貧しい人に食べ物を施すと、私は聖者と呼ばれる。
貧しい人にはなぜ食べ物がないかと問うと、私は共産主義者と呼ばれる。
ローマカトリック ドン・エルデル・カマラ大司教 (ブラジル)
フェアトレード葉書 より |
教会の中にいるだけではなく、外に出て実際に行動、運動に参加。
赤い大司教と呼ばれたカマラ大司教は、のちの「解放の神学」の先駆けとなった人の言葉。
まだ小さかった頃好きな番組に NHKの海外特派員報告 がありました。
家庭環境もあり教会に通い、高校大学はミッション系。
教会に集う人たちはみないい人たちばかり、だけどなぜもっと社会のことにかかわらないのか、この中は別なのか、もっと行動すべきではないのかなどといろいろ感じる。
そんな時、宗派は違うけれど行動する解放の神学を知りました。
今では、いろんな運動の形態があり、いろんな条件の中で様々な運動があることも受け入れられるようになりました。 いろいろありました。
この言葉、ごく自然、素朴な疑問じゃないでしょうか。
マザー・テレサだってこんな気づき、発想から始め、批判も受けたんだろうなぁと思います。
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