2014年5月18日日曜日

喜んでもらえるうれしさ    難しいものをわかりやすく伝えることに注力を   


人から見れば紙屑、でも私にとっては“資料”を整理していて目にしたものから。

 

201331日発行の日経新聞、「学びの故郷」この日取り上げられていたのは小説家の 三田誠広 さんでした。この日の記事の中の“専業作家”という言葉、そして「読者に門を開くことが大切」という言葉がまず目に入ってきました。

その一部を紹介します。

 ~「いろいろな人に門を開き、その中に自分の言いたいことを仕掛けるべきだ。まだ若いから、自分から門を閉ざさないように頑張れ」と励まされました。その頃の僕は流行していた前衛的な考え方の影響で、「理解されなくてもいいから難解な作品を書きたい」と思っていましたが、埴谷さんはやり取りの中で見抜いたのでしょう。小説はポピュラーなもので、読者なしでは成立しないことを伝えたかったのだと思います。偉大な人からの助言に、模索していた方向性が定まった気がしました。~ 

ここに目を通して思い出す人がいました。墨彩画の藤井克之さん。藤井さんも三田さんと同じような経緯のあった人です。

私自身は比較的そのような呪縛から早くのがれたほうだと思っていますけどそういう時代だったんですよ。なるべく難解にして、もしかしたら自分の経験とか知識では自身でもわからないようなものをよしとするのが正しいと多くの人が思いこむ。 自身の立場が問われる“なにを取り上げるか”それを“どのように表す・伝えたらいいのか”技術が伴わないままに迷路に入り込むことも多々あった時代でした。

 

墨彩画の藤井克之さんとの出会いについて。

藤井さんとは、巻の原発建設反対運動、住民投票、そして住民投票のあった84日を記憶するために催された作品展で出会いました。そこに出展している人たちのお話を訊いた中で印象に残ったお二人のうちの一人でもありました。

お一人は書道家の方。「このたびの作品で思いを伝える・表すには筆では伝えられないと思った。いろいろ考え試して最終的に割り箸で書いた。」と話してくれました。作品は、墨で書かれた文字の角々が四角い力強い感じ、太い文字の中に言われてみると筋が入っています。書かれた和紙も丈夫なものです、割り箸の角を生かす形で書いたんだそうです。そこに至るまでのお話、真摯な生き方・生活・人間性が心に残っています。 

もう一人が墨彩画の藤井克之さんだったのです。自己紹介にもなっていた作品紹介が印象にのこっています。 藤井さんは以前高校の美術教師をしていたそうです。 当時の作風は抽象画。これでいいのかと模索しながらも、見た人間がわかるようなものではだめだとあえて難解な作品を書いていたそうです。 それが、赴任先で出会った人たちそして縁で、住んでいる人たちの地元をテーマにした絵を美術館に行ったことのない人でもわかる技法・具象で描く。それを見て喜んでくれるという体験で作風も、生き方も変わったという経験を話してくれました。

その後、実はほかにも縁があったということを知った時正直その巡り会わせの妙にいろいろなことを思い出させられた出会いでもありました。

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