2011年3月28日月曜日

2011 東北関東大震災  足りない水 燃料 物資 情報


 坂総合病院は近隣80カ所の避難所医療活動を担当していました。

 避難所へは、インフルエンザがはやりだしノロウイルスも発生したということで感染症対策も念頭に置いて訪問しました。
 どこの避難所も水やガスが未だ復旧していないという根本的な問題がある上に、食料も衣類もそして情報も足りませんでした。

届いているところ届いていないところ、偏って届いているところというばらつきがありました。

  私が訪問した避難所、一カ所は体育館、一カ所は体育館が危険と言うことで教室に分散しているところでした。
 天の高い体育館はもちろん、どちらも寒いし乾燥していました。
何せ電気ガスが復旧しない上に灯油が手に入らないと言うことで、この寒さの中で充分に暖房ができないんです。

 ごく最初のなにもない状態から比べればいいのかもしれないけどいまだ菓子パンとペットボトルが中心の、それも一日一回だったり二回だったりの食糧配給。
 給水車まで行ってやっと水を確保。
 材木を燃やしたり、プロパンガスを調達してやっとお湯を沸かしてカップラーメンがようやく口にできるようになったところもありましたが。

 夜病院で、ここ数日ようやく出せるようになった一人一個でお願いしますという炊き出しのおにぎりを食べながら二十歳代の看護師が「毎日あんなのばかりだと、たまにはガツン!!としたのが食べたくなるでしょうね。」と言ったのを聴いて深く納得するような食事状態でしたね。

 この環境と食事状態、たまる一方の疲労。
すでに出始めていましたが、災害後の体調悪化が進み突然死がでるのは容易に想像できました。
まだ強い余震が何度も何度も続くとはいえ、最初の急性期をすぎても未だ混乱状態が解消していない状態でした。

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