最近改めて思います。
昔々そのまた昔、労働運動でよく耳にした 「同一労働同一賃金」
最近この言葉のことがほんとに意味のある大事な事だと思います。
日本の組合は西欧の業種ごとの組合とは違って、会社ごと企業事に組織されています。(ナショナルセンターはあります。いくつも…)
したがって各企業事に規模力量の違いがあるように、組合ごとにも力量の差があります。
日本においても“10・21”世界反戦デーのような世界に誇れる社会的な活動もしてきました。けれど業種どうし働く者どうしが一つになって労働条件、生活・社会をよくしていくというところではまだまだ不十分です。
今の日本生き辛さが増しています。
複雑なさまざまな雇用形態があって、同じ仕事をしていてもその対価は多岐に亘っています。
若い人の就職が大変。 特に正職での雇用率がどんどん下がっています。
正職で努められない事から生まれる、今そして将来にわたっての格差。
中高年に対してずぅっと続いている“リストラ” その後のとても難しい再就職。
賃金が上がらない、雇用が脅かされている。社会内の格差の拡大。
現在の雇用、収入の問題、暮らしが改善されないことを起因に健康問題も生じています。
健康 健康保険 医療 低賃金 長時間労働、生活の困難さ 住宅 諸物価高騰 年金。
現在の問題、将来への不安。こんな状態でお金を使うわけがありません。経済が循環していくわけがありません。
話し戻って。
組合の形態が、組合が変わればそれで自動的に問題が解決するなんて考えてはいません。
それらの国々だって社会問題は自動的に解決しているわけではありませんから。
でも日本の、特に大の付く企業は、その雇用形態
賃金格差を解雇のしやすさ、経営の安全弁としか考えていないように思います。
社会的責任を果たしていない、働く人を人間としてとらえていない。人格 尊厳をずたずたにしていると感じています。
もっとも、日本(人)全体において「人権」意識が低いと私は感じていますけどね。
同じこと(仕事)をしていても違っている状態をいつまでも許しているようではよくなりませんよ。
日本以外の国、日本以上にいろいろな対策がとられている国々だって、いざその場
その国に実際に暮らせば、離れて知り得ている事だけじゃないのはわかったうえで、無理を承知あえて言わせてもらいました。
0 件のコメント:
コメントを投稿