新聞で、12月5日に東京で「女性 国際法廷から10年シンポジュウム」が開かれたことが報じられていました。
2010年は韓国併合100年とゆうことで、公私ともに韓国にまつわることが、これまで以上に多くあった年でした。
そして暮れの12月にこの女性国際法廷から10年シンポジュウムの開催。
前々から、この法廷・シンポジュウムで取り上げられた「軍による性暴力・性奴隷」(現在 従軍慰安婦 とゆう言い方は、事実を正しく表していない、とセクシャルスレーブ=性奴隷とゆう言い方が使われています。決して進んで慰安をしたかった被害者ではないのですから、この言葉の方がより正しく表していますね。)のことは知っていました。
だから初めて耳目にした事ばかりではなかったんですが、併せて報道されていたこの“女性法廷”の紹介記事、とくに2001年に下された判決を読んで認識を深めました。
その記事によれば、この女性国際法廷は、1946年の東京裁判で裁かれなかった“日本軍慰安婦”制度を、当時の国際法に基づき、東京裁判以降に明らかになった証拠、証言を取り上げて開かれた民間法廷。
2001年12月、オランダのハーグにおいて「天皇裕仁は有罪、日本国家の責任を認める」判決を下した。と紹介されていました。
私は韓国平和の旅で多くのことを知り・感じ・学びました。
その一つは、ナヌムの家で受けた説明、そして資料館で、先ほども書いた、「従軍“慰安婦”」とゆう言い方は事を正しく伝えていない。正しく伝えるために、今は性奴隷・セクシャル・スレーブと言う事を知りました。
そしてセクシャルスレーブの被害者のオモニたちの年齢のことを考えると・事実を認めること、その上で・謝罪と補償する。そこまで行くことに、速さが非常に重要だと感じました。
第2次世界大戦での同じ敗戦国のドイツ。未だに(新)事実が明らかになり対応に追われることが続いています。でもドイツは戦後間違いを認めているんですよね。現在の政府は、ナチス政権時代のドイツの、ドイツ政府の責任を認めているんですよね。
日本の場合は。すでに補償が必要な問題は取り組み済みであり、そのほかに補償の必要な問題は存在しないとゆう姿勢でいます。
“叩いた方は忘れても、叩かれた方はその痛みを忘れない”と言います。
叩かれ痛みを覚えている側が言っているのです。問題を認めず、揚げ足を取るように数字的な相違を取り上げる姿勢は決して誠実とはいえないし共感を得ることはできないでしょう。そもそも記録が残らないほどに「奪い・殺し・焼きつくす」を日本軍がしたんですから。
ないない といつまでも認めないから、次へ進めない、友好状態が築けないんだと想いいますね。
日本も被害を受けたんだ、とゆう事に関して。
事実、日本は加害者であると共に300万人とも言われる方が亡くなり、広島長崎の原爆の被害も受けました。一般の人たちにとっては勝っても負けても大きな被害を受けるのが戦争とゆうことですね。
この時も忘れてならないのは、なぜ被害を受けることになったのか を考えることですね。
戦前、中国に日本の軍隊はいたけど、日本に中国の軍隊はいなかった、とゆうことを考えることですね。
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