これは持論だけれど、ある日ある時突然いなくなる、(今日の話の場合は突然死んでしまうというケース)それは本人にとってももちろん心残りのことだと思うけれど、周りの人にとっても悔いが残り、理解できない、受け入れられない状態がずるずると続いてしまう。
そうならないためにも あまり長期間になると別の事態になるので、そうだなぁひと月とか二月くらい、少し大変な思いをするくらいに寝付いてあげると、その間に周りの人も悔いが残らないように、してあげたいことができ、心の準備もできると思います。
私自身の体験でも、前触れもなく突然というのはほんとに辛い。トラウマとなっていつまでもいつまでも引きずってしまいます。また同じことが起きるのではないかと怖くてたまりません。 立ち直れません。次へ踏み出せません。
私の太鼓仲間、突然の愛する子の死。そのあまりに突然の死による深い悲しみが彼女の肉体をも変化させ、精神を病んでいる人がいます。
今彼女の具合の悪いのは、なくなった子どもにとっては弔い、残った彼女にとってはその死受け入れていく段階を踏んでいるんだと思います。
彼女にとって余りに突然のことで 気持ちの準備 受け入れる時間がなかったと思います。
少しの期間でも 病み寝付く間があれば、死の前に準備 気持ちの整理 受け入れる 準備ができたのかもしれません。
でも、どうも突然死のようなこのケースではその準備期間がなかったから今その段階を踏んでいるんだと思うんです。
それをきっかけとして鬱の状態になり離縁したのが2年前。そのきっかけとなったお子さんの死はそれ以前。
正確な年数はわかりません。でもいずれにせよもう何年もの間彼女はお子さんの死を受け入れられないでいます。
彼女は 心の方はとぎすまされ、外からの刺激に過敏とも言えるほど反応、影響を受けるようになったのです。
彼女は何年自分を責めるようにして毎日毎日を暮らしてきたのか。
彼女の生活、人生には今に至るまでずぅっとこのこと、特に子どものことが大きく影響を及ぼし続けています。
この深い悲しみ苦しみが、具体的に脳の形を変え病気を発症させてしまうほどのものでした。
そのことが直接に、服薬の副作用で間接的に肉体も、体の反応、症状としていろいろなものを呼び起こしました。
今彼女は突然亡くなってしまったかわいい子の“死”を、後先になってしまったけれど 受け入れる過程を踏んでいます。
これは辛くても彼女自身が歩み受け入れていかなければならないこと。でも仲間としてこれからも力になれるよう努めます。
それにしても親 特に母親の愛情の深さ強さよ
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