離れたところで起きていることを想う 離れたところにいる人を想う 今目の前で起きていることをさかのぼって確かめてみる 今目の前で起きていることがこれからどうなっていくのかを想う
距離的に離れている 時には昔そしてこれからのことを考える 自分の立場ではなくもし相手だったら そこにいる私ではない別の人その当事者だったら。
へだたり この隔たりを埋めてくれるものは 想像力だと思います。こんなことをしたら いまミサイルが飛んでいくあそこは これをしたら 昔こんなことがあってそれからどうなった ・・・
今の安倍さんたちにはその想像力があまりにもなさすぎます。それだけでなく、すでに失敗を実証済みのことをなぜやるのか、承知でやっているのだとしたらほんとに救いようがありません。
でいろいろ考えやってみるとして、沖縄の人は違うなぁ北の人間とは違うなぁ、かなわないなぁ、この隔たりは埋められないなぁと思うのが沖縄の人たちの運動のすすめ方。
大きな問題 深刻な問題ほど運動は無理ない負担で楽しく。性格的には楽天的なほうが長続きと思います。この基地ゲート前の座り込みの人たちとの交流の時、元先生という人の歌と踊りが披露されました。こんなところで歌と踊り~!とも思ってしまいましたけど、目の前の座り込みは辺野古の新基地反対の座り込みだけれど、考えてみれば沖縄の人たちは戦後70年間ずうっと基地反対の平和運動を続けてきたんだからある意味こうでなければ続いてこなかったのかもしれないなぁと考え直しました。私も北の人間としてそれが悪いとは思っていませんけど北の人はどうも真面目真面目になってしまいますので違いを感じます。
北・寒いところの人と温かいところの人の生まれながらの違いかなぁ
かなわないなぁ。この楽天性 感じ、ある意味肩の力を抜いてということなのかなぁ。だけど肝心のところは決して譲らない、そこは同じつもり。取り組み方進め方は多少違うけどこっちでも継続してますよ。