2013年6月11日火曜日

いくら辛くとも 生きているからこそ痛みを感じるということに感謝


先日朝車を走らせていたら、向こうからやってくる車がみな同じあたりで変な動きをします。何かあるなと思いながらそこに行くと、お腹や腰回りもまだあまり大きくない子狸きの死骸でした。

完全に脱力。すでに筋肉の緊張もなくなって 完全な弛緩状態でした。
 

“生きていること”の定義はたくさんあるけれど、こういう状況になるといつも思い出すのは世紀の女スパイと言われたマタ・ハリのこと。

彼女がいよいよ銃殺刑の執行日が近づいてきたそのような状況でも歯の治療を受けていたので、死んだらどうせ何も感じなくなるのに何で今痛い思いまでして歯の治療を受けるのかと問われて「痛みを感じるということは生きているという証拠」と答えたというエピソードのこと。

 

 

 

何より、2月の腰背部痛以来筋力が落ちたなぁと自覚しています。

歩くとき、以前のような足の動きができていなくて左足が地面に付くときペタペタと音を立てます。

ひところよりずいぶんよくなってきたとはいうものの、今でも立っていたり少し長い距離を歩いたりすると痛みます。

 

今では完全に生活のリズムになったヨガ。

そのアーサナーの一つのシャバースナー。日本語で言うと屍のポーズ。

それがひところ、お尻と足の筋肉・臀部と下肢が痛くて痛くてとってもできませんでした。

 もちろん本当に屍になるんではなくてアーサナーとしてなんですけれど。痛みを感じている状態で、アーサナーとしても屍にはなれなかったんだと思いました。

 辛かったけれどその時生きていたのは確かでした。

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