こうした所得の格差が子どもたちの教育や保育を受ける機会の不平等を招来するのは、自己責任の問題ではなく、社会の責任です。これは格差が親から子へ継承されることを意味し、格差の定着、すなわち階級社会の形成を危惧させます。
この現状は、長年にわたり我々が選んできた政治家による政治の結果です。モリカケ疑惑、桜を見る会、勤労統計不正、公文書の改ざん・廃棄、忖度副大臣の辞任、大学入学共通テストにおける英語民間試験導入問題、IR汚職等々、絶えることなく発生する不祥事。これらの問題に対する野党からの追及には、答弁をはぐらかす、逃げる、証拠資料を改ざん、廃棄する、あるいは無意味な閣議決定で取り繕う。このような人たちが自ら今の日本の問題を追及し、知力を投入して対策を練り、解決に全身全霊をささげる—そうした姿をなかなか想像できません。機会あるごとに抗議の意思を表明すべきです。抗議の声を出さないのは賛同し、後押ししているのと同じです。
社会時となるからには、常にこのような問題が私たちの身近にあることを意識し、常にその問題への関心をなくさぬようにしてほしいと思います。
ナチスのホロコーストを生き残ったエリ・ヴィーゼルの「愛の反対は憎しみではなく無関心である」という言葉を忘れてはならないと思います。
「君とつばさ」第343号 令和2年3月10日 より
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