男の勇気は人から評価される事
女の勇気は自分が納得できることを貫く事
「聖書を黙想する 183 シモン・ペテロ(41)」 フランシスコ会司祭 静一志
聖母の騎士 2020年4月号
障がいを持った子どもへの対応で話したことが有ります。 絶対という言葉は神様にだけ使える言葉なのでもちろんそうでないこともありますが、父親よりは母親の方がより多く(障がいを持った)子どもの身近な所にずっといるような気がします。と言うか本当の所は男性女性と言うよりは個人差という所なのでしょうが。 でも“戦争”の気配を感じとる肌感覚、それもいち早く、そして組織のしがらみにとらわれず手を取り合うことができるのは女性の方がよりかなぁと思います。“いのち”をその身にはぐくみ産み育てる母親は、数字や法律・動きに先んじて肌感覚で戦争の気配を感じ取り、しかも組織の指導も支援がなくとも行動を始め新たなネットワークを作る、というのは女性かなぁと思います。 原発建設反対・住民投票運動の時、何十年にもわたって反対の意思を訴え続け運動を継続してきた人たちがいました。だからこそこの時の運動が起こったのは間違いのないことですが、原発建設を止めるまでには至っていませんでした。そこへ新しい世代・住人が加わって、新しいスタイルで運動が始まりついに建設を止めることがかなったのです。私はその運動の過程で、運動の質が変わった・流れが変わったと感じた事柄が有りました。どの(大手)企業にも組合にも属していない、これまで運動と名の付くものにかかわったことのなかった女性。小さな子どものママさんたちが参加してきた時・声を上げ始めました。それまで原発建設に対して、積極的な推進派とまではいかなくとも様々な関係から消極的賛成の立場だったようなお爺さん(家長)が、“うちの嫁が孫のために頑張っているから”と原発反対の住民運動にかかわる事を止めなくなったという話を聞いた時私は“変わった”と感じました。
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