2013年6月30日日曜日

10年を優に超したジェンベとのおつきあい 2/2


ジェンべの叩き分けは、太鼓や革によって左右される側面もないではありません。

でも叩き方かなぁと思って、手・指の形や勢い、力の加減などをいろいろ考えながらしていました。立奏の時のことを考えて椅子に腰かけて叩いている時でも深めに傾けていました。

先日、その深めに傾ける姿勢を、傾けすぎと指摘され起こしてみました。

そしたら腕、肘の曲げ方、手・指の当たる位置からしてすごく打面を叩きにくいんです。スポーツ選手がフォームの改造で苦労しているのがほんとによく実感できました。

いろんな姿勢、肘の曲げ具合を試してみました。

そしたらパンッといい音が出るところがあったんです。特別力も勢いもつけないのにいい高音・中音の出る“場所”があったんです。

私のジェンベ、今の皮の張られ方は、正中線(背骨のところ)が少し左に逃れているんです。それはわかっていました。

私、左手の方がどうも弱いみたいなんですが、どういう加減か左手の方がうまく高音が響くときがあったんです。それで、かえって弱い方がいいのかなぁなんて思っていました。

ところが今回ジェンベの傾け方を浅くした分、肘を外に張だし腕を曲げ、結果として手先が体に寄るような位置で叩かざるをえなくなったら、何と右手でも高・中の叩き分けがはっきりしたんです。

良い音の出る場所、スイートポケットと言うことですね。

どの太鼓との出会いでも、まず知り合いになる 良い音の出る場所を見つけることが必要だということに気付いたんです

 

確かにいつまでも残っている私 他に場所の見つけられない私だけれど、この場でも今回のように得るものがまだまだあったということに気付かされたのです。

たまにだけれど確かにこういうことがあるから、やっぱりやめられないということなのかなぁ、と感じた次第です。

10年を優に超したジェンベとのおつきあい 1/2


続けていたからこそわかる事。たまにだけど確かにあるから、やっぱり縁は切れないのかなぁと改めて考えてしまいます。

 

なんでも知りたがり屋の私、ジェンベのことは実際に習ったり、ましてや安くはないマイジェンベを購入する以前から、変わった形の太鼓だなぁ等々と見知っていました。

その後実際にアフリカ・ギニアの人たちのワークに参加。これまでたびたび話に出てきているワークでは、今もお付き合いさせてもらっている沢山の仲間とも知り合えました。

ワークではアフリカ西部の伝統的な音楽、リズムもたくさん教えてもらいました。個人でも、映像・音・文章でたくさん学ばせてもらっています。

ワークでは、この間に手に入れたさまざまな民族楽器、小物類をたくさん試させてもらいました。楽しかった~

 

顔を出し始めてもう10年越したワーク。

ワークはほとんど毎回初めての人が来るので、ジェンベの説明、高音・中音・低音の叩き方に一定の時間を当てています。 

基本は大事。どんなにベテランになってもないがしろにはできないことです。

参加者はほんの一回顔を出しただけの人、何回か来てそれで満足したのか、いつの間にか来なくなった人たち、と様々です。

ただし、こなくなった人たちも決してそれでジェンベと縁が切れてしまうんではなくて、このワーク以外に仲間や叩く場所を見つけて巣立って行ったと言った方が正確なのかもしれません。催しの時に顔を出してくれたり、仲間を募ってグループで参加したりしてくれていますので。

それに、ワークのスタイルがだんだんトラディッショナルによってきたようで、以前のように様々な楽器を持ち込む、リズムを刻むことを良しとしなくなったような感があります。 

考えてみると私だけがステップアップもせず、他に場所を見つけることもできずに同じところに長居しているのかなぁ。

2013年6月26日水曜日

1-16-42 お店のあるショッピングセンター

   お店のある場所はシッピングセンター。

 ここもゲートがあり警備の人がいます。

 とは言っても、路面も荒れていたしこれまでで一番埃っぽい感じ。

 そう、どちらかと言うとさびれたような感じのするところでした。

 駐車場に止まっている車も、そのボディーもなんとなく埃っぽい感じがします。


 
 隣接して遊園地なのでしょうか、観覧車が見えます。ただし営業していないのかだれも乗っていませんし止まったままです。

 

2013年6月25日火曜日

1-16-41 最後のお昼 心なしか落ち着きません


 
 
 
 
昼食をと言うことになり、ケニアの家庭料理が食べられるというお店に行くことになりました。
 

このお店、ママさんがいる時といない時でおいしさが違うということだそうですが、今日はいる日だろうかどっちでしょう。


時間はいよいよ限られてきて、心なしか落ち着きません。

 

言葉が足りなかったこと2題


 

言葉が足りませんでした。

 

Fさんの赤ちゃんの突然死はこのことのためだったの?  の話の時最後に 祈っています と言うことを忘れました。

正直どうしたらいいのかわかりません。

どうしてほしいのかわかりません。

たとえ同じようなとてもつらい経験をした人と話しても、それはあくまでも“同じような”であって本人のそれではありませんからね。

離れてはいるけれどここにもあなたのことを思っている人がいるということに気付いてくれたらと願っています。

離れて暮らす私は今私の暮らすこの場所で想いを馳せ祈るばかりです。

 

もう一つ

エネルギーの源 怒り  の話で 怒りのエネルギーのことを乗せましたけど。 

 これはやっぱり最高 最強 のと言うことではありませんのでね。そのことはお断りしておきます。 

 一番はやっぱり愛、愛による力ですよね。

 怒り(の力)で動くのは瞬発的なものにしかならないと思うんですよね。

 やっぱり一番は愛だと思うし、愛に裏打ちされた行動だけが一番大きく何時までも続くんだと思うんですよね。

2013年6月23日日曜日

Fさんの赤ちゃんの突然死はこのためだったの? 


Tとの離別によって縁戚としては関係が無くなった後も、ありがたいことに別の縁によっておつきあいさせてもらっているKNさん。

先日久しぶりに電話をもらい、その要件の事で会って来ました。

 

用を済まして帰ろうとしたらわざわざ寄ってきて小声で聴いてきたのです。

Mちゃんの事知ってますか?

ただならない雰囲気。

「いや、何も聞いてないけど」と答えると。

一段と身を寄せて押し殺した声で「5月に(日にちも聴いたはずなんだけど今はどうにも思い出せません)Tちゃんが亡くなったんですよ」

「えーッ」

「突然死だったみたいです」

このお正月に初めて会わせてくれ抱かせてもくれたばかりなのに。

鼓動が早くなったのか遅くなったのか。身体が急に冷めたのか熱を持ったのか、冷たいのに汗が出て来て。

後のことはよく思い出せん。

Mさんが今どうしているのか、Mさんにどうしたらいいのか…

KNさんに言わせると「今は何もしないでそっとしておいた方がいいと思いますよ、お盆には帰ってくると思いますし。」

かける言葉も思いつかないけど、実際声をかければ思い出させてしまうだけかもしれない。

どうしたらいいんだろう。

 

Fさんのことを思い出してしまいました。

もしかしたらこのような状況のためだったのかとも思ってしまいました。

Fさんが自身の子を突然死で亡くした時、そして後の日々でどうしてもらいたかったか

教えてもらいたくなったのです。

だけど連絡をとれる関係ではないし、住所も電話番号もEメールアドレスもわかりません。

どうしたものやら

1-16-40 ジラフセンターの民芸品店


ビジターセンターの左後方に、手彫りの人形等の民芸品を作りながら展示販売をしているお店がありました。

ジラフセンター入り口から右手に売店そしてキリンを見ながらビジターセンターへとなるラインから離れた場所。観光客の賑わいもここではあまり感じられません。

心なしか、うら寂しいというかなんとなくここだけは匂いも違っている感じでした。

人形が身に着けている服の臭いを嗅ごうという気が起きない感じ。

 何か明るくない感じ、日差しはあるんですけどねぇ。

 何かあるのかなぁ。全く個人的な皮膚感覚的な物だと思うけど。

2013年6月22日土曜日

エネルギーの源 “怒り”


 
 
今すがすがしい解放感でとてもいい心持です。

今日 かのん の公演でした。 仕事は別ですけど、職場の事なんか忘れておきたい気持ちです。

 本番に向けての準備の日々。心配になる事柄も含めて、だんだん高まってくるあの感じ、これだからやめられません。


 

今日の会場となったところでの公演はもう何回になったでしょう。

ただし、年度が変わってから初めての公演となった今日はこれまでとずいぶん違いました。

この春の人事異動でスタッフが大きく入れ替わりました。

で、こうも違うものかと感じることがほんとにたくさんありました。

今までが恵まれすぎていたのかもしれませんけどね。

それにしても変われば変わるものだと感じます。

わざわざ催しなんかしなくていいんです、場所がありませんからこれまで置いていた物は退かしてください、練習を含めて会場を使える時間はお昼休みでだれもいない時だけです。

直接口でも言われましたけれど、あまりにも露骨な態度・表情には、ある意味正直な人なんだななぁと思ってしまうほど。

もう公になっていた日程だったのでいまさら取りやめにと言うのは双方できないということは感じていたものの、やる気がなえてしまうようなやり取りでした。

それでも見に来てくれる人たちのことが脳裏に浮かび、逆張りと言うか こうなったら意地でも! と、言うのもおかしな話だけど、かえってみんなの気持ちがまとまったみたい。

今日の出来、よかったですよ。

 

私常々思うんですけど、最も強い動機付けは 怒り ですからねぇ。

2013年6月20日木曜日

おかしいんじゃないの 4/4 水に流してくれなんて、やった側が言えることじゃないでしょ


 


勝手にそんな事言い出しても、相手のいる場合 相手はどう思うか気にならないのかなと思いますけど「水に流す」と言う発想。

“水に流す” これまでのわだかまりをないものにして新たな関係を築く。

 一度すべてをなしにする。

ある意味、それをいさぎ良しとする独特の考え方を持っているのではないかと思うこともあります。

 

これは有りかなぁというのは、ここ数年話題になっていてつい先日終わった「式年遷宮」。ある意味文化、伝統と言うことなんだろうなぁと思います。

60年ごとに全く新しく建て替えるという慣習“文化”に象徴される、前のものを一度なしにして新しく始まるという発想の仕方もあるのかもしれない。

 

だけど、これは事と場合によると思います。ことを起こした側が「水に流す」なんて口にするのはおかしいと思います。

従軍慰安婦=性奴隷の事のような事は水に流しちゃいけないんですよ。 

 

それでも、こちらはやったということを認めたうえで水に流すということを口にするわけだから、問題の存在すら認めない態度とは違いますよね。

おかしいんじゃない 3/4 証拠がない ではなくて隠滅したんじゃないの


 

ところで、この「証拠がない」ですけれど、どうも日本・日本人は歴史上の資料を保存するという認識 発想が弱いんじゃないかと思うことがあります。

 

正否の判断は後世に任すような事柄であっても記録しておく。

事実を記録、ただ保存しておくだけでもという最低限の事もしていない。

後世大事になる資料も、残すかどうかの判断基準は自分にとって都合がいいか悪いかが大きく左右しているようにも思います。

 

敗戦時の混乱に紛れて後世重要な資料になるはずだった資料を大量に破棄・隠滅してしまった。

戦場での撤退 敗戦時のどさくさに紛れての証拠隠滅 が大々的に行われている

ほかの歴史上貴重な資料も従軍慰安婦=性奴隷に関する資料も。

 

そもそも すべてを記録していたかどうか。 

 

福島第1原発に関しての会議記録が一切取られていなかったということが発覚した時はびっくりしました。

のちにロッカーに隠されていた資料が見つかった血液製剤輸入によるHIV感染事件の時も“証拠がない”と言っていました。

その上 限られたものかもしれない すべてではないかもしれない 記録していたものさえも破棄、証拠隠滅しています。

 

だから、自分たちで意図的に記録の破棄、証拠隠滅しておきながら、今 従軍慰安婦=性奴隷にかかわる記録、証拠がないなどと言っていることがおかしいと思うんです。

おかしいんじゃない 2/4 人道に対する罪


 

「おかしいよ」と思うこともう一つ。

これは人道に対する罪だからダンス規制とは同列には置けないことだけれど、今更になっての従軍慰安婦=性奴隷に対する橋本徹弁護士・大阪市長 石原慎太郎元都知事・国会議員の発言。その頭の中と同様の考え 態度を取り続けている人たちの事。

個人が自分の中だけでひそかに思っているのではなく、社会的地位、影響力を持っている存在、公人の立場のままで発言していますから軽く見るなんてことはとてもできません。 

確かに難しい問題、いまだに払しょくしきれていない人種差別がある国・社会でも、公の立場の人がそのような発言 対応をしたら社会的・道義的責任を問われるように変わってきているのにねぇ。

 

さすがに性奴隷にされてしまった女性たちの存在を全否定することまではしていないけど、軍・国が制度として強制的に慰安婦にした「証拠がない」その一点張り。

事の本質は性奴隷を強制された女性がいたということ。

けれど、それをすり替えているのか、ほんとにそちらが大事な事だと思っているのか、従軍慰安婦・性奴隷 にした証拠がないと言い張っているのはおかしな話だと思っています。

 

さすがに、その後そんな発言をする人自身が問題視されるようになりました。

事の本質と的外れな、おかしなことを言い張っているうちに、問題をすり替えてしまおうという意図が見透かされ矛先が変わってしまったことに気付いていないんでしょうか。 

 

確かに、発言は刺激的で耳目を集めます。

けど、この人の言動を見ていると、一体幾つ?これまでどんな社会経験をしてきた人なの?と改めて視てしまいます。

おかしいんじゃない 1/4 ダンス規制


 

日本の文化が… とか日本人の慣習とは習性とは… とまでここで語ろうとは考えていないけれど、いや語れないけれど、どうにも落ち着かないというか、チグハグだなぁ おかしいよ と感じていることがあります。

自分で(達)やっておいてそれはないだろう おかしいよ ということ。

学校の教科 授業に「ダンス」を加えておきながらの風営法による “ダンス規制”

踊ったことも、もしかしたらダンサーたちを毛嫌いさえしていたかもしれない先生たちは苦労しただろうにねぇ。

風俗営業法に抵触するような事柄・お店 もあったのかもしれない。 

だけどそれで“ダンス”そのものに何らかの規制を加えるというのは別の話じゃないのだろうか。

2013年6月19日水曜日

声をかけてもらえることはありがたいこと、励みます


 さっき、7月の「アフリカ映像トーク&ライブポレポレツアー2013○○」の打ち合わせから帰ってきました。

 今回のこちらでのツアーは開催地を変えながら全3か所。そのうち2か所でお手伝いさせてもらいます。その一か所の下見をしてきたわけです。

 今日のは近かったけど、もう一か所の方は遠いんだなぁ。初めての場所だし、車で3 4時間もかかるかなぁ。

 

 さて、かのん の本番もいよいよ目前に迫ってきました。それでこの土・日は両日とも練習でした。

 この週末の公演翌日は休みなく来月公演の練習。

 月末の劇場の記念公演を挟んで、7月下旬の福祉作業所の野外でのお祭りにアフリカンドラム&ダンスの仲間と出演するまで大忙し。

 声をかけてもらえるのはありがたいことですから、嬉しい悲鳴と言ったところです。

 

 そんなこともあり、もともとまとめるに困難を伴うテーマに取り掛かっているものだからブログのアップがストップしてしまいました。

 遂行ばっかりもう何度繰り返している事でしょう。ようやく先が見えて来たかなと感じていますが。

 仕事に関しての原稿・フライヤー・ニュース作成でも頭を使っているもんだから、そのあと少しがなかなかなんですけどね。

 頑張ります。       2013.6.18 夜