2012年12月31日月曜日

2012年の終わりに 2013年の向こうを見越して


いよいよ2012年も終わり。

今年もあわただしい年末、そしてその流れのまま正月を迎えることになりそうです。

時代がそうなったからと言えば確かにそうなんだろうけど、周りの気配を感じ取るほどに静寂の中で穏やかに今年を振り返るという風情はなくなってしまいましたね。

特に今年は家の改装中と言うことがあるので作業道具は出てるはブルーシートはひかれてるは荷物は片付かないはで、いつもの年以上です。

異動 適任とも思えない仕事。 “生きてるなぁ”と感じさせてくれる毎度のこともありましたしね。

 

改装、まるまる一年がかりになってしまいました。

こんなに大掛かりになるとは当初思っても見ませんでした。

自分一人なら「寒い!!」と叫んで我慢もしてきたけれど、頭にある人を思い浮かべながら「これでは人を呼べないなぁ」と思って1月に付けたエアコンがきっかけでした。

私の抱える条件ではどの方式がいいのかK大工さんに相談して、コストや暖かまりを考えればもっと安くて強力なのもあるけれど電気が一番安全じゃないかと言うことで電気式のエアーコンディショナーにしました。

設置も、何時も私の事を思いやってくれているK大工さんにお願いしました。

その取り付け工事の時に、自分でもわかっていたんだけど見ないふりをしていた外壁の傷みを「今やっておかなければかえって大変になる」と指摘され、現役でなければローンは組めないという助言もしてもらって踏み切ったわけです。

今思うとギリギリのタイミングだったなぁと感謝しています。

 

それからが長かったー。

銀行。最初に相談していた人が異動したと言うのが大きいとはいえ、今年1年はこれで暮れたようなところがあります。

未だに契約完了にならないほど手間がかかっているんですもの。

 

実際の改装の方は梅雨明けくらいからいろいろ相談していました。

これまでに集めた楽器類、PAなどをおさめる部屋。

そして60年代70年代の映画に出てくるような窓が回り込んだ見晴らしのいい部屋を増築することにしました。この部屋から山々が気持ちよく眺められます。

山々と逆の向きでお祭りの時の打ち上げ花火もOK

屋根裏もスぺースを広げました。光と風が通るようにしてもらいました。

此処からの眺めも素敵です。

 

一階は、大きな吹き抜けの部屋につながっている和室の鴨井から天井の間の壁を取ってもらったのでこれまで以上に広大な広さになりました。十分出し物ができます。

まきストーブの有った煉瓦張りの一角は「ここで歌ったらいい響きだろうなぁ」と言う感じです。

ピアノをおいていた場所は壁を撤去ました。つながっているんだけど、少し隠れ家部屋的な雰囲気も感じる一角になりました。

 

壁の色も考えました。

土・木の幹、木々・山々の緑、大きく広がる空をイメージしてみました。

素敵です。

 

外壁は外張り式。

これ自体に断熱材が組み込んであるうえに、プラスして高機能タイプの断熱材を組み込んでもらいましたので断熱性も格段に良くなったみたいで、明け方の室温が昨年までより34度上かな。寒いことは寒いですけどね。

入れ替えた窓、音漏れ効果も大のようです。特別に大きな音でなければ音楽の催しもできそうです。

 

ここに移り住んだ時も「新潟の街中からなんで?」と言われたけど、この度も人から見れば“何を考えてるんだか! ” 

 

3月くらいに先日の演劇「ねこ走る」で一気に記憶のよみがえった画家のKMさんの遺作展をしようかなと思っています。

5月にはフェアトレードデーに合わせて何かできたらいいなぁとSさんと相談を始めました。

 

まだ先だけど、退職した後もやることができました。

 

 

追伸

先日の衆議院総選挙について。

3年前、変わると期待させておいてその期待を裏切った分民主党が議席を減らすのは間違いないと思っていました。

だけどここまで減らすとは。

自民党が得票数得票率ともに、特に増えたわけでもないのにここまで当選者を出すとは。これはもう選挙制度の弊害としか言いようがありませんね。

 

結果として、すごい危険な考え発言をする阿部さんが首相になりました。

どの国でも、極左も極右もいます。

だけど、その極端がここまで多数になるというのは特異。異常な状態としか言いようがありません。

2012年12月29日土曜日

クリスマスには奇跡が起こる2012


今夜はクリスマスイブ

明治以来ずぅっと約1%の構成比の日本のクリスチャン人口。

とてもとてもクリスチャンの国とは言えないんだけどクリスマスはにぎわいます。

と言ってもどちらかと言うと、クリスマスではなくてクリスマスイブの方がにぎやかと言うのはご愛嬌でしょうか。

 

明日クリスマスは平日で仕事に行かなくちゃなりませんが、昨日今日はお休み、ちょうど良いクリスマス休暇になりました。

 

それに先立つ22日土曜日午前は今年最後のヨガの朝。

思えば通い始めたころは間に合うように朝起きること自体が大変だったのに、今は一週間の楽しみ。生活のリズムにもなったのか朝も余裕を持って起きることができるようになりました。 

悲しい修正か、一度目は覚めてしまうんだけど仕事へ行く日よりは小一時間は布団の中で段取りを考えながらあっちを向いたりこっちを向いたり愚だ愚だできてます。パッと起きて何かすればいいのにとも思うけど、まッこれもありかな、と思っています。

 

この日は今年最後そしてクリスマスと言うことで指導してくれているバラティさんが紅茶と手作りケーキを用意してきてくれたのです。

チャイにしようと思ったけど牛乳がなかったので紅茶に、甘味を付けるもの膨らませるものもなかったから(使わない?)バナナとレーズンで甘味をつけこげ茶色の、パウンドケーキよりも水気たっぷりの3cm5cm角位にカットされたケーキ(!)です。

今年、そして最近思っていることなどを話しながら有意義なひと時を過ごすことができました。

まったく予期しないクリスマスプレゼントでした。

 

午後からは福祉作業所のクリスマス会にjunjunの仲間と出演してきました。

クリスマス会と言っても教会のクリスマス()を知る人がいなかったのかゲーム・運動会みたいな感じ。

私今回はアフリカンな感じではなくてサンタさんの衣装にしたんですが、他にサンタさんに扮している人がいませんでした。いたらいいのかと言うわけでもありませんけどね。

この秋宝市への出演がなかったから久しぶり、楽しい一時でした。

ジェンベの叩き分けもこのところコツをつかんだような気がしていますしね。

最後は会場のみんなも参加して踊りまくった一時を終えくつろいでいた時に、これから交換プレゼントをしますからどうぞと呼ばれて作業所に通う人たちとの交流、交換プレゼント。

いくつもの作業所で作られている品々の詰め合わせをもらいました。

繊細さ。たとえば器なんかでも肉厚ぼってり手にも持ち応えのある出来。

でも何か感じる。手にしていると何かほんのりしてくる、一人一人のストーリーが見えてくるプレゼントをもらいました。

 

クリスマスには奇跡が起こる

こんな私ですけど、こんな素敵なクリスマス(プレゼント)をいただきました。

2012年12月27日木曜日

9-16 日本の常識 世界の非常識


 

日本だけに居るとなぁんにも感じずにいることも、いろいろ見聞きしてくると「えーッ そうなの!」と言うことがあります。

その全部において日本の方がおかしいことばかりとは思いません。

でも、残念ながらあることも確か。

 

意図して言い方を変えることによって本質をぼやかしてしまうこともしていますね。

軍隊を保安隊・自衛隊、戦車が特車とかね。

 

従軍慰安婦の「慰安」と言う言葉もそうかなぁ。

最近はあまり使うことがなくなったように感じています。いろんなニュアンスが入っているのであまり使われなくなったのかなぁ。

とは言え日本においてはこういういい方あります。

 

資料館で説明を受ける中で、国連を始め日本以外では本人の意思を無視して強制されたこのことを紹介する時は「性奴隷=セクシャルスレイブ」と言う言葉を使っていると聞いたときは正直ドキッとしました。

でも確かにこの言い方の方が本質をついていると思います。

 

なぜ慰安婦になったのか(されたのか)、従軍なのか。

そう考えあわせるとこの従軍慰安婦と言う言い方は本質を言い表していないと思いました。

2012年12月24日月曜日

K   事の顛末  だから優しくできる


 

 
Kさんも私もこれまで生きてきていろんな経験をしています。

良いこともたくさん、楽しいこともたくさん。

同様に、いいことばかり楽しいことばかりではなかったとは思いますけど。

 

だけどその両方が、すべてがあってこそ今のKさんがあり私があるわけです。

 この経験があるからこそ、相手のことを理解 受け入れることができるようになったし、私はKさんを大事にします。

 

無駄なことは何一つとしてないと思っています。

 

 過去は今更変えることはできないけれど、未来は自分で作ることができると思っています。

 これから先、楽しいこと良いことを共有して幾度も楽しみ なつかしむことがたくさんあるでしょう。

残念ながら、毎日の生活の中では時にその逆もあるでしょう。

その時でも、いやそういう時だからこそ寄り添えたら。“富むときも病む時も”で行けたら。

 

痛い体験、苦しい思いもたくさんしてきました。

 だからこそ優しくなれる。相手のことがわかると思っています。

良い時ばかりではないでしょうけど、(喧嘩も大事)Kさんに優しくできると思います。

 

少なくとも努力します。                    

いつも健やかな時ばかりではないでしょうけど、努力します。

立ち止まり、振りかえって、初心を大事にします。

 

 

と思っていました。

絵の社会性


 華麗なるインド -インド細密画と染色の美-   新潟市新津美術館 に行ってきました





“インド細密画”

歴史的には、経典の挿絵として始まったインドの細密画=ミニアチュール。 
時の権力者の庇護を受け繁栄してきました。

今回の展覧会に、“庇護”を受けるとはこういう意味でもあると言う、絵画の持つ社会的な力、それを使うということをわかりやすく見せてくれた作品がありました。
“誰のために”描くかがどのような作品を生み出すかをよく感じさせてくれる何枚かを見つけたのです。

もちろん技法として技術的に問題があるわけではありませんよ。


 
“絵”

描くということでは、線描、平面的なものから、肉体が生まれ、背景が生まれ、奥行・遠近法が発見され、写実・具象 抽象。見たように描く、思ったように描く、描きたいように描く。

技法だけでなく、発想も多様なものが許されるようになりました。
なんに描くか 何を使って描くか、何を(題材)描くか。

時間としての歴史的変遷だけでなく社会的な意味合いも変わってきました。

そして 誰のために描くか。
 
 絵を描く技術ではなく権力を持つ人のために絵画があった(もちろんこの時この場所にだけではありませんよ) と言うことが端的に見て取れる作品があったのです。


 

“絵に意味を込める”

いろんな込めかたそして解釈がありますけどこの度は誰が一番偉い、力を持っているかを文字がわからなくても、大きさや占める割合でだれにでも理解させるに使われた好例が展示されていたと言えるでしょう。

立ち位置、視点も一枚の絵の中でいくつもあります。鳥観図もそうですけどこれはこれでこういう描き方、技法でもありますけど。

2012年12月22日土曜日

スキヤキ   本物を見つけました「グナワ・ディフュージョン」


これも思わぬ拾い物。

 

 本物を見つけました。

アマジーク・カテブ「グナワ・ディフュージョン」

ただ、グループとして20年の歴史があるということなので、単に私が知らなかっただけのことと言うだけですが…

 

会場に音が響きだしたその瞬間に私はパリ、それもパリの地下ライブ会場に立っていました。

現実にはそんな奇跡は起きなかったんだけど、これまで映像で観ていたユッスー・ウンドールのライブの雰囲気などと同じでした。

 

グナワ・ディフュージョンはアルジエリア人とフランス人の混成メンバー。

 

フランスそしてアルジェと言うと真っ先に思い出すのは映画「アルジェの戦い」。

アマジークさんのお父さんはこのアルジェリア独立闘争、アルジェの戦いの戦士だったんです。

お父さんはフランスとの独立闘争に勝ったのち、今度は自分たちが勝ち取り作った政府が自分たちを管理しようとし出したことに対して「政府のやっていることの反対(のこと)をすればいいんだ」と言うことを言っていたそうです。

それにつけても、このスキヤキでその独立闘争をした人の息子さんとの時間を共有できるとは思っても見ませんでした。

2012年12月20日木曜日

K   事の顛末   「 車どこに止めたの?」 「駐車場」 そりゃそうだろうけど…



レッスンをやめる人の送別会場を出たところで自然な流れで訊きました「車どこにとめたの?」 「駐車場!

そりゃそうだけど…  こんな返答、こんな返し方しかできないの? 

いまどきびっくりするほど面白くない。いまどきこれほど 紋切り方 と言うのも珍しい。

 服装だって、色のない 生気のない雰囲気。 他の女性たちとも異質な感じ。

どういう生活をしているのか、どういう育ち方をしてきたのかと気になるほどでした。

 こんな感じの人、仕事はなんだろう、と思いました。

何もわからなかったし、何も話してくれなかったけど。


 

これまで、もちろんうまくいかないよりはうまくいった方がいいと思っていました。

でも、あまり進展するようにも見えなかったし。

この感じでは(仮に)一緒になってもうまくいくのかなぁと、自信も持ちきれませんでした。

  私は、そんな生活スタイルじゃ面白くないんじゃないかなあと思うけどKさんはそれがいいんでしょうね。

平穏、波乱がない、何にも起こらないから大変なこともないし。でもそれじゃ人生楽しくないと思うんだなぁ。

そこが、もう大きな違い?!

私はそれじゃぁと思うし、Kさんはそれでいいと思ってその生き方を選択しているわけで、それを変えようと思っていない。

 

「あなたは一人で生きられる」Kさんが周りから言われているという言葉。先日、そのことを頭において「表意文字としての人・人間」を書いたんだけど、何か言われる理由がわかったような気がします。

何の波乱もない毎日、楽といえば楽。最初からそれしか知らなければ何も感じないのかもしれないけど、私は“つまらない”と思うなぁ。 

(これも「つまらなくなければいいんです」で少し前に書いたことに重なっています。)