昨日知り合いの誕生日でした。(5月23日)
「お誕生日おめでとうございます。これからもよろしくお願いします。」と言うEメールを送りました。
この昨日誕生日だった知り合いは、つい先日も日が暮れ始めてビックリするくらいたくさんの自分の時間を私のために使ってくれた人です。
用があって電話で話すうちについついぽろッと弱気なことを口にしてしまったんです。
そしたら、話の中身なんていきなり聞かされてもわからなかったと思うんだけど、雰囲気と言うか口調を気に留めてくれたのでしょうわざわざ来てくれたのです。
ありがたいことです。
もっともっと昔、外に出られないでいた時にドーナツを持って様子を見に来てくれたのも懐かしい話です。ドーナツを買っている姿なんてピンとこない感じの人なんですけどね。
それ以来おつきあいしてもらっていたんです。
数年前ひょんなことから誕生日を知って、それからお誕生日おめでとうございますと連絡を取っていたんです。もちろん去年もね。
それで、この度、エエッもう一年経ったのっと思った次第です。
話にまとめようとすれば365話・日では収まらないくらいたくさんのことがあったけど同時に感覚的には前のお誕生日のEメールを出してからまだほんの数日しかたっていないような気にもなります。
暦上は間違いなく12か月、365日が経っているんだから、歳を重ねるごとに時間(月日)の進む具合を早く感じるようになる。まさにそれなんでしょうね。
尺度、基準としてカレンダーに目をやれば前の1年その前の1年と(ほとんど)変わらないんだけど、でも違って感じる。
なんで子供と大人の時間は違うのか(受ける感じ)の時によく出てくるのが年齢分の1と言う説明のように思っています。同じようなことは大勢がいろいろ考えているようで、いろんな考えがあるようで、なるほどねぇそんな考え(想い)もあるのかと言う時もあるけど、今一番そうかと思えるのはこの年齢分の1と言う発想かなぁ。
つまり一歳の赤ちゃんにとっては1年は1分の1(1/1)の時間だけれど、20歳の人にとっては1年が1歳の赤ちゃんの20分の1に思える、と言うこと。うまく説明できないけど。
さすがに1歳の時のことは感覚以外に具体的な出来事のことはパッと思い出せないけど(感謝すべきことに周りから話して聞かせてもらって自分自身がおぼえているかのような感覚もあるけど)例えば10歳くらいの時おばあちゃまと手をつなぎ初めて遠いところまで歩いて行った時の広い道、暮れかけて色づいてきた高い空の記憶の有ったころと、30歳代の実に様々なことがあってあわただしく“速く毎日が”過ぎて、時間が足りないと思ったころとは(テンポが)違います。そういうことなのかなぁ。
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