大荒れとの予報はどこへ行ったのやら
という感じの正月二日、昼から顔を出した従兄の家にはすでに小さい女の子とご夫婦の家族が先客として楽しい歓談が進んでいました。このご家族の奥さんが私にフイリピンプリンをごちそうしてくれた人です。
このご夫婦の子どもはまだ学齢前、ご主人は私より年上仕事も定年退職、年齢の離れた奥さんはフィリピンから来日した方。
いま日本では介護保険料は強制的に徴収されてもいざ特別養護老人ホームに入ろうと思ってもなかなか入れない現状があります。それに加えて、異なる言葉・文化を持ちながら日本に暮らすお年寄りも増えてきていて、その人たちが利用、入所できる施設となるとさらに限られている現状があります。
今日は、この日知り合いになったご夫婦のことで思ったことから…
話しはずいぶん飛躍します。
すでに日本・日本人は税金・保険料などの公的負担の割合は50%半ばを超え相当の負担になっています。それなのに、制度や施設の充足はまだまだなうえにいざ利用しようとしたときには受益者負担の名のもとに高額の窓口負担が発生します。
1960年代日本全国に広まった住民の立場に立つ革新自治体と言われた地方自治体の動きは国政レベルにも影響を及ぼし石油ショックのあった1973年は“福祉元年”ということばがうまれるほどでした。“ゆりかごから墓場まで”という有名な言葉を生んだイギリス、デンマークを加えた北欧諸国の福祉国家・社会という言葉にみんなが明るい希望を抱いたものです。
その後世界的にサッチャリズム
レーガノミクスという言葉とともにどんどん公的サービスの民営化が図られ切り捨てられてしまいました。国の役割を防衛や外交等に小さく限定し大企業優遇・市場経済に任せるか、医療・教育・福祉にも力・予算をかけるのかの選択の歴史・時代を経ます。
日本においても選挙・選択によって振り子のように社会的サービスに重点・予算を割くかどうかのせめぎ合いが繰り返されています。防衛予算・大企業優遇は変わらず優先的に行われているのに、社会保障関連予算は自然増すら抑制、財政問題を持ち出して現行制度の切り下げも頻繁に行われ社会の変化に対応する新しい制度を考えるという点でも不十分身が引けています。社会保障の充実のためにと言って消費税の税率を上げながら実際には税収増のごく一部しか社会保障に充てず、大企業優遇・企業の税率を下げる方に回しています。 日本は世界有数の予算規模を持っている国なのでお金がないのではなくて、どう配分するかどのような国の形を目指すのかの姿勢が問はれているというわけです。
もう一つ。
すでに破綻が明らかになった「トリクルダウン」の考え方。安倍首相は“三本の矢”政策遂行のためということでいまだに固執していますが、人間の欲
物を持っている人・お金持ちはより持とうとはするけれどそれを人には分けません。世界の中のごく一部の富裕層には、次の世代・未来という発想はなく今そして目の前なので自分の方から差し出したりはしません。
そもそも、私たちはテーブルの下でおこぼれを待たなければならない人間ではありません。日本国民、日本の未来に経済政策でこのような発想・対応しかできないのと、原発でも基地問題でも民意を聴こうとしない対応は同じ姿勢を感じます。
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