東日本大震災被災地への恩返しを目的とした川口きずな館・きずなカフェ。

特に小千谷震災ミュージアムは、中越大震災を体験した人が語り部となり、工夫を凝らした展示とともにそこから学んだ教訓を伝えてくれて得難いひと時でした。その後の取り組み、見る・聞く・体験する防災学習ということではよく工夫されていたと思います。
訪れる人たちは近郊だけにとどまらず遠方からも来ているようです。当日は、福島ナンバーのマイクロバスが止まっていました。この車でやってきたのはそろいの法被をまとった消防団の人たち。

どこの地方都市でも頭の痛い“シャッター通り” 街全体、繁華街の賑わいが戻っているのかについてはまた別の理由があるわけだけれど、この日訪問して会った人たちはみな縁・繋がりを大切に絆を強めようとしている人たち 元気でした。

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