2011年11月27日日曜日

「人は(自分の) 聴きたいように聴き 観たいように観る」  Fさん30日目のEメールから


 F さんの30日目のEメール から

~私はいつか子供が欲しいと思ってしまいますが、年齢的に、今結婚しているわけではないし無理だなと諦めないといけない…。~



もともと私の頭の中、気持ちの中にそう言う“言葉”があったんだと思います。

そこにちょうど彼女の言葉がはまったんだと思います。



ここが人間の目・耳の機械より格段に優れているところですが。

360  多すぎる情報の中から、狙ったものだけを切り出せる、照準を合わせて選び出せるのがすごいところ。

ただし、その情報の取捨選択の段階に頭・感情が絡んで「人は(自分の) 聴きたいように聴き 観たいように観る」 から、思い違い取り違い、都合のいい妄想を抱くときも生じてしまうのですが。





子どものこと

私も子どもがほしいと思っていました。子どもが恵まれるよう願っていました。

(実はもう一人名前を考えていました。これまでつける機会はありませんでしたけど…) 

同様の想いを持っていたということで一段と仲間意識が高まったし親近感が増しました。



この事柄は

→ いっぱい話してくれた(話してくださいと言ってくれた)過去の(具体的)体験とは別。

これからのこと、未来への希望、これからの願いのこと。 



希望 とか あきらめない って、言葉も行為も大事だと思っています。

そして私は、F さんの言葉・想いに、共感できる人  想いを共有できる人 という印象を持ちました。



ただし。

今回のこと、彼女は単に自分の想いを言っただけなのかもしれないのに、私がそれ以上にとったということなのかもしれません。

“言ってもらいたい 聴きたい言葉” を私が頭の中で自分に都合のいいように好ましいように創りあげたのかもしれません。  

が。

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