これから南大門(市場)です。近代的で立派なおみやげ専門店とは別の意味で、何より雰囲気、食材や衣類雑貨のお店をのぞき場合によっては値切るというやり取り、南大門に行ったということ自体に観光客には意味があるんだと思います。
“門”自体は、城塞で区切られていたころの都市の東西南北に設けられた城塞の中の南に位置した門ということで南大門と言われているけれど正式には崇礼門というそうです。尚、東西南北にあった門の中では一番立派なものとの由。
ただ、今日は残念ながらその立派な門を見ることはできません。その時は日本のニュースでも大きく取り上げられたので私でも知っていますが、放火により焼失してしまい再建工事中なのです。だから今日はこの囲いだけ。
ガイドの李さんは放火事件のことを話すとともに、放火犯のことを「今は国が特別に立てた別荘で三食ちゃんと食べています。」という風に話していました。放火から時間がたったということもあるのかもしれませんが、「韓国・ソウルのシンボルがなくなってしまいました。」と少し声が神妙な感じにはなりましたが、貴重な文化財をダメにしてしまったという割には感情的に強く非難するという感じがしませんでした。こんなものなのでしょうか。
それで私の知りえたところで考えてみたんですが、勤めている人でも定年年齢は日本より早くかつ年金等の社会保障は決して十分ではないという社会構造。この人の場合は自営で、再開発に伴う移転補償で折り合いがつかず不満(不安)があった。放火は決して許されることではないけれど、韓国社会においてはこのような将来に対する社会不安が程度の差こそあれ共通認識としてあるということなのかもしれないと思いました。
ちなみに、市場入り口脇に以前の崇礼門なのかと思う写真がありましたのでそれもここに載せておきます。
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