2019年8月28日水曜日

P  こちらのバナナは一房35ペソ 






バナナの行商が回ってきました。計りがありますのでg幾らと決まっているのでしょうが、目安として一房35ペソとなっているようです。 指に挟んでいるのは20ペソ札。ちょっとした支払い、チップでもインターの支払いでもよく目にするお金(紙幣)。この持ち方は何か都合がいいのでしょうか。かっこいい スタイルなのかな!?

先日書いた“カリトン”の上の部分だけをトライシクルの荷台に乗せた物(に見える)にバナナを乗せています。このトライシクルは乗用とは異なる荷台・荷物を載せる仕様です。ミネラルウォーターの配達も、パーティのレンタル機器の運搬も同様のトライシクルが使われていました。 ただし、この手のトライシクルに人が載っているのも目にしましたから荷物のみというわけでもないようです。車でも“定員”という考え方は厳しく無いみたいで、おおらかというか実用的という所でしょうか。 ぴたりその物の呼び方もあると思うのですが、聞いた人に言わせるとあれもトライシクルだという事で一蹴されてしまいました。確かにトライでシクルなのは間違いないのですがあるんじゃないかなぁ。そんなことを気にする(気にしない)のもお国柄の違いでしょうか。

ところで、残念ながらせっかく買ったバナナでしたけれど、私の口には入りませんでした。

青くて大きい(太い)調理用のバナナだったら違ったのかもしれませんが、この生食用の熟れたモンキーバナナ、私が外で写真を撮っている間にみんなのお腹に収まったようでした。残念。

2019年8月25日日曜日

P ガードマン余話 “姿勢”




 
もちろん日本でも姿勢の良い人が居るしフィリピンでも姿勢の悪い人が居るでしょうけれど、印象としては猫背とか足元の地面ばかり見て歩いている人は印象にありません。 日本でヒールの高い靴を履いている女性を見ていると「せっかく高い靴を履いているのに膝が曲がったままだからもったいないなぁ」と思うことがしょっちゅうあるんですけど、こちら(フィリピン)で見かけた人たちはみな膝裏がピンと伸びていて気持ちがいいくらい。  履きなれているせい?! とも思ってみましたが、日常・普段は日本で言うところの“ビーチサンダルですべて事足りる”という感じですので、みんながみんなそういうわけでもないでしょうし。ちゃんと顔を上げて前を見てさっさと歩かないといろんな意味で危ないのか、こういう靴を履いた時はどうするという事がマナーとして身についているという事なのでしょうか。 とにかく、膝が伸びて姿勢が良いとそれだけでも素敵に私には見えます。

P ガードマン




 空港から始まって行く先行く先、ホテルでもお店でもいたるところで同じ制服の人が居ました。 最初は「警察が多い国だなぁ」と思っていました。だって隠してではありませんよ拳銃ホルダーがはっきり見えるように腰につけられているし、繁華街の質屋さんの前のところにいた人銀行のドアを入ったところにいた人は2連の散弾銃じゃなくて連射できるタイプのショットガンを手にして立っているんですから日本の感覚でいえば警察と思って当然だったと思います。 ただ、あまりにもあちこちで目につく、そのうえお店に入る時はドアを開けて向かへ入れてさえくれるに至って「ほんとに警察!?」と思って聞いてみたら「あの制服はみんなガードマン」との事でした。 ちなみに、警官とガードマンの見分け方ですが、警官の服はベージュだそうです。アンビュランスは幾種類も見かけたしパトカーも見たけれど、どこかで目にしているのかもしれませんが警察の人・警官そのものは見た覚えがはっきりとはないんです。 これも日本の感覚ですが、銀行はまだしも日本領事館にもこの人たちがいました。その時はまだ、改めて考えるまでもなく警察の人とばかり思っていましたけれど、後に考えればここまで民間なの!とびっくりです。




 この“ガードマン”。仕事として考えると、ケニア(ナイロビ)の時もすごく多かった覚えがあります。正確にはフィリピンで目にした姿勢が良くて同じ制服をかっこよく着こなしている“ガードマンの人たち”という事ではなくて門番や守衛と言った人たち・職種にまで広げての方が正確だと思いますが、朝仕事を終えて帰ってくる人や夕方出かける人を目にしました。ナイロビのジャシー・日本語学院やキベラで会った人達、そして聞いた話では。

 つまり、治安からくる必要性もあるのでしょうけれど、これだけかかわる人が多い・多くできるという事はそれだけ人を雇うにかかる経費が安い・人件費が安い、賃金が安いから回していけるのだと思いました。 日本の労働者の賃金も働いている割にはまだまだ低く抑えられていると思いますが、ケニアもフィリピンも統計資料的には日本よりもまだまだ低い数字となっていますから。

 それにしてもフィリピンのガードマンの人たち、お腹周りのたっぷりした人もいるけどみんな姿勢が良いしかっこ良いですよ。この仕事・制服に誇りを持っているんでしょうね。

2019年8月21日水曜日

矢口史靖監督最新作「ダンス・ウイズ・ミー」 

先日偶然矢口史靖監督の新作「ダンス・ウイズ・ミー」の一部シーンを目にして、賞も取ったし話題になった(宣伝した)「ラ・ラ・ランド」での欲求不満解消のつもりで観に行きました。 この作品誕生の起因は、作中で主人公に直接言わせてもいますがミュージカル映画の「話の途中で突然歌い踊りだす不自然さ」だったそうです。その不自然さ を生かして矢口監督お得意の作品を作ろうとしたのか、ミュージカル映画の不自然さを他の人にも感じさせようとしたのか、さて出来上がった作品はどうだったでしょうか。  今の日本、世界で評価されるダンサーが次々出てきているのは知っていますけれど、個々のダンサー・ダンスは素晴らしくともミュージカル映画となるとどうでしょう。一本のミュージカル映画としての長尺、観客の鑑賞に耐えられるものが出来上がるのか。映画となるとかかわるスタッフも多様な人たちになるし・・・と思いました。 

結果。 矢口監督の以前の作品にもあった要らない間 わざとらしさ で流れがストップさせられるという事はほぼ抑えられスムーズな進行だったと思います。 ダンスシーンは、まさに“ミュージカル”の歌ってそして特に踊ってを途切れさせないでと思うほど楽しませてもらいました。 “広がり”という事では感じることが有りました。いつも何らかの壁というか視線を遮るようなものがあって、ハリウッド映画・ボリウッド映画 昔のレビューのような広がり奥行き人数で違いを感じました。あえてそういう演出だったのかもしれませんが。 特筆は宝田明さん。 日本の作品の主人公はどうしてこうも若い人限定なのか。大人の女性とは違うけれど主人公はもちろんいい出来なんですがそんなことを思います。 印象に強かったのが導入部からの宝田明さん。宝田さんって歳は幾つだったっけ?とびっくり。生きるか死ぬかに置かれた戦争体験のある人だからもちろん若くない。歳なりの踊りと歌声、役になりきっての自然な感じではないんですが、それが舞台・演技を観てる!って感じさせてくれたのです。映画はある意味虚構の世界、一時それを観せてくれているのだと思い出しました。 ベテラン、年齢のいった大人だから出せる味というものでしょうか。
最後のロールで流れたビッグバンドジャズの演奏もよかったですよ。久しぶりのジャズクラリネットの音色、久方ぶりにクラリネットの入ったジャズを聴き返してみようと思いました。

2019年8月19日月曜日

P  パン・デ・サール・“塩のパン”


朝、向かいのお爺さんが
茶色の紙袋を手にして私を手招きしています。 このお爺さん、顔が合えば挨拶をしていた人。自分も一つ食べながら、袋の口をこちらに向けてすすめてくれます。一ついただきました。 卵の白身を塗らないで焼き上げるのでしょう焼き色のついた背中も含めて全体が柔らかな食感、初めて口にする少ししょっぱい味のパン「パンデサール」。 大きさは日本のロールパンと同じくらい。食感はこちらの方がもう少し密な感じ、蒸しパンよりかな。今回口にした物は一つ5ペソ。実物は見ていないけれどこれより少し小ぶりの丸いものもあってそちらは2ペソ。  日本のロールパンは甘くてやわらかくてこれはこれでおいしくて好きだけれど、食事・主食という事だとパンデサールのはっきりと自己主張しない薄い塩味のパンの方が日本で言えばお米のご飯 ケニアでいえばウガリみたいで合いそうです。手にした印象は “焼きたてと言うより出来立て”と言う方に近いでしょうか。  それにしても、このあたりにもベーカリが有ったというのですが
どこにあったんでしょうか。全然気づきませんでした。

2019年8月15日木曜日

P 家具屋さん








 道路脇に家具屋さんが有ったのですが、その品物の並べ方を見てケニアを思い出してしまいました。家具屋さんと言っても当然ケニア・ナイロビもマニラも大小さまざまな店舗がありますが、この規模・扱い商品の品ぞろえのところは自然と似てくるという事なのでしょうか。 ケニアの時(どこでもというわけではなく行った先がたまたまなのでしょうけれど)木製ベッドや椅子を店先に並べている家具屋さんが結構印象的でした。 食べ物と違って家具はしょっちゅう買うものではありませんがフィリピンはどうなのでしょうか。聞いてみたら「結構買う」との由。人口がどんどん増えている・家族家庭の数が増えているからかなぁ、増えていく時はこんなものなのかなぁと思いました。





2019年8月14日水曜日

P 手押し車 =カリトン(kariton)




実測したわけではありませんが、大きさはちょうどコンパネ一枚切らずに丸々使ったと思われる大きさ。その淵を細板で物が転げ落ちないようにしてあります。移動は押手となるバーで押したり引いたりします。 私が見たものは車輪そのものもゴム製のタイヤではなくて木製かと思われるおもちゃみたいな車輪がつけられています、ちょうど子どもがお菓子等の入っていた箱で作った自動車に同じく箱から丸く切った物付けた感じです。小さいので走破性はそう高くないでしょうが、押して移動しているところも目にしましたから機能はしているようです。 この写真の物は地上高が随分低くなっていますが、トライシクルでバナナを売りに来た人の物は荷台に乗せる形で高くなっていました、サイズも少し小さめ。 基本コンパネ一枚サイズの物があって、必要に応じて手を加えるという事なのかもしれません。

P ジャガイモ売り  ジャガイモ=パタタス(patatas) 


     

街を走っているとき変わった台車を目にしてシャッターを切りました。 車窓から見ただけ、手に取ったわけではありませんがぱっと見日本のスーパーではあまり店頭に並ぶことのない小さ目のジャガイモを売っているようです。 こちらではポテト=ジャガイモのことをパタタス(patatas)と言うそうです。ちなみに日本で言うサツマイモ=スィートポテトはカモーテ(kamote)。 主食として一番みんなが好きなのはお米のご飯。パンも食べますし麺類の種類も豊富です。 ポテト=ジャガイモはお料理(副食)にも結構使うそうですが、主食扱いで食されることもあるそうです。話を聴いた人に言わせると山の方でその傾向が強いかなぁとも言っていました。

2019年8月13日火曜日

P タホ屋さん (taho)




 
「面白いものを見せてあげる」と言われて表に出てみたら、温かいお豆腐に黒蜜をかけて食べる タホ を売るタホ屋さんでした。 お豆腐をこんなふうにして食べるのは初めてだろうと想像できたという事は、日本のお豆腐の食べ方を知っている人だったんでしょうね。

日本でお豆腐と言えば豆乳に苦汁を入れて抱えるほどの大きさの型枠に流し込み、大きな水槽で冷やすもの。流通の段階でも温度が上がって痛まないように注意しています。 身体にいい 健康ブーム 高たんぱく低カロリー。理由は様々あると思いますが、食材の一部を豆腐に置き換えたり、新しく考案されたお料理もたくさんあります。 でもこのタホ、日本で言うとちょうど絹ごし豆腐の食感の物をおぼろ豆腐・寄せ豆腐様にして黒蜜をかけて食べる。それも生暖かい状態でと言うのは初めて口にしました。お料理そのものというよりデザートの位置付けの物ですね。 タホは結構深い寸胴鍋に入っていました。見た感じからすると、この寸胴鍋に豆乳を入れ凝固剤を入れて作った、あるいは合わせたものをすぐ入れたそのままなのでしょう。そこから注文に応
じて、備え付けあるいは持参のカップに蓮華・ヘラ用の物でかき出して入れ黒蜜+その他をかけ、味が均一になるようにかくはんする。値段は5ペソでした。

  *タホ(taho)はあくまでもタホで
   あって、お豆腐にはトーフ(to-fu)と
   いう名前があります。
*お年寄りの利用する施設でのおやつの一品に加えてもいいなぁと思いました。

2019年8月11日日曜日

P 仕事あれこれ羅列で紹介




 

みんなで楽しむ“夜は長い”し、この調子じゃ朝はゆっくりしなけりゃ身体がもたなくて結局“宵っ張りの朝寝坊”!?なんて思ったらあに図らんや 朝早くから動き出し仕事に出かける人も多いんです。 早くから明るくなるし朝のうちは過ごしやすい。マニラ首都圏まで働きに出かける人は交通渋滞分の時間を見ておかなければならないのでゆっくりもして居られないのもあるのでしょうか。

 仕事あれこれ。これから話す仕事のあれこれは、当然ながら私が今回目にした…という事になります。大規模な製造業・工場、工業地帯は行っていません、アメリカ イギリスに続いて3番目に英語を話す国民の多い国・フィリピンの強みを生かしてのコールセンターも見ていませんのでご承知おきください。

 話し戻して、まずは羅列的に。まず挙げておきたいのは、ケニアと似てると感じて印象に残っているガードマン。そして家具屋さん。 お店を構えてという規模ではなくて日銭を稼ぐという感じで行商・物売りの人たち。天秤棒で品物を担いで。小さな車(車輪)の付いた木製で荷台の低い代車(kariton?)でのジャガイモ販売。今度は高い荷台のバナナの販売。街中では、売店の他にも屋台や何か言われてらすぐ移動できるようになのか自転車の荷台に品物を積んだまま道端で売っているのもみました。 道の一角を占めるような売店まで行きませんが、歩道に沿って細長く品物を並べているお店(?)もありました。 自転車に側車を付けた三輪自転車に野菜 果物を積んで回ってくるのも目にしました。この人のパイナップルの皮をむくお手並みは「ああやってむくといいのか!」と勉強になりました。 この側車付き三輪自転車はパジャック、ジプニー同様大活躍なのが三輪バイク・トライシクル。トライシクルは人を乗せるタクシー洋の使い方だけでなく、荷物を載せるトラック洋の使い方もされ大活躍です。

2019年8月7日水曜日

複数の分野を横断的に 1/2 突き詰めすぎの弊害 状況が見えなくなってしまう・木を見て森を見ない





もうずいぶん前、20171017日付新潟日報「こころの森」という囲み記事の関西学院大学教授の桜井千恵子さんの回「釜ヶ崎に学んだこと 下」に書かれていたことの一部を紹介します。

1980年ごろから、市民運動は子どもや労働者、女性、障害者らを「守る」運動として、個別にテーマ化していった。状況そのものを問う事に失敗し、社会的弱者を救済の「当事者」として考え、テーマ別に活動した結果、それぞれの運動の間に分断が生まれていったのだ。~

 「第2次世界大戦敗戦後 戦争のない平和な世界を希求する」とした日本を再び戦争する国に引き戻そうとする軍事同盟=日米安全保障条約(運用にあたっての日米地位協定)という不平等条約に反対する労働者 農業などの従事者 母親も学生も、それぞれが直面する問題を感じ共通する原因見抜き日本国民まとまり歴史に残る反対運動を行った“60年安保”。その団結は、岸内閣総辞職させるほどでした。 さあそれから始まったのが国民の分断。用意周到に準備し時間をかけて、団結し強い組合を分裂させ弱体化させる。農産物の輸入規制を撤廃して困らせておいてから支援策を示して懐柔。地域にも格差を発生させる、年齢や福祉要求ごとにおいて細分化を図る。労働条件を改善しないで、生活を苦しくする。まとまることを阻止するために、アンフォーマルな手を使ってまでして到底一つになれないような過激グループを誕生させる。そうして迎えた70年安保は様変わり。 権力を握るものはその権力を手放さまいとして、巧妙に用意周到に先を見越して手を打ってきます。 一人の絶対権力者に対するための多数の団結でしたが、民主主義のより望まれる姿は“多数”だから通るではなくて、少数でも正当なものは通るだと思います。 物事をきめ細かく見るという事と、細分化するというのは似て非なるものと思います。 自分の得意は持ちながら得意とするとする分野にとどまらず、課題を拾い上げ丁寧に対していく。根本の問題に気づき力のある所は力のないところに手を差し伸べながら広く力を合わせていくのが結果として個々の問題の解決にもつながると確信しています。

複数の分野を横断的に 1/2 平和学





昔からこの姿勢でした
日本で初めて「平和学」を開講した(1976年)岡本三夫 広島修道大学名誉教授が亡くなられました。(2019720日) 多少縁があり、ずいぶん昔のことになりますが話を聴いたことがあります。 話の印象は平和学研究・実践の発表というより平和学そのものの説明という感じ。 とどのつまり何なの?とその時の話自体はなんだかよくわからなくて印象に残っていないのですが、言葉の響きでしょうか平和学には何か惹かれるものがありました。

平和の学問、何をするのか一体どういうものなのか。 当時はまだ今のようにネットで様々なことを調べるという時代ではありませんでしたが書籍等で調べてみました。 結果、どれも明確にこれというものは見つからなかったのですが、明確なものがないそれが可能性という気がした覚えがあります。  

調べた中で印象に残っているのが言葉があります、それは「学際」という言葉。 学際 ひとつの分野・細分化された専門分野ではなく、複数の分野の境界領域・複数の分野を横断的に研究する学問スタイル。

もともと私が一つのことにとどまらずあれもこれもとする方で、これでいいんだろうか いつまでも一つのことに決めなくて 絞らなくていいんだろうかとという感じでしたので、そういう考え方がある こういうスタイルもありだと言われたようで印象に残っています。 

2019年8月3日土曜日

あいちトリエンナーレ2019


あいちトリエンナーレ2019 「表現の不自由展 その後」 に展示されていた“平和の少女像”の
撤去を現職の名古屋市長が表明したことが公になりました。  この作品は今回の催しに向けて新たに制作された物ではありません。 2011年に初めて製作 設置されて以来世界各地に設置されている“慰安婦像”のうちの一体という事です。 慰安婦像自体の制作技法だとか美術作品としての評価とかは観る人それぞれ。それでいい、それが正しい鑑賞の仕方だと思います。でもこの像はその誕生の時からそれ以外の理由で取り上げられてきた像だと思います。 そしてこのたびの「表現の不自由展 その後」出展とその顛末でこれまで以上に意味・命を宿したと感じました。  



その後テロ予告が行われるなどのため大きく動きが有りました。 これこそが インスタレーション技法を用いて表現に対しての干渉 “不自由な表現” をみんな見えるようにしてくれたと思います。