2024年11月18日月曜日

あやとり は世界中に


読売新聞 2006年11月27日

 実は孫に、誕生日 夏休み クリスマス に、ジャンルは様々ですが本を送ってきました。もうかれこれ10年以上になるでしょうか。 これが意外と大変で、日ごろからアンテナを張るようにしています。 中には年齢を考えると難しいかなぁと思うような本もありましたけれど、自分で選んでいたら手にすることもないようなジャンル・本をと言うことでは意味があるのではと思っています。
 今回紹介するものは本そのものではないですが一つの情報きっかけとして紹介させてもらいます。


 

2024年11月13日水曜日

寝る前の水分補給


                        日本経済新聞 2014年8月9日


 この手のものとしては古い年月日のものになりますが、夜間のトイレ・排尿に触れたうえで50~100ミリリットルくらいが適量 と書いているところがいいなと思ってとっておいたものです。 

 一日に2リットルだとか寝る前にコップ一杯200ミリリットル とかいろいろ言われている中ではより現実的かと思って。 

 脱水、エアコンや暖房を使っているとき、汗をかいている自覚のない時でも水分は失われている、だから水分補給が必要だ。いや、それは十分わかっているけれど、夜間のトイレには悩まされているので。それに配慮した書き方が印象的です。

2024年11月9日土曜日

「生きて帰ってこい」ではなく「死んで来い」 人を大事にしないでは勝てません 

  ロシアによる越境攻撃から始まったウクライナとロシアとの闘い。ロシア兵の戦死者は67万との報道が有りました。 思い起こすに、第2次世界大戦の独ソ戦の時は2,000万(3,000万に至るという話もある)もの国民が命を落としたという。 なぜこのように命を落とす人が多いのか。この度のウクライナの戦いに関する報道の中にこの答えがありました。  ロシア・ソビエト共にとにかく無謀な突撃を繰り返すという戦術が伝統なのだそうです。 こんな伝統はいりません。 

 日本、少なくとも帝国陸海軍もそうでした。 何せ、徴兵され出征する時に「生きて帰ってこい」ではなく「死んで来い」なんですから。 そんな戦い方を繰り返しているから、有能な士官がどんどんいなくなり、人材不足で戦えなくなってしまったわけです。 ドイツにもエルベ特別攻撃隊と言う連合軍の爆撃機に航空機で体当たりする部隊がありました。でも日本の特攻と大きく違うのは、機がぶつかる前に脱出・パラシュートで生きて帰ることを模索したというところでしょう。 

 スターリングラードの戦いを描いた映画の中に、満足な武器弾薬を持たせずにとにかく突撃させるシーンがありました。 これだけでもどういうことだ!と言うところですが、信じられないのが、突撃する兵隊の後方から自分たちの兵隊に向かって機関銃で射撃するところ。 戻ってこないようにというためなのですが、これじゃ戦死者が増えるわけですよ。

 今も続くロシアの恐ろしい戦術。戦いに勝利するかどうか以前に、大きすぎる犠牲ですでに勝利とは言えないと思います。

 以下に新聞の読者欄に投書された一文を載せておきます。


赤旗 2015年9月15日


文作でも公にし継続していけば立派な運動

  小森さんが亡くなられたのは2023年でしたから93歳と言うことになりますか、十分ご長命と言ってもいいと思います。 亡くなられたということをしんぶんで目にした時、夏の暑い日に後には家族と参加した原爆反対 平和集会そして行進のことが思い出されました。 

 それで特別にひたしくなったというわけではないのですが、その後あまり日が立たないうちに滑落事故で亡くなったということを知ることになる娘さんと、レクリェーションの講習会で一緒させてもらったということも思い出しました。 

 さすがに最後の数年間は動静が耳目に触れることはありませんでしたが、その人生はぶれることなく通されたと感じています。



                赤旗  2015年9月24日

 詩人は「゛詩人”と名乗れば詩人になれる」などと言って、私も詩人だ などと言っていた時もありましたが、小森さんは詩作を通してその作品を通して意思を示し運動を継続していた人だと思っています。 詩も俳句も短歌も、様々な文作を継続し極めれば運動だと改めて思います。


2024年11月4日月曜日

これだけの星々が見えるありがたさ


赤旗 2023年2月3日

 昨日は、礼拝だけで13時を回りおなかペコペコで昼食を取りました。 豚カルビ丼 エビチャーハン 牛ロースカットそしてアイスクリームダブル。一人はこのところはまっているジョージのキャラクターカップのアイス。(これは容器の値段かなぁ、ずいぶん割高なような気がしましたが。) 同じモールで、ついでに冬用防寒具を見たり、クリスマスプレゼントの下見をしたり。結構ゆっくりしました。 子ども用品の消耗品も買いました。 それから本日のメイン、子供服のリサイクルショップへ向かいました。 この日は最初からそのつもりでしたし、連休の半ば、翌日もお休みなのでずいぶん時間をかけたというか、ゆったりでした。  
 リサイクルショップに入るころすでに日は傾いていたのですが、お目当ての子供服の他に木の積み木とすっかり車を覚えてしまったジープ型のラジコンを買い求めてお店を出たときはすっかり暗くなっていました。 「いやぁー遅くなったなぁ夕食はどうしよう、食べた時間が遅かったし結構食べたからまだあまりおなかが水泳ないけどねぇー。」などと話しながらふと空を見るとずいぶんキラキラと輝く星が。 居並ぶ大型店舗の明かりが強すぎて他に星が見えない中ですごい存在感です。 星?動かないからヘリコプター?などと言いながら帰途につきました。 車はつながっていたけれど止まることなくしばらく走ったところ、左右に赤と緑、そのほかに赤っぽい白色の照明がくっきり見て取れる飛行機がこちらに向かってくるじゃないですか。車と反対方向は空港の方向。 右上方にはあれも飛行機と思える照明も見て取れます。 時間的には、地方の空港としては今日の最終便達なのでしょうけれど着陸待ちをしていた飛行機だったのでしょう。 ここまでくると他の星々も目に入ってきました。
 帰宅後、車を止め車外に出て空を眺めてみたらたくさんの星々。 市中心部から約1時間でこの星々がみられるなんて。   だからここに移り住んだんですけれど。

2024年10月19日土曜日

大嘗祭の問題点を考える-憲法学と信仰者の視点から



関東教区通信 No158 2020年3月1日 
日本基督教団 関東教区

稲正樹 元国際基督教大学教授(憲法学)第2回安国・天皇制・憲法問題研究会 要旨
大宮教会 2019年11月5日

 要旨ですから、当日はもっと様々な話が繰り広げられたのだとは思いますが、私にはとても整理されてわかりやすいお話だったので。

2024年10月14日月曜日

仮剝製 本剥製 様々な標本


赤旗 日曜版 2023.9.23

晒骨機(せいこつき)
 こうゆう機械があるなんて言うのは初めて知りました。 なんにどう使うか、他の言葉も含めて記事に目を通してもらうとして、ほんと備忘です。 ふつうこんな記事がひょいと乗ってるでしょうか。 それにしても、博物と言うかいろいろあるものです。

 

2024年9月17日火曜日

カキ にまつわる小さな思い

 日本経済新聞2002年12月28日の知球探検のページに、フランスで育てられていたカキが病気にやられ日本の種ガキを取り入れたという記事が載っていました。

 まだフランスの通貨がフランだったころの1980年代前半にパリの小さなレストランで同行の仲間と、日本と違うけど生でも大丈夫かなぁと言いながら生ガキを食べたことがあります。この記事を読むとあの時口にしたカキはフランスの養殖ガキの種類のヒラガキだったのでしょうか。 その時は、今書いたような心配もあったからだったのか一人2個ずつお願いして食べました。 お店の人には、とても親切に丁寧に応対してもらいました。 食べ方(塩 レモン他)も幾種類もあったようでとても2個ではすべての味を楽しむわけにはいかなかったのですが、とてもおいしくて、口にする前の心配はどこへやら もっと食べたいという食後感を持った覚えがあります。

 この記事で紹介しているお店が今どうかについては情報がありませんが、先日高架化も完了し駅舎内のモールもリニュウアルした新潟駅のすぐ前のビルにカキ料理のお店がオープンと言う記事を目にしました。 機会があれば行ってみたいものです。




 *カキと言えば冬の物と言うことで通っていますが、岩ガキと言う種類は夏でもOKと言      
  うことで食べたことがあります。おいしかったんですが、お店としてはわざとそのサイ  
  ズをそろえて出してくれたのでしょうが大きかった。 もう少し小ぶりのものを咽喉し  
  よく食したい思いでした。

2024年8月29日木曜日

五輪の旗

 


しんぶん赤旗
2024年6月14日

 先日パリオリンピックが一度閉幕(?)しこんどはパラリンピックだと思って待っていたのだけれど一向に話題にならない。
 あれれ と思っていたら24日からオリンピックの聖火がパラリンピック発祥の地で採火され各地を回っているという小さな記事を目にしました。 あぁそうだったのか、私が日にちを勘違い、少し先走りしていたようです。

 それにしても扱いが少ない印象はぬぐえません。 とにかく、世界新記録は出せても4年に一度のオリンピックで金メダルを出すことは難しいと言われるオリンピック。そこで、これまでのことを思って泣いてしまうのはだれしもの反応なのかもしれないけれど、泣き方ってものがあるのじゃないかと見てしまうこともあったけれど(毎回毎回のオリンピックで同じ競技の選手たちと言うのが、何か問題があるんだろうなぁと思ってしまう)。 

 たとえ負けても予選で敗退しても、オリンピックに出るには標準記録と言うものを超えなければだめなので、出ている選手たちはみな素晴らしい。 確かにメダルを取る選手たちの力はより一層抜きんでているけれど。

 これから始まるパラリンピック 様々なドラマ 望ませてもらいます。

2024年8月14日水曜日

道順案内 タイミングと”先角゛

 


                        日本経済新聞

                         2010年1月30日

          先角(さきかど) いい言葉を教えてもらいました

国際単位系 クエタ クエクト 追加

 


                        しんぶん赤旗

                         2022年11月25日


今から11年前  2013年2月が、総合商社大手での女性執行役員が初めて誕生しました

 


日本経済新聞
2013年2月6日

今から11年前のことでした。
さぁて、その後の変化はどうでしょうか。

2024年8月11日日曜日

エジプトの義務教育

 

                       しんぶん 赤旗 日曜版
                         2024年7月28日

 関係する専門機関 学会(その紙誌)なら(でしか)入手できないような情報。 こうゆうコーナー・情報が乗るからやめられないのです。

 今の時代ですからインターネットを使えば公的機関が公表している数字や文言、例えば学制の年限などを知ることはできます。 けれどそれ以外の公的な資料や報告書、公演等なら「これは余談ですが…」と言ってから話されるような、印象や雰囲気 気づき、時には匂いや音といった事まで。 自身の経験や生活実感と比較しての内容が盛り込まれているところが貴重なのです。

争いで生まれるのは 憎しみとさらなる争いだけ



                                しんぶん 赤旗
                                 2024年7月24日

 「どうして僕たちを残して死んじゃったの。僕たちを助けてくれるのはお母さんしかいないのに…。大好きなお母さん、僕がかわりに死ねばよかった。~」
母親の遺体を目の前に、こんなことを言わせてはいけません。
 「~神様、お母さんを殺したイスラエルに罰を与えてくださ。」 
争いで平和は生まれません。 生まれるのは憎しみとさらなる争いだけです。

 自分達が繰り返し爆弾を落としている地域に対して”安全゛とか”人道的゛という言葉を使う鈍感さ。 目も耳も鼻も肌感覚も 何も感じなくなっている、見ようとも聴こうともしなくなっている。想像力も欠如してしまっている。 今落としている爆弾の下に人が居るという事が考えられなくなっている。今落としている爆弾が爆発すればその人たちがどうなるかを思うことができなくなっている。 爆弾が、爆弾を落としている側の理性をも完全に破壊・麻痺させてしまっています。

2024年8月8日木曜日

誰かが どこかで

 



                         しんぶん 赤旗
                          2024年7月25日

 私が○○しなくとも、どこかで誰かが○○してくれる  の典型だと思いました。

 以前、特別に高級車というわけでもない小さなオープンカーを運転していたことが有りました。 ビンテージと呼ばれるほどではなく、人から見れば単なる古い車だったかもしれません。 30年ほど手元に置いていました。その間、純正 社外で部品がどうにかなるのが大したもんだと思いながらも、維持していくのがだんだん困難になっていきました。 そんな時「私がこの車を守っていかなくて誰が守る」とよく言い聞かせていました。

 ある時引き取りたいという人が現れ、引き継いで大事にしてくれるならと手放すことにしたのです。 
 この記事のは車の話ではありませんが、私・自分が全部しようと思わなくとも無理をしなくとも、誰かが どこかで、忘れずに守り 引き継いでいってくれるんだと改めて思いました。  それもこんなに熱狂的に

「受益者負担」 「自己責任」 が人々を苦しめ 発展を妨げている



                             しんぶん 赤旗
                             2024年7月2日


「受益者負担」 この言葉が始まりでした。

 そのころ(1970年代前半)私の学費は半期8万円。 国立は確か2  3万くらいだったと思います。 所得倍増政策で確かに上がったとはいえ、1970年代前半の大卒初任給はまだ一桁。というか月給自体がまだ今と比べれば一桁低い何万の所での”倍増゛でしたので、2  3万とか8万というと安いと思うかもしれませんが対比的には決して楽々の金額ではありませんでした。 その後好景気・インフレ、バブル経済で、初任給が10万の代に乗り(名目的には)給与が上がったとはいえ、それが2005年には国立535,800円。私大は959,205円ですか。 
 教育関連予算 財政支出はOECD加盟国平均GDP比で0.9%の所日本は0.5%。 先進国といわれる国々の中で最低水準を毎年更新?継続?しているまま。代わりに個人負担は増える一方。所得格差が如実に影響している教育環境・教育機会の格差は拡大する一方です。

 「受益者負担」 最近また耳にするので少しびっくりしているというのが正直な気持ちなのですが、受益者負担という言葉はしばらく耳にしませんでした。 でも決して この考え方が引っ込んだのではなかったというのがこのところの様々な動きです。 「受益者負担」この言葉自体は、代わりに「自己責任」という言葉が出てきました。
 今の、教育の問題 上がらない賃金の問題 生活困窮。 「自己責任」という言葉に追い詰められみんな自分を責めているけれど、問題の質も量もここまで一般的になると、もう個人のせいでも責任でもなく社会問題ですよ。
 「受益者負担」「自己責任」 この言葉を、(対応する諸制度を行う)当事者が言ったらお終いですよ。 民間の営利企業じゃないんですから、国 公共機関が自分で言ったらだめですよ。
 今 自己責任とか自助 という言葉がいかに人々を苦しめ、社会を国を害していることか。

2024年8月6日火曜日

35度超急増 気候変動と都市環境

 

                          しんぶん 赤旗
                           2024年7月2日

 恐ろしい
 間に合うのだろうか
 反対 信じない人にこそ読んでもらいたい記事

では この事実はどうして起こっていると言い訳するのでしょう

2024年8月3日土曜日

参加選手 男女同数 が128年かけて実現した今回の大会

 

         しんぶん 赤旗
         2024年7月25日

 近代オリンピック 第一回(1896年)アテネ大会の後の1900年パリオリンピックで、女子選手が参加(2競技 22名)。その大会から124年たった(第1回から数えると128年)今回のパリオリンピックで初めて男女の選手数が同数(5,250名)になったのだそうです。
 経緯は來田淳子 日本スポーツとジェンダー学会会長 中京大学教授の文章に目を通してもらうとして、事実を自分で確かめないでの思い込み。良かれと思ったのかもしれないけれど、事実の歪曲→保護的な差別。 女性・女子競技者が自分のことを自分で決めることができない時代が続いていたのだそうです。そしてこのたび初めて男女の選手数が同数になったそうです。
 近代オリンピックのことを多少なりとも知っているつもりでいましたけれど、まだまだ知らないことがありますねぇ。

 ”自分で自分のことを決める゛という事ではアメリカ合衆国の中絶に関する動き。ジェンダーギャップ指数では、日本は156カ国中118位、G7諸国の中では最下位。という事も併せ忘れてはいけないと思います。

2024年8月2日金曜日

両手で祈る

 

「私達はこの世では片手でしか祈ることができません。*1(もう)片手で*2(は)自分が堕落しないようにつかまっていなければならないからです。天国に行けば両手で祈ることができます。」                                    聖コルベ神父

*1あった方がわかりやすいかと

*2ないほうがわかりやすいかと

 パウロは神の使命として大きな働きを成した人ですが、間違いもおかし、心身ともに問題なく万能な人ではなかったとのことです。 できることならこの棘を取り去ってくださいと言っているほどですからさぞかし辛かったのだと思います。 でも同時に、パウロにはこの”棘゛があったればこそ大きな働きを成すことができたというのは間違いないようです。


 さて、ここに続けて書けるような事ではないのですが。私 実は左のお尻と左の膝下から足首にかけて、そして腰背部の傷みが続き難渋しています。  整形を受診したところ、軟骨がすり減っている 腰椎が変形してしまっている状態でした。  昨年の6月のある日の仕事中のことがきっかけで整形外科を受診するに至ったのですが、今の痛みと制限はこの骨の状態を顧みるにそれ以前からであってこの日のことは引き金だったんだと思っています。相手があることなので一応書いておきます。

 それにしても痛い。仕事はできるけれど、正直辛いことが多く夕方以降は傷みが増します。 ただし、それがいけないのでしょうが痛いけれど動ける、昔より力が無くなったなぁと痛感するけれど何とかできている。走れなくなりました、ほんとに走れなくなるものなんですね心底びっくりしました。 意識すると無意識にと無理をしているのでしょうが、整形を受診しているとき立っていたら「立ってられるんですね」と言われ、普通この骨の状態では立っていられないレベルなんだなぁとへんに感心してしまうような事も有りました。  整形でお薬をもらい腰椎のブロック注射もしてもらいましたけれど痛みは一向に改善しません。 安静にするまで行かなくとも、仕事をいくらかでも加減出来たら多少なりとも楽になるのかもしれません。でもこの歳になって今までで一番身体的に辛い仕事を、初めての職場で初めての人たちの下で新たに一から覚えなくてはならない条件で働いていますから、いろいろな意味でそういうわけにもいかないのです。  出かけるのも運転も好きな私ですが、昔に比べればずいぶん短い通勤時間の間でも、足をさすりながら動かしながらの状態は残念な思いです。

 可愛いMは上の子とはずいぶんと離れてこの世に誕生したので一からすべて必要で、以前のように収入のない今はほんとに大変です。今の収入は、同じ月にもう一回給料日が有ればと思うくらいの物ではありますが、保育園に通うための就労証明をもらうため、可愛いMのため、”痛みを感じながら゛励んでいます。 給与は、頂けるのはありがたいけれど今の時代・社会 生活では不十分。私は年金と併用しているのでまだ”やりくりに苦労しています゛で済んでいるのだと思いますが、これから結婚とか子どもなんて言う人は、とてもとても踏み切れないのではと思います。躊躇すると思います。  日本は人口減少の時代に入りました。もう何十年、”少子化問題対策゛というものが取られてきました。しかし、自己責任とか受益者負担という言葉がはびこる日本の現状では、国レベルでの対策が求められているのに相も変わらずの個人任せのまま。個々の家庭の負担は増える一方で減る状態にはなっていません。

 傷みの話に戻ります。 まだ3歳にもならないMのためにも”目標100歳゛と公言しています。自分で「もういい」と思ってしまえば終わりですから。 「もっと肉を食べましょう!(栄養を取りましょう)」と言い出されて久しくなりましたが、年配・高齢者 特に一人暮らしそのまた特に男性一人暮らしの貧弱な食生活は寿命を縮めます。 私は若いJと可愛いM、食欲旺盛な人・成長するために栄養をたくさん取らなければならない人と一緒なので、同年代の 特にいうならば一人暮らしの男の人よりも食事の回数 量、結果として栄養を取っていると思います。 目標も必要もあります。新しいこと(仕事)を覚えなければなりません。人と会います、話します。ストレスにもなり得ますが、それが刺激にもなっています。目標達成できると考えています。 でも今こうしていてもうずく傷みが辛い。どうにも居た堪れません。 この傷み、無理と承知しながら、何とか取り去ってもらえないかと祈る思いです。それなのに私の生活では、祈りが足りていない と自覚しています。大切さをわかっているのに。

 で気づいたんです。 そもそも大きな声を出さなければ一番いいのでしょうけど、かわいいMに接するときとっさに大きな声が出てしまって泣かせてしまうとき、一番身近にいてくれて私のことを理解してくれる人に接するとき、この傷みがあるからいい意味で抑制できている、自分の行いを振り返ることができているんだ と。 「そんなのつながりがわからない」といわれてしまえばそれまでですが私にはそう思えて感謝しているのです。 

 歳を取るのも悪くない 何か不自由(痛み 動きの制限)を抱えるのも意味が有る、と感じられるようにしてもらっていると取ることができるようになれたと感謝しています。

 

 砂の上を神様と私二人(二つ)の足跡が続いていた。 苦しみ悩みを抱えていた時振り返ると足跡は一つになっていた。 この苦しい時に神様は一緒にいてくれなかったのかと祈ったら、「足跡が一つなのは私があなたをおぶって歩いていたからだよ」と声がした。

 自分の振る舞いを振り返ると到底天国に入ることができないとわかっています。 それでも、すべてのことを司る全能の神様なら、その御心に少しでもかなう事を行うならばこんな私でさえも救い上げてくれるのではなかろうかと一縷の望みを抱いているのです。 ですから、「聖母の騎士」2024年6月号のサビオ川渕浩修道士の文中で”両手で祈る゛を目にした時「私は片手でも祈っていない、それは、両手で捕まっていなければならない私だからだ」と立ち止まってしまいました。気づきが有りました。 全能の神様がその御心ならばすべてを変えて救ってくださることを確信しています。 今私に多少の不便と痛みを与えてくれているのは、自分を振り返り気づかせてくださるためだ、と納得しています。

 ほんとに、神様の成さる事、神様の考えることは人知を超えて有り難いと感謝しています。

2024年6月15日土曜日

新潟市 西蒲区 岩室の私塾 聚石堂 他の紹介 明治の学生制定後の動きまで

 


              いわむろ  コミュニティだより 92 2023年7月1日


 まだまだ知らない歴史がたくさんたくさんあります。

最近では 「西の松下村塾 東の長善館」 と称された、燕市の長善館資料館も初見でした。 

出発の所から写真を撮り始める

  写真は ピントがアウトかどうかよりも 何時何処でシャッターを切ったかが大切だと思っています。

 私の写真は、隅々までピントの合った観光写真かなと思っていますけれど。 何を撮りたいか 主題がちゃんと写っているか。 でもそれが中心でなくとも(端)ピントが合っていなくとも、写真の意味がついてくる、キャプションが書ける。評価される写真になるのだと思います。


 ロバート・キャパの作品。彼の生涯。「ちょっとピンボケ」を記しておきます。



 






 私の写真の撮り方は、物でも話でも集まりでも、その場の手前から全体も収めるように心がけ柄います。その部分を知るにも、話のように、いつどこから始まっているのか周りは全体はどうだということも分るように心がけています。 それを意識させるようになったのは宮本常一さんの「佐渡」を扱った本を見聞してからです。 佐渡の本なのに、佐渡の地に向かうところから話 写真が始まっている。 それからですね。

吉田ルイ子さんがなくなられました

 


 写真家の 吉田ルイ子 さんがなくなられました。 (2024年5月31日)  89才だったそうです。 

 神様じゃぁありませんから、どうしようもないこととはいえ、時代と言うことでしょうか。

 写真一枚一枚がどうということももちろん触れるべきな事なのでしょうけれど、写真を撮り始めたころ師匠から50ミリのマクロレンズのみでの撮影という課題を与えられたというエピソードが印象に強く残っています。

 望遠ではなく標準レンズそれもマクロのみで撮影と言うのは、その場に それだけ近くに立たなければだめと言う事。 これは写真(機器)の扱いに長けるということではなく、人としての立場 考え方を厳しく問われ、何時何処でシャッターを切るかが左右されるということだと思います。 その後の吉田さんの生き方はそれで決まっていったのではないかと思っています。

 ご冥福をお祈りします。

鳥またぎ米 糧飯 笹団子

 


新潟市歴史博物館 博物館ニュース Vol.56
帆檣成林
2022.9.14
      より


 今ではみんな信じられないことだと思います。
でも私の記憶にあるくらいの昔、以前には量はとれたかもしれないけれど食味的には難ありだったし、農家の人たちはすごく大変な思いをしていたんです。

それにしてもよく調べるし、こうして記録(記憶)が残っていくんですね。


2024年6月1日土曜日

道の駅 かでな  これじゃぁ嫌がるわけです

  もうずいぶん前のことになります。 沖縄に行ったとき、道の駅かでなにも行きました。

 

 2012年のことですからもう12年も経つんですね。 それが最近どういういきさつなのか、大切なことだからなのか空きスペースを埋めるためだったのか「道の駅かでな」を紹介する記事を目にして。2003年当時の町長がアメリカ軍などの反対を押し切って建設されたものだということを知りました。  当時も、よくこんなところにこんなに見えるのを作ったなと思ったものですが、確かにこんなに見られたらいやでしょうね。






「子どもの学習費調査」2021 文部科学省

 ぅ~ん

学習費較差 格差の拡大再生産



しんぶん赤旗  2023.1.19


なんでも調査があるんですね。
もっともっと身につけなければ。


わざわざ世界に誇れる 保険制度 をなし崩しにしてアメリカ合衆国をまねる愚挙

 日本でもいる。意外と身近にいる。

こんなアメリカ合衆国をわざわざ追従。


しんぶん赤旗
2023.1.19


2024年5月29日水曜日

つつじ と さつき の見分け方

  少し前からあちこちで目を楽しませてくれる つつじ と さつき。 両者の見分け、これが意外と難しいのです。 車で走っていると、きれいなんだけどどれがどれやら説明できません。  

 5月に咲くから さつき、その前に咲くのが つつじ …  だとかなんだとか諸説いろいろあって。

 でもこの説明がこれまでいろいろ見聞きしてきた中で一番しっくりきました。 車で走りながらでは、一斉かパラパラかくらいでタイミングが悪いと判別しきれないと思いますが、歩きながら少し時間が取れるようなら両者を見分けられそうです。


しんぶん赤旗 2024.5.14



大勢の人がかかわってここまで来たと同時にまだまだの現状

 働く広場 障害者雇用 2024.1 No 555  の掲載記事より。この記事著者作成の日本におけるパラスポーツ年表を転載させてもらいます。

 もう少し前のことになりますが。以前勤めていた職場先近くでたまたま見つけた、こちらにおけるパラスポーツの連絡先。いろいろに取り上げられメジャーになってきたかと思っていたパラスポーツの事務所がこんな市中心部からは離れた交通も不便な場所で、奥に長く周りの建物とのスペースもなく日当たりも悪い築年数も相当に古い建物、もちろん常駐している人はいない所でびっくりの思いをした経験があります。  


この年表に載せきれない取り組みやかかわった大勢の人がいることを知っていますが、ほんと一つの資料として。





No Charity ,Bat a Chance !

 No Charity ,Bat a Chance !  保護より機会を!

 ここでは日本パラスポーツの父として紹介されている中村裕博士。 1960年にリハビリテーション研修で訪れたイギリスでの出会いが発想の転換を促し、その後の日本を大きく変えた人になります。 障碍者の自立を支援し社会復帰を目的とした 太陽の家 を設立した人でした。

 社会が大きく変わる時期だったのかさまざまに取り上げられ、太陽の家 のことはそのころの私でも知っていました。

働く広場 
障害者雇用 2024.1 No 555  より

2024年5月25日土曜日

平和行進の起源


                         しんぶん赤旗 2024.5.15


 核兵器廃絶 平和運動は年中休むことはありませんが、2月末からのビキニデーの集会から始まり、今年も8月の原水爆禁止世界大会に向けての平和行進が各地で始まりました。 自身これまで何度も参加して来た平和行進。幼い子どもも含めて家族して参加したこともありました。まだ小さい子どもにどれだけのものが残っているか確かめようがありませんが、日々の生活の中で何かの折に触れて思い出してくれたらと思っています。

 さて、その平和行進が最初は一人から始まったとは知りませんでした。 平和を望む人 何かしたいと思っていた人がたくさんいたからこそ広がり今まで継続してきているのは確かなわけですが、コロンブスの卵のように最初に思いつき行動した西本さんがすごかったということなのですね。


2024年5月18日土曜日

今日は ことばの日

  今日は「言葉の日」なんだそうです。 様々な団体が毎日 今日は○○の日 と制定していて「こんな日もあるのか」と感心することしきりなのですが、”ことばの日゛と言われると一段と関心がわきます。 何せ私がこだわりを持っ事の一つが”言葉゛なものですから。

 ですから 最初に与えられた子どもには、神 真理を喜ぶ。次に与えられた子どもには、神の証人。次に与えられたこどには、神の言葉は 真理の言葉。 と名ずけたほどですから。


しんぶん赤旗 2024.5.18


2024年5月12日日曜日

日々身を削る思いだけれど 死亡リスクは 持ち家を1とすると 公的賃貸が1.17 民間賃貸が1.45


しんぶん 赤旗 2024.5.12

 思いは一層募っているのですが、仕事に追われるどころか押しつぶされながらの毎日で実に久しぶりになってしまいました。 この4月からは、この年になって今までで一番肉体的にきつい仕事についています。 それも、実際そのタイミングでなかったとしても早晩住宅の改修はしなければならなかったと思うので、最後のチャンスだったとは思っていますが在職最終版のタイミングでの住宅改修の返済で身を削っています。  あと、保育園に提出しなければならない 就労証明書 を何とか入手しなければということでの今の仕事。 これまで、従事している人たちを目にして、大変な仕事だなぁと思っていましたが、昨年までの職場で痛めた腰背部と左のお尻と下腿部の痛みがあるのでとても大変です。 
 家族のために 目標100歳 と宣言したものの、こんなに痛い痛い言いながらずっと行くのかなぁと思います。
 そんなこんなの中でいろいろなことを見聞きし感じているわけです。この肉体がなくなった後の この記憶 がどうなるのか、とにかく伝える書き出す が必要と思いながら思うようにいかない毎日です。
 でも100歳に向けて死亡リスクがこんなに違うとは。 自分でもういいと言ったらほんとに終わりだと思いますが、悪い話には耳をふさぎ いい話頑張ろうという気持ちになる話は逃さないようにします。 頑張ります それしかないですよね。