2011年の映画は、「ベンダ・ビリリ」から始まりです。
この映画、非常に"タフ”な映画でしたね。(制作にかかわった人も、登場した人たちコンゴ民主共和国の人たち、そして出来上がった作品も。)
同じ肌の色の人たちの中・国だから、肌の色の違いによる差別・困難は(肌の色の違う国に放り込まれたことを思えば)心配するほど無いのかもしれないけど、身体に持っている不自由・障害での差別、そして困難はしっかりあるでしょうね。
ただし、そのような困難の中でもこれまで生き抜いてきている。ただ施してもらうのではなく、歌・音楽を披露してその対価としてなにがしかのものをもらう。神じゃないんだから、100%問題なしではないだろうけど、その過程で仲間を裏切ったりより弱い人間を攻撃したり切り捨てたりしない。
それでどうやって生きてるの、と想像を越える毎日なんだろうけどたくましく生き抜いている。その困難を、音楽で、歌で笑い(この場合は歌い)跳ばしている。それどころか、題材にしている。タフだなぁ。と感じます。
途中で「ブエナビスタ・ソシアルクラブ」を思い出しました。「あんまり苦しくて、歌を歌うこともできなかった」と話すところを。
苦しさを紛らわすために歌った、歌しかなかった、と聴くことがあった中で“歌も歌えないほど苦しい生活”と話すのを聴いたのが忘れられないのです。
“絵のような(現実ではありえないような)美しさ”の上に“絵にも描けない美しさ”があるように、歌でたとえるとこうゆう言い方もあるんだな、と気づかされて。
メンバーの子供達が「CDが売れればお金も財産もはいる・・・」と言うところは、(仕方ないと理解しつつも)お金・財産を手に入れ物を持つと失うものがある、持つこと=幸せ とは限らないんだけどなぁ、と思いながら聴いていました。
ところで。昨年はコンゴの伝統音楽のCDが再発されたり、べスト版フランコ・フォニックがでたり、そしてこれでしょ。何かコンゴの節目の年だったんでしょうか。それとも偶然?
映画パンフに乗っていた、ベンダ・ビリリの来日公演 残念なことをしました。
京劇もそれが観劇の動機になったんだけど、現地まで行くことを思えばすごいチャンスだったんですけどね!
ギニア国立舞踊団 来日しないかなぁ。
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