2014年5月30日金曜日

人の移動の仕方にみる“成熟度”


先日、先進国と言われる国々の中でいまだに大都市部に人口が流入・集中し続けているのは日本だけ、という発言・報告を見聞きして正直びっくりしました。

日本において過去に(産業構造の変化によって)工業部門では人手・労働力を求め、同時に機械化・導入によって地方・農村部において発生した余剰労働人口は仕事を求めて都市部へという人々の大移動、人口集中がありました。その後5060年たった今も、いまだに地方は人口が減少し続け、限界集落という言葉が生まれるほどに日本・大都市以外は疲弊・衰退が進む一方。国自体の出生率が下がる一方で実際に総人口も減少に転じたのにその流れは止まりません。新たな取り組みを始めている地域・人々もいますけれど、大都市部への集中は収まりません。

世界中がそういうものだと思い込んでいました。実際にケニアで見聞きした事も含めて、どこでも()地方では仕事もなく生活インフラの整備具合の差も拡大する一方なのでそういうものだと思っていました。

 言われてみれば、海外情報番組でアメリカ(合衆国)においては、古くからの街()の生活環境の悪化から郊外に移り住む動きが報告されていました。日本においても、地域復興の取り組みを行っている実例。生まれ故郷を離れ一度都会に出てきた人が再び、都会に生まれ育った人が新たに生きがいを求めて地方都市・山間僻地(?)で暮らし始めコミユニティと関わり始めている、そしてコミュニテイの方も変わってきている模様を紹介する番組があります。 でも大勢はインフラも仕事もそろっている(という)“都会”に人が集中する流れは変わっていないと思っていました。それは、少ないからこそ話題になる・ニュースで取り上げられる、実際にする人が少ないからこそ、そういう気持ちはあってもできないからこそ番組として成立するのだと思うからです。良くも悪くもニュースになるほど、わざわざ取り上げられるほど希少さのレベルだから取り上げられるんだと思うからです。

それが欧米の先進国と言われている国々においては、都市(中心部)への過度の人口集中、スラム化を嫌ってなのか郊外に移住 (高額納税者の減少で都市自体の一層のスラム化)、人生・生活スタイルの変化での都会離れがあるというのです。考え方・それでもやっていける地域社会・産業構造もあるのかもしれません。何も問題がないとか、うまくいっているところばかりとは思いません。けれど、日本のように一直線に人口減・過疎化“限界集落”化に進んでいるのではなく、国・行政でも対策をとり変化も現れてきているのはいろいろな報道、統計でも明らかです。

国としての日本の政策は、それがすべて実現したとしても十分でないのにいつになってもやるやると言い続けているだけ。ニュースになるような例はこれからも出ると思いますけど、もう個人レベルではないと思うんですけどねぇ。

2014年5月25日日曜日

コメントを3つ


・アフリカ ナイジェリアでの狂信的テロリストグループ=ボコ・ハラムの凶行に反対します。

このたびの200人にも及ぶ女子生徒の連れ去りが一刻も早く解決しますように。聞けばこの凶行以前から、そしてその後も続く蛮行が“宗教”の名をかたって繰り返されているとの由、こんなことは神が許すようなことでは到底ありません。

このたびの蛮行はあまりにも衝撃的だったゆえに、これまで以上に非難の声は高まり追い詰められ孤立の度合いは高まっていますが、一刻も早く助け出されますように、このような蛮行が世界中からなくなりますように。

 

・“憲法9条にノーベル平和賞を” の取り組みを支持します。

古いとか何とか言っている人に言います。進歩によってこれから先もっとすぐれたものだって生まれると人間を信じているけれど、少なくとも今現在は世界で一番進んで平和について明確に定めた平和憲法を古いだなんて。いろんな立場考え方の人がいることはわかっています。でも自分でちゃんと考えたのではなく、そのような危険な言動に乗せられている人にはほんとに考えてもらいたい。

平和のために間に入る・外交努力をするのではなくお金を出してしまったということもいい選択だったとは思いませんが「日本はお金だけ出して血を流さない」という考えに対して「日本は戦争・争いには反対です、国民の血を流させたりしません、日本は平和のためにこそ努力する国です。」と言い返せばいいんだと思います。

 

・先に、取り上げるべきほんとに大事なことを隠すために有名なタレントを逮捕した前例について書きましたけど、このたびも全く同じような展開になっているのでびっくりもし憂いています。

確かに覚せい剤を使った歌手のASKAさんは社会的にも悪いことをしました、逮捕されてもしかたのないことをしたと思いますよ。でもそのせいで本当はこちらのほうをより取り上げなければいけない「一内閣の勝手な憲法解釈で“集団的自衛権”の容認」の事柄をかすめさせてしまいました。テレビのワイドショー物はもうこれ一色の感があります。それにしてもよくもまぁこんなに事件“ニュースネタ”が続くとも思いますけど、実際これでだいぶ目先をごまかされていると思います。これでもかこれでもかと“集団的自衛権”から気をそらそうとして必死だということをホントに感じます。

“棺桶を二重底にして知られたくないものを隠す” またこの手を使われているんですもの、もっと賢くならなくちゃ。

当たってるのを頂戴


久しぶりに宝くじを買いに行きました。というのも、買えば買ったできりがないので年に4回出るジャンボ宝くじとその時合わせてロト6を買う(だけ)ことにしているからなのです。いつか当たると信じているけど、そのツキはジャンボの時に取っておこうとも思って。

このたびは、ロト6を申し込んだときに「ロト7もいかがですか、8億ですよ」と声をかけられました。8億かぁ。すごいなぁ当ったらどうしよう、とも思ったけど、実際のところロト6に当たった時の2億でしか考えてなかったからとっさに頭に浮かびません。

おばさん、8億なんて言わないで2億でいいから当たってるのを頂戴。

2014年5月23日金曜日

ナイロビ・ケニアで目にした情景 これも一面


一日の日程を終え宿舎・ホテルに着いた後、同宿ではないので夜はガイドのNさんは帰りました。Nさんは帰り際私に 一人で敷地内から出ないように 夜の街に出ないように と釘を刺していきました。よくご存じで。(このあたりのことは1-14-29 Nガイドとお別れ ウチミへ買い出しに にも)

とにかくいろいろ見てやろうと思っていました。以前にHさんから聞いていた話()・場所・状態・若者をこの目で見てみたかったんです。でもこれは現実だし、本当私のような考えの人は気をつけないとだめなんだと思います。 

 

結局事前の知識・情報として持っていたナイロビ・ケニアの様子(社会状況)について、今回のスタディツアーでその一端を垣間見たのは、最終日に行ったバザールでの母親と赤ちゃん、移動中の車中から目にした目が不自由なのだろうか老婦人とその手を引く息子(?)さんだけでした。

キベラではリリアンさんオギラ(教頭)さんそして私服の人たちがガードしてくれたし、車という箱でガードされていたから安全だった=そういう状況に出くわさなかっただけだったということは承知しています。

で目にした範囲では、大変なんだろうけど助け合いパワフルに生きている感じさえしました。

これも一面、また別の一面もということなんでしょうね。

 

 


以前Hさんの講演会で、ケニアの若者が仕事もなく将来に希望を持てず閉塞間に陥っている、廃品回収などでやっと手にした小銭で食べ物を買うのではなくシンナーを買っている、という話を訊きました。 

もとより4割くらいにもなる高い失業率、そして社会制度も決して十分ではない国ですから生活が楽でないのは容易に想像できます。そして若者が将来に希望を持てなくなっているというのは自然な流れなのかもしれません。

2014年5月22日木曜日

L・M・モンゴメリ 村岡花子 ケーテ・コルビッツさんと平和・平安のこと


思えばまだほんの少しのことなんだけど、特に朝の時間、起床時間が変わりました。 
その様子は、もっと寝ていてもいいのに目が覚めたり逆にだらだらと布団の中にいてグゥ~ンと手足を伸ばしてみたり… そんな風にしているから誰かがピンポ~ンとやってきてもとっさに出られないような体たらく。くたくたに疲れ切って迎える夜そして朝ならば ゆっくり、時によっては日がな一日を布団の中でだらだらと過ごすのもありなのかもしれないけど。こんな様ではいけないなぁと思いながらも、夕方そして布団に入ってから今日一日何をしていたのかと悔いてしまうときもあります。これじゃぁまずいなぁ、家から出かけない時でもちゃんと身支度する生活にしていないと。

 

今はなかなかに評判もいい朝の連続テレビ番組「花子とアン」を見るのが一つの生活の区切りになっています。私も見ていて面白いので、余裕を持って起き始まるのを待つようになりました。 

「赤毛のアン」はもちろん、作品を訳した村岡花子という人()のことは知っていましたけど、熱心な愛好家の方たちに比べたら呆れられるほどに限られた知識・情報でした。シリーズとしてアンの作品がこんなにあることすら知りませんでした。
だからその中の一冊「アンの娘リラ」も村岡花子さんとLM・モンゴメリさんを紹介する記事でこのたび初めて知りました。小説と言えば小説なんですけど、兵士だけでも1,000万人以上が命を落としたといわれている第1次世界大戦の時代を背景に書かれた作品だけに、戦争が社会・家庭・個人の生活にいかに大きく影響し苦しめた時代に強く影響され書かれた作品だけに、平和を求めるLM・モンゴメリの思いを強く反映しているものになっているようです。

それで思い出したのがケーテ・コルビッツさんのこと。
結婚後暮らした生活環境の中で社会的不公平、人々が生きていくうえでの困難さ悲惨さを目の当たりにし、第1次世界大戦で息子第2次世界大戦で孫を喪い、反ナチ・平和平安を希求するケーテ・コルビッツさんの生き方(考え方)と共通するところを感じました。

このお二人の思い・生き方を知り、改めて破壊と殺人に他ならない戦争を許してはならないと思いました。

2014年5月21日水曜日

“ら”抜き言葉    えーッ ほかにも い・さ・と いろいろあるの!

“ら”抜き言葉
 使用実態の調査結果などでも徐々に「実際に使うことがある・周りに使っている人がいる・周りで耳にする・違和感を感じるか」の調査いずれにおいても一般化してきている結果が出ていますので、今となると皆さんもご存じでしょう。
時代の流れ、言葉も変化していくものですから、もう戻すことはできないところまで広まったんでしょうね。

 

でも個人的には、いまだになじみきれないところがあって耳にするたびに違和感を覚えています。それはちょうど、()葉が流れの浅瀬で動きをくるくると変えてしまうような感じです。 

 この“ら”抜き言葉に関して、NHKの番組中に出てくるインタビューを見ていて面白いことがあります。 それは、インタビューの時応えて話す人は“食べれる”と“ら”抜き言葉で話しているときでも画面下に出るテロップ・字幕は“食べ()NHK側が勝手に字幕を入れているということ。 まだ違和感を感じる人がいることは確かだし、公的には まだそういう現状・段階ということなんでしようね。

 
 

私語学番組結構見ますけど、先に“い”抜き言葉というのが今の“ら”抜き言葉のように問題(?)になった時代があったことが紹介されていてびっくりしました。

 ちなみに他にも“さ”入れ言葉そのまた昔々には“と”抜き言葉というものもあったとのことでびっくりしました。

2014年5月18日日曜日

喜んでもらえるうれしさ    難しいものをわかりやすく伝えることに注力を   


人から見れば紙屑、でも私にとっては“資料”を整理していて目にしたものから。

 

201331日発行の日経新聞、「学びの故郷」この日取り上げられていたのは小説家の 三田誠広 さんでした。この日の記事の中の“専業作家”という言葉、そして「読者に門を開くことが大切」という言葉がまず目に入ってきました。

その一部を紹介します。

 ~「いろいろな人に門を開き、その中に自分の言いたいことを仕掛けるべきだ。まだ若いから、自分から門を閉ざさないように頑張れ」と励まされました。その頃の僕は流行していた前衛的な考え方の影響で、「理解されなくてもいいから難解な作品を書きたい」と思っていましたが、埴谷さんはやり取りの中で見抜いたのでしょう。小説はポピュラーなもので、読者なしでは成立しないことを伝えたかったのだと思います。偉大な人からの助言に、模索していた方向性が定まった気がしました。~ 

ここに目を通して思い出す人がいました。墨彩画の藤井克之さん。藤井さんも三田さんと同じような経緯のあった人です。

私自身は比較的そのような呪縛から早くのがれたほうだと思っていますけどそういう時代だったんですよ。なるべく難解にして、もしかしたら自分の経験とか知識では自身でもわからないようなものをよしとするのが正しいと多くの人が思いこむ。 自身の立場が問われる“なにを取り上げるか”それを“どのように表す・伝えたらいいのか”技術が伴わないままに迷路に入り込むことも多々あった時代でした。

 

墨彩画の藤井克之さんとの出会いについて。

藤井さんとは、巻の原発建設反対運動、住民投票、そして住民投票のあった84日を記憶するために催された作品展で出会いました。そこに出展している人たちのお話を訊いた中で印象に残ったお二人のうちの一人でもありました。

お一人は書道家の方。「このたびの作品で思いを伝える・表すには筆では伝えられないと思った。いろいろ考え試して最終的に割り箸で書いた。」と話してくれました。作品は、墨で書かれた文字の角々が四角い力強い感じ、太い文字の中に言われてみると筋が入っています。書かれた和紙も丈夫なものです、割り箸の角を生かす形で書いたんだそうです。そこに至るまでのお話、真摯な生き方・生活・人間性が心に残っています。 

もう一人が墨彩画の藤井克之さんだったのです。自己紹介にもなっていた作品紹介が印象にのこっています。 藤井さんは以前高校の美術教師をしていたそうです。 当時の作風は抽象画。これでいいのかと模索しながらも、見た人間がわかるようなものではだめだとあえて難解な作品を書いていたそうです。 それが、赴任先で出会った人たちそして縁で、住んでいる人たちの地元をテーマにした絵を美術館に行ったことのない人でもわかる技法・具象で描く。それを見て喜んでくれるという体験で作風も、生き方も変わったという経験を話してくれました。

その後、実はほかにも縁があったということを知った時正直その巡り会わせの妙にいろいろなことを思い出させられた出会いでもありました。

2014年5月13日火曜日

日本の1/4近くを貧困の範疇にしてしまった歴代の政策


今世界中での富の偏在・集中はすざまじいものがあります。 

 以前とは違うあらわれ方だけれども、日本においてもそれは一段と深刻さを増しています。

 
 

このたびの(20144)消費税率アップに対してのマイナス反響に対して安倍さんは子育て世帯や高齢者・低所得者へ一律の一時金給付を行うことにしました。
 話によるとその対象者は2000万を優に超えるとか。 それにしてもこんなに対象者がいるとは。
生活保護。 窓口での規制、マスコミを動員しての公的扶助・生活保護・受給者へのマイナス宣伝などで現在の受給者数は本当に必要な人の実態を反映していないけれど、それでも現在は200万人を超えたとされています。
これらを合わせた数は日本の総人口の五分の一を優に超え四分の一に迫ろうという数。 

 

悲惨な餓死のニュースも絶えません。日本の貧困、生活格差の拡大はすざまじいものだと改めて思います。

2014年5月11日日曜日

乗り合いバス化してきている飛行機(特にエコノミー席)の座席の快適さ を決めるもの


 

私一番最初に乗ったのは国産の、エンジンはジェット式だけれどプロペラのあるスリムなYS11でした。音質が違うので単純に比較はできませんけどなかなかにぎやか「乗ってる」と感じられる飛行機でした。その後も何度か飛行機(ボーイング)に乗る機会に恵まれましたがエアバス社の飛行機に乗るのは2010年にケニアに行く際に乗ったのが初めてでした。

 

この間機体はだんだん大型化、幅広になってきたでしょうか。このこともあってか、今回乗った飛行機の席・シートの横幅は昔より広がったような気がします。でも前後は狭かった。個人的にはお腹のあたりを中心に厚みが増してきているので、国際線で結構な食事が供されたときなんかに一番感じました。足の組み替え、奥の人が席を立つときなんかは大変でした。

それでもシートの座り心地が決定的にダメというわけではありません。機体・機種がどんどん進歩するのに合わせてシート自体昔より改善されてきているのでしょうね。ですから、特に搭乗時間が長くなる国際線での快適さは、シートそのものの座り心地というよりは、路線・席数(採算ライン)や会社の考え方のほうが乗車中の快適さに直結するのかな。

 

 それから、特にコードシェアで羽田~大阪で乗った飛行機はなおさらそう感じたけれど、だんだん観光バスから“乗り合いバス”化してきている印象を持ちました。

 

 

ところで

グループの時でも差額を払えばビジネスクラスに変更は可能なんでしょうか。問題は、同じグループ内で一人だけということのほうになりそうですけど。

2014年5月10日土曜日

2014ゴールデンウイーク 2/2  雲雀舎  出会い・縁 心豊かに



雲雀舎にも行ってきました。今年のメインは安藤栄作さんの木彫作品の数々。小さいのに存在を主張しているもの見上げるような大作までさまざま。このたびも3.11東日本大震災後継続して催されている、支援のための作品展示・販売もありました。 

 

当日は時折雨の降ってくる肌寒い日でした。対岸の指定された駐車場に降り立ったら薪をたいているとき特有のにおいがしました。旧家・雲雀舎の屋根にたなびく煙も目に入りました。ストーブを入れたんだなぁと思いながら向かい、鑑賞の合間コーヒーを口にしながらそのことを話題にしたら、以前からあったとのこと。 なんでもこの辺りは下(長岡?)辺りに比べると3度は寒いので欠かせないとの由。大きく重い鋳物製のストーブがどんとおかれその前を行き来していても、注意が向かなければ目には入っているんだろうけど全然意識に残らないのだなぁと、改めて人間の意識・感覚のありようにびっくりしました。

 

このたびは主催しているご夫婦、特にご主人とたくさん話すことができました。

本当は感謝すべきことだと十分に分かっているけれど、到着早々声をかけられるとついついそっけない対応をしてしまっていたこと。本当は、声をかけてもらいありがたく思っていること感謝すべきことだとさえ思っていることを初めて伝えることができました。

今回もさっそく声をかけられました。 距離が近いんですよね。ご夫婦もお手伝いの学生さんたちもみんないい人たちなんですよ。

 他にもいろいろ。ストーブのことをきっかけに、私も以前薪ストーブを愛用していたこと、薪を入手するむずかしさガスと違って置く場所が必要だから街中ではなかなか難しい等々。そして一度はやめたストーブだけれど、家の広さを考え匂いや炎の揺らぎ暖かさ、間伐材活用・日本の林業のことを考えてペレットストーブの導入を考えていること。 ペレットストーブのペレット代、安いに越したことはないけれど安く買いたたきすぎれば広がらない・フェアな取引でなければ 運動・産業として広まらない継続しないなどまでに話が広がってしまいました。

 このご主人は仙台の出身なんだそうです。それがただ催しをするだけでなく、3.11の支援も行う機縁にもなったようです。

 

実は、昨年の催しでとても目を奪われた花器がありました。値段も決して安いものではありませんでしたし、何よりこのような大作を手にして私がはたして有効に使い切るだろうかと躊躇し、本当に縁があれば1年後もあるだろうその時は迷わずと思うにいたった焼き物です。

昨年はそんないきさつ出会いがありました。今年結果としてその花器はなかったのですが。加藤圭史さんの黄瀬戸と織部の作品を手にすることができました。今日は朝から早速おろす前のひと手間・儀式のとぎ汁で炊き今冷ましているところです。心豊かになっています。

2014ゴールデンウイーク 1/2 上堰潟


お隣の国韓国(大韓民国)に、それも全く同じ日が“こどもの日”として祝日になっているということを知りました。知るきっかけは痛ましい事故に関連しての報道からだったのですが、知りませんでしたねぇ。こんなように世界中に、私の知らない大切な“記念・記憶すべき日”そして休日があるんでしょうね。(ちなみに韓国のこどもの日のほうが歴史的にも早く、文化的にもおおもとのようです。)

 ここ日本は私が小さかったころに比べるとずいぶん休日が増えました。とはいえ4月末から5月前半の連休は特別です。他にこれほど連続するお休みはまずありませんからゴールデンウイークと総称されるのでしょうね。



そんなゴールデンウィーク、みなさんはどう過ごしたのでしょうか。私は今年も柿山の水芭蕉を見に行きましたよ。 

この水芭蕉は毎年外せないとして、そのほかは毎年少しづつ回るところを入れ替えています。今年は、菜の花が見事だと紹介されていた 上堰潟 に行ってみました。
 

上堰潟は、連休、そして天候にも恵まれ、多くの家族連れ、カップル、仲間同士でいっぱいでした。別段遠くでも特別(以上に)に何かがあるわけでもないのですがみな幸せそうでした。このような情景を目にするたびに「これでもよかったんだぁ」といつも感じます。

2014年5月8日木曜日

五つの音だけで


俳人 神野紗希さんの -「いつ渡そ」の純朴 - (日経新聞201429日・日の36面・文化のコーナー) に紹介されている俳句を二句紹介します。 

もちろん編集・割り付けされた紙面の中の一つの記事なのでそこに丸々ぎっしりの文字数ではありませんが、元は8段組みの記事ですからご自身のバレンタインにまつわるエピソードも含めてもっと盛りだくさんです。

ただ、先日のアーサー・ビナードさんの講演内容も頭にあったのか、そぎ落とし・本質を見出し・言葉を見つけ出すとほんとにたった“五音”だけで、人の心情を表わすことも伝えることもできるものなんだなぁ、情景が浮かぶものなんだなぁ。ということがこの二つの俳句でほんとによくわかったので。

 

いつ渡そ   バレンタインの チョコレート

田畑美穂女

われに一つ  バレンタインの チョコレート

行方克己

 

この二つの句、違うのは上の五音だけなのに見事に男女の心情が書き分けられています。

心情がこちらにもよく伝わりました感じました。