2012年12月2日日曜日

12月最初の朝 そして一日 


このところの荒れ模様でいよいよ冬到来かなぁと思っていました。

とはいえ12月最初の朝は一段大荒れの朝です。

 ヨガ会場に向かう途中、フロントグリル、ボンネットに雪を乗せた車と何台もすれ違います。

角田の山も中腹から上は白くなっています。

 
 今朝のヨガに集まった人はこの悪天候のせいか何時もより少なめ。顔ぶれも以前から続けている人ばかり。

それゆえか、今朝のアーサナーはいつもよりハード(?)な組み合わせ。

 でもついてゆけます。
いつまでも変わらないような感じでいたのに、それでも馴染んできていたんだなぁ、と少しうれしい。

 少なかったし、メンバーの顔触れも顔ぶれだったので終わってからの話の一時もいろんな意味で満足しました。

 そんな満たされたヨガを終え、車に戻り今夕のコンサートに声をかけていたKさんからの返事を確認と思ってスマホをチェックしたら、久しぶりのSさんからの着信履歴が。

何だろう、懐かしいなぁ、どうしてたかな、と思ってかけ直したら不在。

 今朝はヨガに続いて、今している改装の設計をしてくれた人との打ち合わせの予定があったのでそちらへ車を走らせます。

打ち合わせの後で再び連絡が来ていないかとチェックしたら、Kさんからの「今日は仕事でダメ」とのEメールとふたたびのSさんからの不在着信。 今度こそはとかけ直すもののまた不在。

もしかしたら、と思い当たることがあったのでSさんと私共通の知り合いに連絡したらやっぱりそうでした。

Sさんからの用件は「今夕公演がある。だけどこの悪天候。ぜひ来てほしい。」という連絡で間違いなさそうでした。

 実はKさんを誘ったコンサート。もう何年も何年も前(家族がいたころ!)のことになるけど縁のあったミュージシャン。歌がうまいのは当然として、楽しませてくれるということでも実力のある人。 サポートメンバーも充実してるし。結果として仕事で行けないということにはなったけれどKさんを誘った手前もあるし、一人でも行くつもりでいたコンサート。

 でも連絡を取った人の口から出た言葉は「Hさん元気にしてたぁ、ぜひ来てー。うちの主人(Mさん)が亡くなる4か月前に観た最後の舞台だったの。観終わって、すごくよかったって言っていた舞台なの。」でした。

 無くなったご主人にはよくしてもらいました。一緒にあちこちでかけました。

絵描きさんでした。良いところに勤めてお給料をたくさんもらって、と言う生き方からは違う道を歩む人でした。

すごくいい人。物欲にとらわれ、常識にとらわれたままの私にはそれゆえに大切な人でした。いい(・・)人なんですよ。

ほんの今まで思っても見なかったこの舞台の方に行くことに決めました。揺らぎは全く感じません。

 

舞台は3人の俳優による、台詞・演技・掛け合い・その調和で運びました。

独唱・一人の素晴らしさ、合唱・組み合わせ、どちらも素晴らしい。息の有った3人で共に作り上げる舞台・一時をうらやましくも見続けていました。

話しは、工藤直子さん原作の「ねこはしる」を基にしたもの。

仲間内の同じことができない、自信を持つことのできない猫と小さな池の中だけで一生過ごすしかない定めの 鯉にあこがれる 実は自分が何という魚かわからない魚との出会いから話は膨らんでいきます。

エンディングの、逃れられない定めを悟った友の「ならば!」の思い。その思いを、とても受け入れられないと答えたものの、改めて決意を聞かされる中で友の本当の思い・願いその先の夢を知り受け入れていく。

 
 ストレートに死を描いている演出ではなくて暗示させるラストの描き方。この先にある死を暗示させることで逆に今の生を考えさせる演出でした。

 

死を自覚し、実際4か月後に亡くなったMさんが最後に見た舞台、と言うことが一層ドラマチックに感じさせてくれました。

今朝のヨガで、まとっていた鎧を下ろして無防備なほどに今開放されている私にしみました。

  今夜は最初からこういう定めだったんでしょうね。

 

感謝

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