母は11月6日早朝に息を引き取りました。
命あるもの何時かは終わりの時を迎えなければなりません。といってもなぜ6日だったのでしょうか。
徐々に弱り、ターミナルに入るくらいでしたからほかの日だっておかしくないのになぜ6日だったのでしょうか。
そこに私は神の考えを感じます。
11月6日は日曜日だったのです。
式の準備をする中で牧師の口から式(前夜式 葬送式)は結局礼拝なんです…
という言葉が出ました。
息を引き取ったのは6日日曜の早朝でしたので、日曜礼拝の時間にはもう会堂隣の部屋にいました。
そして執り行われる礼拝を聞いたのです。
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