2015年12月7日月曜日

12-6-1 気温で10度も離れているところでの想い


気温で10度も違うということは地理的にそれだけ離れているということ。(2014年11月)

2012年初めて沖縄に行ったとき、戦後生まれのまだ若い地元の人と話すことができました。後で思えばなんと無謀なことをと思いますが、その人と基地問題のことで話したのです。これまで自分が基地反対の運動に多少なりともかかわってきたことが正しかったと感じたい思いがあったのかもしれません。ところがその人が「生まれた時から普通に基地があったから…  」といったのです。もちろんこの人も戦争をいいことなんて思っていません、本当は基地がない沖縄のほうがいいとも言っていました。もちろん沖縄の人が100%セント基地反対で一つになっているなんて単純には思っていません。内心・本当は反対でも様々な事情で‟反対”を表明しない・できない人もいるでしょう。簡単に割り切れるものじゃないですよね。恐ろしいことだと思うけど、中には基地も戦争も推進している人だっているわけだし。

気づいたんです。私なんかにすればそれだって決して楽なことじゃないんですけど、気温で10度も違うほどに遠く離れたところで‟戦争反対 基地反対“と口にしている困難さに比べれば地元の人の困難さはそんなもんじゃないということ。基地がある景色しか知らずに育ち生活している中、限定的ではあるけれど返還された基地跡の再開発で街が大きく変わったのを知っていても、景色を変えてしまうほどの行動というのは並大抵のことではないということ。

ところで、東京をはじめとする大都会から遠く離れた地方の原発がある町の若者があるインタビューに答えて「ここにはほんとに何にもなかった」「原発があるのが生まれてから普通の景色だった」というのと同じだったのにはびっくりしました。
付け加えて、原発を持ち込もうとする人がずっと言ってきた「原発ができれば仕事もできるし生活が豊かになる」この原発を基地と置き換えると沖縄でずっと言われてきたことになるのも単なる偶然とは言えない作為を感じます。でもこれが間違いだということは原発があるところを見ても、何より日本で一番基地がある沖縄がいまだ日本で一番豊かな県になっていない事実を見てもすぐわかることです。
地元の人の思い 遠く離れた地の人の思い。遠く離れているから口にできる場合もあるならなおの事地元・当事者の口が重い時は声をあげ共同していきたい。(アムネスティの考えはこういうことなんでしょうね)地元・当事者と全く同じではないことに気づきもしましたが、この”10度“の差は差としてともに歩んでいきたいと改めて思っています。

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