2016年1月17日日曜日

2016.1.17 阪神淡路大震災から21年目の朝に


今朝は阪神淡路大震災から21年目の朝です。

もうそんなに立ってしまったかと感じてしまいます。その後も地震はあちこちで起こっていて、日本は地震列島だということを改めて感じます。それだけに、そんな危険性を抱えたところになぜ原発の再稼働そして新設までするのかとどう考えても納得できません。

さすがに途中から事故は絶対起きないなんて言い方は控えてゼロをいくつも並べて原発事故の起きる確率はこんなに小さいんですという口調に代わったけれど、いくら低いとしても確率的にはいつか起きるということ。そしていざ事故が起きた時の手のつけようのないことは東日本大震災における東京電力福島第1原発事故がいまだに収束しないことを見れば誰にもわかるはずのこと(!)。降り注いだ放射能その被害・影響は世界的規模に広がりゼロに戻すのは不可能な現実なのもわかるはずのこと(!)。

2次世界大戦の時の広島・長崎への原爆投下を経験している日本、加えて福島第1原発事故の当事国の日本。平和のこと、原発(固定式核兵器)のことでは世界中の他の国や人々に先んじていかなければならない立場なのにと憂いている国民が多いのに、それに一向に耳を傾けない議員と安倍政府。今日告示になった沖縄宜野湾市長選、そして沖縄・基地問題ともども同じ図式を感じます。

 

解説と対策はそれこそ専門家が担うべきこととして、被害にあった人々の生々しい言葉の一つを紹介します。この言葉に耳を傾けた時普通に感じる気持ちを、今再稼働を考えている人にも普通に感じてもらいたいものです。

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4年たって気になるのは「314日、放射性物質が一番降り注いだ時に給水車を待つために息子と外で2時間並びました。スーパーに商品がなくなり、開店を待って外で並んでいたときも放射能にさらされた」ことです。
「あの時、きちっとした情報が公開されていたのなら、子供たちの被ばくは避けられた」~ 
「今回の訪米で 原発事故による低線量被ばくが先の見えない生活を強いて非人間的なことを作り出すと伝えてきたつもりです。核は人間が扱ってはいけないものなのです。」
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2015年国連本部で開催されたNPT(核不拡散条約)再検討会議への要請行動に福島から参加した石堂祐子さんのインタビュー記事から抜粋

 

真に 核は神の領域 だと思います。

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