2011年11月27日日曜日

1-15-30 筆舌に尽くせない素晴らしさ


 今度は、今まで私たちの左横にいたリズム対が中央に出てきて演奏。



え!なにこれ。どうなったの? 

 リズム隊のみんなが真ん中に出てくる間のほんの短い時間だけ目をそらしただけなのに。ここにいた大勢の子供たちは何処へ行ったの!?


 訓練された大人だって。それもここを埋め尽くしていた人数が、こんなにわずかの間にその存在をなくしてしまえるものだろうか!?

 とにかく。

 整列してなのか蜘蛛の子を散らすように一斉なのかその様子を目にはしていないけど、ほんのさっきいて今いないのは事実なのだから。

 不思議。目を疑ってしまうけど不思議。でも、いないのはほんと。







さて、 中央に進み出てきたリズム隊と今目の前に残っている年長の生徒たちは選抜メンバー(?)

その歌と演奏。そしてダンスが始まりました。

スゴイ! スゴイ!

 ひときわ高音の声でレレレッ!!!とはいる合いの手も効きますねぇ

何なんでしょうこの躍動間と盛り上がり。





 今日ここに立つまでの準備の様々とその期間が一気に思いだされます。

その思いが一段と

 この嬉しさに満ちた高揚感、なんと表わしたら伝わるでしょう!?

「人は(自分の) 聴きたいように聴き 観たいように観る」  Fさん30日目のEメールから


 F さんの30日目のEメール から

~私はいつか子供が欲しいと思ってしまいますが、年齢的に、今結婚しているわけではないし無理だなと諦めないといけない…。~



もともと私の頭の中、気持ちの中にそう言う“言葉”があったんだと思います。

そこにちょうど彼女の言葉がはまったんだと思います。



ここが人間の目・耳の機械より格段に優れているところですが。

360  多すぎる情報の中から、狙ったものだけを切り出せる、照準を合わせて選び出せるのがすごいところ。

ただし、その情報の取捨選択の段階に頭・感情が絡んで「人は(自分の) 聴きたいように聴き 観たいように観る」 から、思い違い取り違い、都合のいい妄想を抱くときも生じてしまうのですが。





子どものこと

私も子どもがほしいと思っていました。子どもが恵まれるよう願っていました。

(実はもう一人名前を考えていました。これまでつける機会はありませんでしたけど…) 

同様の想いを持っていたということで一段と仲間意識が高まったし親近感が増しました。



この事柄は

→ いっぱい話してくれた(話してくださいと言ってくれた)過去の(具体的)体験とは別。

これからのこと、未来への希望、これからの願いのこと。 



希望 とか あきらめない って、言葉も行為も大事だと思っています。

そして私は、F さんの言葉・想いに、共感できる人  想いを共有できる人 という印象を持ちました。



ただし。

今回のこと、彼女は単に自分の想いを言っただけなのかもしれないのに、私がそれ以上にとったということなのかもしれません。

“言ってもらいたい 聴きたい言葉” を私が頭の中で自分に都合のいいように好ましいように創りあげたのかもしれません。  

が。

2011年11月23日水曜日

2011 11月14日から20日 とおまけ  そしてF さんのこと

南魚沼市と言えば F さんの住んでいるところ。
正直20日が近づくにつれ心が乱れました。


私の携帯は着信拒否設定でだめだけど他の電話、たとえば公衆電話ならつながると思っていました。でも何度も使える手段じゃないので“今!”と言う時のためと思って試していませんでした。


どうしようかなとずっと考えていました。

しない方がいいんだろうなと思いながらも、太鼓は続けていた方が身体にもいいと思うし、限られた太鼓仲間の世界、何処で何時会うかわかりません。
一度起きてしまったことをなかったことにはできませんけど、そのときの為にも一度コンタクトをとっておきたいと思って。

仲間として、用事のあるとき電話やメールができるように設定を解除してもらうお願いをしようと思っていました。
正直、良い返事は期待できないと思っていました。  でもこれだけは何とかと祈る思い。


F さんの最後のメールの中の「逃げる」という言葉はいやだったけど「病気のせい」と思えました。
話し中 着信拒否の設定も、私としては辛く切なかったけれどまだ理解できました。



魚吹の演奏会が始まる前に公衆電話で F さんの携帯にかけたら 「ただいま電話に出られません」 と言うメッセージが。
公演が終わってからもう一度かけたら 「この電話番号 は現在使われていません」 と言うメッセージが。
さっきかけたばかりだよ!

ほんのあっという間、番号まで変えて・・・
こんな問答無用のやり方をパッとやられてはもう私としてもどうしようもありません。
これから先も こんなこと と思うととても・・・

でも
こんなことになっても  私は逃げません ここにずっとここに居ます。

2011 11月14日から20日 とおまけ  3の3

11・20(日)
夏前から予定していた南魚沼市の吹奏楽団の第25回記念演奏会を聴きに出かけました。
国道で行ったんですけど、今は道も整備されていて約110キロを3時間かからずに行きましたね。
南魚沼市は県境が近い山の方で雪が心配だったんだけど幸いずぅっと雨降りだったけど雪にはなりませんでした。  感謝

魚吹の演奏、初っぱなびっくりしました。
良い音 ボリューム 歯切れで、こんなところにこんなレベルの楽団がいたのかとびっくりしました。


ただ聴き進む内にどうも出だしの音が弱々しいし揃わない。私もそんなに人のことを言えた立場じゃにけど音を探っている感じがしました。特にホルン。

最後のアンコールで演奏したのはいつもの曲とのことでしたがこれがまた最初の演奏のようにすばらしい。

この演奏会に向けてたくさん練習をしたと思います。でもそれ以上に、この曲のように毎回演奏する曲は練習、そして本番で演奏してなじんでいる、なれているんでしょうね。

そこが違うところかな。そしてそれが大事なことなのかな。自分のものにしているということで。

さてこの日のゲストは、CDも持っているしテレビでも何回も見てる、ジャズトランペッターのエリック・ミヤシロ。

今日わざわざ南魚沼市まで来る気になったのは、以前エリック・ミヤシロさんがアップ ビートという新潟のアマチュア ビックバンドの演奏会にゲストプレーヤーとしてよばれたとき、本人の演奏ももちろん良かったんだけど、ビックバンドの音がエリックさんのちょっとしたアドバイス、タイミングのメリハリで音がガラット変わってしまったのを目(耳)の当たりにしたから。
そのすごさをまた味わいたくてきたのです。
演奏がすごい人と、もちろん演奏も良いんだけどそれ以上に他のメンバーを乗せるというか音を変えてしまう人がいると思うんですけど、エリックさんは後者の人ですね。


おまけ
翌21日22日は全国的にとても寒くなり、12月中旬の気温とのこと。
雪が降り、ニュースで写った道路につもっていました。
一日違ったら大変なところでした。  セーフ ッ

2011 11月14日から20日 とおまけ  3の2

11・18(金)
今日はサックスのレッスン日。

先日マイ・サックスを購入した人は家でも練習をたくさんしているようす。音も良くでているし指も良く動いています。
ここに来たときしか触らない私とは違います。
でもそれでこれだけ吹けるのはある意味すごいのかな。なんて思ったりもしますけどやっぱり練習は必要ですよね。

マイ サックスを決めるため ヤナギサワ  ヤマハ  セルマーを吹き比べる時少し同席させてもらいました。
この夜彼女が吹き比べたサックスは三者三様、メーカーごとに個性がはっきりしていました。
彼女は最終的にヤマハにしたんですが、私はすっかりセルマーが気に入りました。
違うものですねぇ。ヤナギサワはバリバリとブローする感じ。強く息を入れなければ鳴らない、良くも悪くも抵抗があって力強い音。
ヤマハは管が太い印象。最初に音を出すということでいうと一番だしやすそう。良い音で鳴らすには慣れや練習が必要なんでしょうけど、アンブッシュアにちょっと注意が必要かな!?
セルマーは、正直こんなに違うのかとびっくり。実にまろやかで甘い音でした。
私が長年愛用しているのはずいぶん昔のヤナギサワA80というモデル。そこにオットーリンクのラバーのマウスピース(メタルではない!)、リードはヘムケも好きなんだけど、普段はマーカジャズの2半あるいは3を使っています。
腹筋というか呼吸というか、運動という気持ちもあって大きな音でバリバリ鳴らしてますが。強すぎるというか、もうちょっと強弱をつけて表情をつけた方がいいなぁと思っていました。でもこれ楽器のせいもあったんだと言うことに気づきました。
ヤナギサワは体で息を入れバリバリしないと良く鳴らない感じなんです。もちろんうまい人は別ですよ。  あくまでも私においてというところですが。
イメージとしてはバップなんかがぴったりなんでしょうね。
ところがセルマーは音も出しやすそうだったし、なにより甘い音。たぶんそういう音を出そうとしてじゃなくて、普通に吹いてもそういう音がでるんでしょうね。
すっかり気に入りました。
難点はヤマハの倍。 と、までは言わないけれど1.6~8倍もの値段。演奏する曲や好みもあるからセルマーが絶対一番なんて思わないけど、それでもこの音が良いと思ってもこの値段の差は大きいでしょうね。ヤマハだって決して安い値段じゃありませんでしたもの。それの、ですからねぇ。
ちなみに私ポール・デスモンドの音好きなんですよね。同時にバリバリと吹くバップやモダンジャズの演奏・音も好きですが。
最近はジュリアン・キヤノンボール・アダレイの明るい音も好ましく思っています。
ギタリストの人はけっこう何本も持っていて使い分けたりしてるし、サックスプレーヤーでも何本も持っている人もいます。
私だって曲で使い分けてもいいのかもしれませんね。

11・19(土)
午前はカノンの練習。
ちょうど駐車場に車を止めていたときMさんも来て一緒になりました。
彼女も仕事が忙しく、一緒になるのは実に久しぶりだったので近況や仕事のことなどを話しながら建物に入りました。
彼女話すときはいつも良い笑顔を返してくれるので気持ちが良くなります。少し高ぶった感じで練習に参加できました。
今回は(あまり大差ないけど)後3回の練習日しかなくて、みんな仕事を抱えているからなかなか全員がそろいません。先週はこの彼女がこなくて、先週来ていた人が今日はお休みという具合に大変なんですよ。
私は相変わらずキャストだけじゃなく設営から始まって何役かなぁ。今回はハンドベルの時のベース演奏もすることになったので練習しなくちゃ。


午後は先日のお礼で親戚周り。
夜は念願の「おじいさんと草原の小学校」を観に行ってきました。
東京の岩波ホールでかかっていて、新潟にも来ないかなぁと願っていた作品。
決して 楽しい映画 というわけではありませんでした。
舞台となった場所は、風光明媚な観光地ではないけれど、昨年私自身がケニアに行ったということもあって懐かしくも美しい景色でした。
映画は、ケニアとして独立するまでのイギリスと 部族間の出来事。
マウマウ団、自由を求める人たちに対しての激しい弾圧。
目を背けたくなるシーンもたくさんありました。あれでは反発もうけるし 独立 自由を求める人たちは増えるばかりでしょう。 かえって追いやっていましたね。
人間の尊厳が詠われていた作品だと感じました。
自由と教育、家族の大切さ。  人間として美しい人が写っていました。

2011 11月14日から20日 とおまけ  3の1

11・14(月)

明日から仕事復帰。明朝起きられるかが何とも不安なので今朝布団からでるとき、明日に備えて目覚ましのスイッチを入れる。
夜中早朝に目がさめてしまって「どうにかならないものか」と苦慮しているのに、目が覚めてほしい肝心の時どうなるか心配で。 大丈夫だとは思うんだけど。


本番まで一月を切ったカノン主催のクリスマス会の練習が毎土曜午前中の時間帯で始まり、ヨガのクラスをしばらく土曜午前から月曜夜の時間帯に変更することとする。
週のはじめの夜というのが少し気がかりだけれど、もしかしてそれで睡眠の質が良くなるかな?!とも思って。

会場は土曜午前クラスと同じ部屋。
でも、部屋の全体照明は消され、代わりに小さなクリップライトが灯されお香も焚かれています。環境音楽のBGMも。
ずいぶん雰囲気が違います。
ヨガそのものも土曜クラスよりハード。筋力強化の内容もあり睡眠に結びつく緩やかなというものではありませんでした。少し筋肉痛。
でもすっきりした~。

11・15(火)
特別休暇明けの久しぶりの出勤。
車を運転してみたら、同じ車 同じ道なんだけど、どう言ったらいいのかなぁ、すこしフワァーッとした感じだったかなぁ。今一つシャキッ!としない感じ。
まぁいろいろあったし終わりの方は疲れも出始めてきたのでこんなものかなぁ。でも気をつけなくっちゃ。

気にかかっていた仕事、勤務時間では少し時間が足りなかったけれど一山 区切りのところまで終わらせることができたので気持ちとしてはすっきりしました。


11・16(水)
仕事は昨日と同様に。休んだ分を取り返してきたかな!?

仕事を終え、夜はゴスペルのレッスンへ。
この教室の進め方もだいぶわかってきましたが、先生によってずいぶん違うもんだなぁと感じています。
この先生はCDの音源も使うけどギターで生伴奏つけてくれるし、なによりCDの模範にあわせろと言わないのが良いですね。
でも声の大きさはゴスペルなのにこんなでいいの?という大きさ(小ささ?!)。
脳貧血を起こすぐらいを全員に求めるつもりはありませんが、軽く汗ばむくらいに体を動かしたり大きな声で歌いたいなぁとは思います。

11・17(木)
母の私物がまだあったという連絡を受けたので午後から時間をもらって取りに行くことにしました。

取りに行くのは夕方までに間に合えばいいので、この時間・チャンスに新津美術館で行われている写真展“おんな 1945~2010”を観に行きました。

前に観たことのある写真も結構ありましたが、その時代の雰囲気が伝わってくる写真がたくさん紹介されていました。
40年代50年代60年代半ばくらいまでの写真には 写っている人たちその人たちが活きる“時代”にもすごく勢い エネルギーを感じました。
60年代後半から80 90と進んでくると被写体も個人個人というより複数の群像という感じに変わり、世相を映し出すような作品に変わってきていました。
もちろん今回の写真展で取り上げられた作品の数々がすべてを写し記録しているわけではありませんが、こういう事象があったのは事実です。

昨年の韓国でも感じ、現代ものの中国映画を観たときにも感じたことですが、“国全体 世の中全体”混沌として将来に何の保証があるわけでもないけど勢いがある、そんな世相を写し取った(感じた)一枚もありました。 
時代区分で言うと、60年代後半の一枚でした。

1-15-29 お礼の出し物 「大きな歌だよ(夢)」

続いて今度は私たちの番。

会場も広く、なにより大勢の人が集まっているときのざわめきでサイデァフラハの時とはにぎやかさが全然違います。
それでお返しは、キーホルダー兼用のミニハーモニカ演奏はやめて、私が準備してきた出し物だけになりました。


私は日本を発つ前にこれなら一緒に歌えるかな!と思う曲を2曲選びその楽譜を10部ほど用意してきました。

当日歌ったのはそのうちの「大きな歌」、その5番 ~大きな夢だよ~と歌うところ。

Nガイドに日本のリズムの特徴など日本文化の説明を通訳してもらってから始めました。


みんなで歌えたらいいなぁと思っていたので、
まず私が一度振りを交えて歌い、続いてワンフレーズごとに区切って歌唱指導 
と思ったら!!  子どもたちは次のフレーズまで続けて歌うじゃないですか!

確かに、曲も歌詞も覚えやすい物をと思って選んだせいもあるでしょう、でも
たった一回でここまで覚えてしまうとはびっくり。

私の声が大きくてハッキリ聞こえたのかな?!

途中からはリズム隊も加わってくれて曲調もがらりと変化。 みんなノリノリ、私もシャウト!

こんなにすぐ編曲までして別の曲にできるなんてすごいなぁ、ほんとにすごいなぁ



後で聞いた話
私が“すごい乗り!”すごいなぁほんとにすごいなぁと感じたリズム、
実は もう終わりだよ と言う合図のリズムなんですって。

それを知らない私がそれに乗っちゃって歌い続けてしまったんだそうです。
でもそれで大盛り上がり?!

それにしても知らないってことは・・・
赤面ものです。

2011年11月15日火曜日

日曜早朝に息を引きとったところに神の考えを感じます


母は116日早朝に息を引き取りました。



命あるもの何時かは終わりの時を迎えなければなりません。といってもなぜ6日だったのでしょうか。

徐々に弱り、ターミナルに入るくらいでしたからほかの日だっておかしくないのになぜ6日だったのでしょうか。 



そこに私は神の考えを感じます。

116日は日曜日だったのです。

 

 式の準備をする中で牧師の口から式(前夜式 葬送式)は結局礼拝なんです…

という言葉が出ました。



 息を引き取ったのは6日日曜の早朝でしたので、日曜礼拝の時間にはもう会堂隣の部屋にいました。

そして執り行われる礼拝を聞いたのです。

非日常から 日常へ


小千谷縮の着物と片貝木綿の反幅帯

   母の死、そして前夜式 葬送式 その準備や諸手続きであ
 わただしい、非日常の一週間が終わり、再び日常の生活に
 戻っていきます。
 

良いも悪いも、実母が亡くなった時の一週間という特別休
暇が終わり前の生活 仕事に戻っていくのだろうけど、
311同様 以前と全く同じではありません。

これ以前とはどこか違ってしまっています。


疲れが出始めています。

で、どのように落ち着いていくのかはまだまだこれからな
んでしょうけど、すでに今でも何か感覚的に違いを感じて
います。 

原発再稼働は勝手に決めないで!




今朝のニュースで、日本全国に福島第1原発の放射線が降り注いでいるという調査報告が扱われていました。

 それで改めて思いました。

こんなに広域に被害 影響がでているのに、原発再稼働の了解を取り付けるのは立地自治体だけでいいんでしょうか?

 おかしいと思いますね。

 ここまで広域に影響がでて、避難準備だとか警戒区域が30km60kmに拡大された今、普通に考えれば、影響を受ける人 地域全部が納得しなければおかしいんじゃないでしょうか。

 たとえば、新潟県の柏崎刈羽原発から60kmと言うと長岡や新潟市もだめですからね。福井県の原発で何かあれば京都だってだめですからね。


 辺野古もそうだけど、自分の望む返事がでるまでやめないんだから。

 話し合い とか お願い とか口では言っているけど自分に都合のいい返事がでるまで延々なんだからおかしいでしょう。

これって対等な話し合いでしょうか?

話し合って決めるという態度ではありませんよね。

2011年11月13日日曜日

1-15-28 突然の誕生日プレゼント

サプライズがありました。



ガイドの N さんが突然 「この人は今日が誕生日です!」 と I さんのことをみんなに紹介。
同行の I さん、今日がちょうど誕生日だったのです。

そしたら 反応良いんですよ。


間髪入れずにハッピーバースデーの大合唱。

打てば響くッてこういう感じなんでしょうね。 


I さんはもちろん 私もびっくり。 みんな大大感激。

I さん ちょっとお兄ちゃんの子に手を引かれてみんなの中に。
その手をつないだまま飛び跳ねグルグル回り出しました。

みんなもつられて大にぎわい。すごい誕生日プレゼントになりました。
こんな誕生日私は初めてです。

1-15-27 ・2 力を入れていること“音楽” 代表が全国4位の実力



歓迎して歌ってくれる曲の中に、JIWEやこれまで後援会の場で入手していたCDで聞き覚えのある曲も。

やはりなじみのある唄は入りが良いですね。


弾むリズム 明るく元気のいい歌声 表情も良いとなると自然とシャッターを押す回数も増えます。


聞けば、このスクールは音楽にとても力を入れていて、昨年(2009年)のケニア全国大会で4位になった実力だそうです。

確かにそう聞いて納得する歌や動きです。

2011年11月12日土曜日

1-15-26・2  自己紹介



私たちはおのおの考えてきた自己紹介をします。

といっても「ジナラングーニ○○」と名前を言うくらいの物ですが。

私は出だしに ジャンボ!を追加してみました。

2011年11月11日金曜日

葬送式 献花する姪



葬送式で列席者の献花を受け棺は花でいっぱいになりました。
 
会堂の中も私が手配していた以上にお花がいっぱいになりました。
 
たった一人の姪が献花しています。

納棺式の時は呼ばれても遠くへ行った姪。
私も小学校3年生の時のおじいちゃまのお葬式の時はそうでした。
「私もおじいちゃまの時はそうだったからわかるよ。無理しなくていいよ。」と声をかけました。

先天性の疾病がありながらも、一生懸命の両親にも支えられ18歳になりました。
感受性は人一倍豊かなようです。

納棺


おかげさまで、牧師の司式で教会にて前夜式 葬送式を終えることができました。



それに先立っての納棺式まで二日間は会堂とは別の部屋にいました。

「教会は神様が守っているんだからずっとついていなくてもいいんですよ」と気付かってくれる声もありましたが、そこに兄弟が交代で泊まり込みました。


小さいときは夜の暗闇が 雷が 怖くてしようのない私だったのに、この広い家、電気のついていない真っ暗で寒い家に帰ってきても、真っ暗な夜中の雷にも何とか大丈夫。

変われば変わるものだと思います。今の状態「怖い!」と言ってもどうにもなるものではありませんが…



そんな私、そして映画の好きな私。

いくつかの話やシーンを思い起こして、心細い気持ち少し怖い思いが全くないわけではありませんでしたが私をいつも気づかいかわいがってくれた母ですもの、一晩添い寝をしました。

 また前のように声をかけてほしい、こちらを見 手を伸ばしてほしいと思いながらも、もう時間がたち胸腹部にドライアイスを当てられても冷たいと言わない状態になって、そんなことはありえないともわかっていました。

でも映画なんかだといきなり起き上がったり物音を立てたりというシーンがあったりということもあるのでいろいろね…



夜も更け、時折通る車の音が響き渡り、自宅での夜との違いをこんなところでも感じさせられました。

照明を落とし寝ていると時折「プツ!」とか「ポッ!」という音がするのです。多分ドライアイスが気化する音だと思いますけど少しドキッ!としました。

  

写真は納棺時の一枚。望みでもあったお花でいっぱいの様子です。

お世話をしてくれた人が最後のお化粧もしてくれました。

“エンジェルメイク”に改めて取り組んでいる人もいて関心を持っていました。

そういうことで言うと、私の知っているレベルのものとは少し違いました。

簡単なことでないのはわかっているつもりですが、まだまだこれからなんですね。

2011年11月6日日曜日

今朝 母 が亡くなりました




      今朝母がなくなりました。

      昨夜はどうしても抜けられない係りのことがあって遅くなりました。
      帰ってから翌日の約束のことがあったのですぐ横になりました。

         4時ころと 5時半頃なぜか目が覚めました。

      ちょうどそのころ天に召されたようです。

      やはり何か不思議なものがあるのでしょうね。



      子どもとしてなすべきことがたくさんあるのはわかっているんですが、
      どうにも気力が出なくてしようがありません。

      素直に神様と教会の皆さんの助けを借りることにします。

         アーメン

2011年11月4日金曜日

「ここで、ひとりぼっちで死ぬのかね?」と聞かれたときはドキッとしました。




いま帰ってきました。(113日夕方) 

この8月に86になった母。夏前から好物の甘い物も口にしなくなり 急にやせてきました。
 体もすっかり小さくなって、形相も変わってしまいました。 

そんな見た目の変わりよう、検査データ、これまでの既往・年齢を考え併せて予後はある意味覚悟していました。

  

秋口、主治医から説明を受けました。

私もそう感じていたので話に特にびっくりはしなかったけれど、改めて聞かされると「ついに」と思い“こんな日は誰かに一緒にいてもらいたい”という気持ちになりました。

その後一段と食が細くなり、良くて半分だいたい二~三割。ついには食べると戻すようになり、水分補給のための点滴をするようになりました。

それでも、会いに行けばちゃんと笑顔で迎えてくれるし昔より線が細い声だけど話もできて、頭ではわかっているつもりだけど気持ちとしてはこんなに元気なのにあの説明は本当なの?なんとか良くなってほしいという気持ちでいます。



 施設の配慮で4人部屋から個室に移りました。
理由があるにしてもこの配慮には感謝しななければいけないでしょう。
 
でも本人は、いくら頻繁に職員が顔を出してくれると入っても一人きりの部屋「寂しい」と口にしています。

「ここで、ひとりぼっちで死ぬのかね?」と聞かれたときはドキッとしました。
 

それで今日、少しでも部屋の雰囲気が変わるようにと思い、孫の真喜さん証さんの小さいとき写し大きく引き延ばした写真を持っていきました。
 

 先日行ったときは耳が遠くなっていました。

 私が話している時に「聞こえないよ!」と言われた時はびっくりしました。

体の機能が落ちて来てるのかなぁと思いました。

今日行ったら目が少しうつろ。

壁や天井に何か見えているようでした。
何がみえるの?と聞き返しても、耳のこともあったんだと思うけど今一つ話がかみ合いませんでした。
 

全体的に調子は落ちてきています。

水分(点滴)だけでももう少し量を増やせないものかと思いますが、心臓の負担が増すのでできないのだそうです。

薬を飲んでも反応しなくなっています。回復していないけど治療もできない状態です。