2014年7月29日火曜日

WCC AALA 二つの講演会   2/2

 
二つ目は、一日おいた712()に聞かせてもらった新潟AALA7回総会の時の、「ASEANの平和の流れと日本外交」-文明の交差点がはぐくんだ東南アジアの多様性と統一-と題して行われた記念講演。 講師は 新聞社の元ベトナム特派員・日本AALA国際委員会委員のS・Kさん。

Sさんは、定年後役員として会社に引きとめられるわけでもなく、この日紹介された略歴にも“長”のつく肩書はないものの、長年にわたる特派員時代の人脈・経験を活かしてASEAN諸国と日本の懸け橋として交流を深めている人でした。 
 その人が、ASEAN結成までの事、果たしてきたこと、今の潮流などを詳しく話してくれました。

ASEAN=東南アジア諸国連合は、日本のマスコミから「話ばかりで何にも決まらない」と揶揄されることがあるそうです。というのは、とにかく話し合いを大切にし話し合いで解決しょうとする。ASEAN加盟10か国の多様性を受け入れつつ全会一致を追及する。年間1,000回を超える各種の会議が行われている。というところを、そのように見ているということなのかもしれません。

ASEAN結成までには、バンコク宣言=平和5原則 バンドン会議=バンドン10原則=非同盟諸国運動をへて。まず道義的拘束、そして例外なしの不干渉、大国主義の軍事同盟の排除、コンセンサス外交を生み出してきました。
そうして結成に至ったASEANはその憲章に ・政治・安全保障共同体 ・経済共同体 ・社会・文化共同体 を謳っています。
当初5か国から始まったASEANは、30年かけて10か国の連合体になったそうです。新たに加盟した5か国は以前政治的に対立していたベトナムなどの国々。わたしも当時それをきいたときびっくりした覚えがあります。来年にはEUにならって、ASEAN共同体発足の予定だそうです。(20151221発足予定)  

 私は初めて知りましたけど TAC=東南アジア友好協力条約 のことも紹介してくれました。
こちらはその理念に、徹底した平和主義 国家間の紛争解決のために武力行使をしない を謳い、今やTACがこの地域の平和維持の行動規範になっているんだそうです。 (TACには現在は22の国が加盟)

 こちらの講演会は、東南アジアの国々において、どういうことをへて今に至っているのか、これからどこへ向かっているのかを詳しく聞くことができたように感じています。

 

 

 「日本・中国に比較すればASEAN諸国は小さく、誰をも威嚇しない。しかし、ASEAN諸国が結束すれば十分に大きくて、諸大国間のバランスを維持することができ、諸大国間の開かれた競争を維持できます。」 スリン・ピツワン元タイ外相談

WCC AALA 二つの講演会  1/2


期せずして、同様の趣旨を感じさせるテーマの講演を、短い期間に聞く機会に恵まれました。

一つは、KKさん 関西学院大学神学部教授を講師に 世界のキリスト教界の新しい動向 -WCC釜山総会に参加して- と題して(710)行われた講演。 注 WCC =世界教会協議会

 講師のKKさんは、とにかく“長”のつく肩書きが多い人。名を成した人なんでしょうねぇ。(日本キリスト教学会理事 日本宣教学会副理事長 日本キリスト教協議会宗教研究所理事 世界教会協議会信仰職制委員 他) 
 講演内容は一言で言って期待外れでした。自分が行ってきたところ・参加した会・会った人を紀行文的に紹介しただけ。「世界のキリスト教界の新しい動向」というテーマならば、これからに向けて今取り組んでいることもっと具体的に紹介してほしいと思いました。
 その最たるものは、この7月の2日から8日に行われた世界教会協議会中央委員会の出した“4つの声明”のこと。話によると、その4つの声明のうち2つが日本に関することだった、と言うのですがそれが一体なんなのか全然話に出てこないのです。こういうことこそ話すべきではないか、と思いました。お世話になっているこの催しを運営してくれた人たちの、大学時代の恩師だということで躊躇してしまいましたけど、あまりにも表題と違っているので一言言ってやろうかと思ったほど。

ちなみに、その4つのうちの2つとは ・この地上からあらゆる「核」(核兵器・原子力エネルギー・原発)を取り除くことを求める ・非核世界の実現を求めて というものでした。受けもしないテンポの悪い軽口を話す前に、これこそが当日のテーマ 世界のキリスト教界の新しい動向 に沿った話だったなと改めて思いました。

 

おまけ 気付いてしまった NCC=日本教会協議会 の限界
WCC委員会にNCCから2名代表を選出することになった時、代表選出基準として・若い人・女性 にこだわってくれということが伝えられていたそうです。けれど、選ばれたのはKKさんとKKさんと同世代の男性が選ばれ、結果一人は代表として受け入れられずKKさんだけが参加したことがあったそうです。 
この話、一人は認められないという状況の中でも私は認められたなんて形で紹介するような事柄ではないと思います。この経緯は、NCCとして反省すべき事柄。・若い人・女性 に席を譲る時期だったという事柄だったんではないでしょうか。それに思いが至らないということ自体がこの組織の現状・限界を示している事柄だと思いました。それにしても、少しは期待していたんだけどなぁ。

2014年7月25日金曜日

ご機嫌な映画 「ソウルガールズ」(原題・THE SAPPHIRES)


2週にわたる講習会の前半がやっと終わりました。今は日の長い時期なので暗くはならないけど、まるまる朝から夕方までみっちりのカリキュラムでさすがに疲れました。でも講習の目的が・視力に障害を抱えた人が出かける時の安全確保・公的な書類の代読や代筆から出かけた時の食事まで様々な情報伝達の仕方を学ぶためのものなので、それだけの内容と時間がかかるのは当然でしょうけど。(視力に不便のある人に、お料理のことを伝えるためにもっと食材や調理方法のことを学ばなければと感じました。)

 

ところで、先日ご機嫌な映画に出会いました。邦題「ソウルガールズ」(原題THE SAPPHIRES)
トレーにディスクをおさめ映画スタート。“盗まれた世代”を題材にした「裸足の1,500マイル」(2002年オーストラリア映画)を思い出す白豪主義時代のオーストラリア。
その白豪主義のオーストラリアでのアボリジニとしての主人公たちの生活・人生の閉塞感。そんなオーストラリアではかなえられようもない夢のため、生活のためベトナム(戦争)まで行く。自分たちも命の危険にさらされるベトナム戦争の生々しさ。そこへも行かざるをへない選択肢のなさ。そこまでもしっかり描かれた、単に乗りのいい綺麗にとどまらないそんな背景がしっかり描かれながらも、音楽も絵もきれい、テンポもいいし展開を期待させる出だし、途端にご機嫌な気分になる作品でした。

おすすめ。

2014年7月21日月曜日

「日本十進分類法(NDC)」講習


前々から関心のあった書籍の整理の仕方・書架整理の講習を、来月お盆明けに新装開館する坂井輪図書館で受けてきました。(7月20)

今回の新装開館は地区事務所・公民館の移転整備に合わせてのもの。私の目算で5倍くらいの床面積に広がり、これまで扱われていなかったAV関係の取り扱いも始まるということで音楽や映像のソフトが並んでいました。面積が増えた直後なので書架はまだまだガラガラ、これからが楽しみです。


始まりの説明で、日本のほとんどの図書館は「日本十進分類法(NDC)」で分類 配架していることが話されました。→これこれ。これが聞きたかったんですよ。 
注 併用されていた「別置」という分類はローカルルールのようです。ちょっとあいまいなところがあったので質問してはっきりしました。

説明の後さっそく実習に移ったのですが、これが結構大変。何せ基本3桁の分類番号。そこへコンマ以下の番号が追加されたり4桁になったりが混在しているんです。広くなり・増えた書架に一桁目の類でとにかくおさめたという感じで、二桁目の鋼 3桁目の目は混在状態です。その上本のサイズもさまざまで、最初はなれなくて“目が泳ぐ”ような感じでした。

そんな感じで始めたのですが、不思議不思議。鋼や目 事の分量もだんだん頭で分かるようになり、棚の配分もできるようになりました。トランプゲームの神経衰弱のようにあそこに何番があったなんてことも浮かぶようになり、作業スピードが上がってきました。「ご苦労様でした、終わりにしましょう。」と図書館の人が来たときにはだいぶ整理することができました。どうやら(私は他の受講者より)倍以上作業が進んでいたようです。

 私この作業合ってるような感じが途中からしていました。あれをこっちへこれをあっちへ、黙々と入れ替える。気持ちもだんだん落ち着いてきて無になれる感じ。これいいかもしれない。時々来てさせてもらおうかな、という気持ちになりました。

たっつあん ベストCD完成記念コンサート




たっつあん のベストCD完成記念コンサート(719)に行ってきました。

会場は昨年できたばかりの江南区文化会館・音楽演劇ホール。私初めて行ったけど、図書館も併設されたデザイン的にも意欲的な建物でした。ホールは定員400。そこが結構うまってました、300以上は充分いたと思います。

 
 

たっつあん のことはもう何度も話してきました。保育園に行ったり仲間内では変わらず歌っているようですが、私は久しぶりでした。るつこ さんのコンサート以来かな。

久しぶりのたっつあんの歌。もともと張り上げて歌う方ではないし、音域も特別広い方ではなかった印象がありますが、前聴いた時もこんなだったかなぁと思ってしまうような上がり方。でも駄目じゃないんだなぁ。不思議だけどこれもあり!というか、プロと限らずともどちらかというと酸いも甘いもたくさんへてきた人ゆえに出せる魅力に通ずるものがありました。舞台の上でバックを支えるメンバーも下の私たちも会場にいる全員が同じ思いだったんじゃないかな。他所のコンサートでこんなだったらどうなるだろうと思ってしまうようなところが幾度もありましたけど、それもまとめて許させちゃうところがたっつあんの仁徳でしょうか。

  合間の話では。コンサートは一部二部合間に3人組のメジカラの歌という構成、その演目は2枚組のベストCDの構成にならったということでした。
バックメンバーはCDと同じメンバー。そのCDと今夜のどっちの出来がいいかわからない、バックが演奏するリズムと揺れが違うんだなんて、聴いてるこちらの方が心配しちゃうほど恐ろしくも面白い話を聞かせてくれました。

ふり返るように、最初に作った曲と紹介された「はたおりの町」は進学した大学のあった京都・西陣の織物屋の2階に下宿していた時に作った歌だということですが、機織りのカタコトカタコトという音が織り込まれていました。西陣に暮し毎日その音を聞き「俺は生活(の場)を歌にしたいと思った」ということを紹介してくれました。
いくつもある持ち歌・懐かしい歌の中の一曲、ブレヒトによせて と副題のついている「戦争入門」 は久しく聞いていなかった一曲だけれど、昨今のご時世を考えると一段と重みが増した感がありました。本人も意識して演目に加えたようでした。「いつまでも言い続けることが大切だ」と話していましたから。
「あくび」もそうだし、どの曲も懐かしくそのころを思い出すものでした。中でも「角田山」は原発住民投票の運動のころを思い出してグッときました。で、私はこの曲ずっと住民投票・青い海と緑の会のために作られた歌だと思っていたんですが違ってました。
実はこの歌、巻町制100年記念のために依頼されたのが誕生のきっかけだったそうです。ところが出来上がった曲を見た町長から「こんな反原発の曲はだめだ」とクレームがついたんだそうです。これもいい話だなぁと思ったけど、その時に時の教育長が角田山の詩を示して「どこに反原発なんてことが書いてある」とかけあってくれて記念式典の時に歌われるに至ったという逸話があったんです。

確かにこの歌のどこにも原発反対なんてことは謳われていません。ただ郷土の自然をうたい子どもの頃登りその後もずっとなじんできた角田山のことをうたっているだけです。でも、ここに原子力発電所なんかいらないという私たちの思いにすごくなじんだ曲でした。みんなで良く歌いましたよ。

 

話しは変わりますが、その裏話・コンサート最中の話を訊いていて、詩人 谷川俊太郎さんから聴いた作詞の心得を思い出しました。確かブツシュ大統領のことを題材にした詩を紹介しながらだったと記憶しているんですが。ブッシュ大統領と男性用トイレで隣り合わせになった人が、大統領でもおんなじにトイレに行く・来るんだな、でも戦争するのは違うなとか何とか・・・。同じこと・ところをかく、違っているところをかく。そのもの直接の名前・言葉は選ばないということ覚えています。

 いいひと時でした。
 
 
 
 

2014年7月20日日曜日

「福島原発事故から3年 原発問題を考える市民の集い」3月16日長岡に参加して 4/4 集会で聞いた生の声



・雪の降る中子どもと一緒に給水車の前に並んだ。ところがその雪はヨウ素131に汚染されていた。もしそれを知っていたら子どもと一緒にそこに並んだりはしなかった。

 正しい情報が出されていないなかで生きるための水を求めて給水車の前に並んだ母親の痛切な思い。 
 

・妊娠中の嫁とたどり着いた避難所は、コンクリートの上にブルーシートと毛布を敷いただけで寝なければならない所。食事は毎食々々塩おにぎりとペットボトルだけの所だった。

「これでは流産してしまう」何とか安全なところへといろいろ聞く中で、長岡まで行けば小さな子どもと一緒の人 妊娠中の人に配慮している避難所があるということを知りここまでやってきた。たどり着いた避難所で幕の内(お弁当)が出たときには本当にうれしかった。布団もあり暖房も効いていてやっとほっとした。

後で思ったけれど、最初の避難所の時に赤ん坊がまだ生まれなくてよかった。いろんな人がいる避難所の中で、小さな子・乳幼児が夜泣きなどしたらどんなだったか。周りの人も、この状況で大変だなぁと思う一方で舌打ちしたんじゃなかっただろうか。 

南相馬市からの避難者の人の話

2014年7月19日土曜日

「福島原発事故から3年 原発問題を考える市民の集い」3月16日長岡に参加して 3/4 “受信力”


 
 

この日の講演でのもう一つの目から鱗の出会い “受信力” 

 “発信力”という言葉は(すっかり)なじみのある言葉だと思います。発信する手段を持つこと、発信し続けることの重要性は改めて言うを待ちません。

どこに行くか・どこに立つか・なんに関心を持つか・何を感じるか・どう考えるか。その上で、何をどう伝えるか。意思表示しなければ隣に居る人だって気づいてくれません、広がりません。だから、知ったこと思ったことをいかに伝えるかが大事と考えてきました。 

ところが316日の集会で堀潤さんが強く主張していたのは“情報を集める力”の事。様々な情報があるなかで本当の物・正しいものを見つけ出す、選び取る力が必要だと言うのです。

いま、マスコミュニケーションの手段以外にもネットの普及によって個人でも団体でも様々な情報を格段に発信しやすくなりました、それも時間差なくすばやく。けれどそこにもマスコミ同様、時には加工してわざと流した情報や、逆に意図的に取り上げなかったりということが存在します。貴重なのに知られていない情報もまだまだ存在します。

どこに立とうと・行こうと・見ようと、感じ・聴き選び取る力がなければ得ることができません。大勢のものも少数のものもほんの小さなものも公的なものも非公式なものもすべてを見過ごさないように情報収集能力を高めなければいけないということに気付きました。個人差はあるけれど情報の収集も見極めも一人では限界があるので、やはり仲間が必要ということも忘れてはいけないと思いました。

たくさんある情報の中から正しいもの本当に大切なものを見つけ出す力、その情報の持っている意味に気付く力、結びつけると見えてくる情報と情報に気付く力が必要なんだと気付かされました。鈍感ではだめなんですよ。

2014年7月18日金曜日

「福島原発事故から3年 原発問題を考える市民の集い」3月16日長岡に参加して  2/4 元NHKキャスター 堀潤 さんの講演「個人発信の時代に考えるべきこと」から


福島原発事故から3年 原発問題を考える市民の集い
 元NHKキャスター 堀潤 さんの講演「個人発信の時代に考えるべきこと」から

平時の報道の仕方考え方は100%裏のとれたこと以外は報道しない。“安全運転を心がける報道” 
3.11 今まさに原発事故が進行している時、公式発表もNHKを含むマスメディアの報道もないうちから、インターネットではすでに伝えられ“公”になっていた情報があった。(当時の私・堀潤)会見の場で「何かまだ報告していないことがあるんではないですか!?」というのが精いっぱいだった。

 


・原発事故の起こる前からTPPの取材で知り合いになっていた福島(原発近くの人)の人から「東京電力本社から 退避しろ! との連絡が入った」と連絡があった。 しかし政府からその旨の発表はなかった。

 ・楢葉町は11日深夜全町民非難を決めた。
 「おかしい。これは水素爆発が起きるかもしれない。」 元東電エンジニアの話、東京電力・福島第1原発に勤めている人の家族からの内部情報をもとに。しかしその時点で公式な情報は一切なかった。

・普通なら20分ほどで行けるいわき市まで7,500~800の町民が避難するのに6~8時間かかった。道は狭く交通手段もなく大変だった。

“原発安全神話”にあぐらをかいて、事故発生時の住民避難訓練計画がいかに現実に即さないお粗末なものだったか。

「スピーデー」の情報が出されなくてよかった。もしこれが公になっていて、何万もの人が避難しようとしたらどうなっていたか。  

→ 同時に
・スピーデーのデータ・情報が発表されなかったので、強い放射線の出ている方向に多くの人が避難して被曝してしまった。 

(私の感想) 後日、会見の場で「なぜスピーデーの情報を出さなかったのか」との問いかけに「心配させたくなかったから」と政府担当者が答えたのを知り呆れた覚えがあったけれど、同時にこういうこともあったのかと思いました。

・繰り返されてきた原子力発電所事故。 
サンタスサーナ原子炉受験場事故(1959) スリーマイル島原子力発電所事故(1979) 福島第1原発事故(2011) を一本のタイムライン上に配置してみてみると。サンタスサーナの事故後スリーマイルの事故後どれくらいの時点でどのような・がん発症などの影響の推移が見えてくる。福島のこれからが予測できる。
 (私の感想)この教訓を生かさないのは愚かなこと。 

 核実験場の風下にあたる地域の人たちがその影響で苦しんでいること。映画ロケ地も周辺にありジョン・ウェインもそのせいで寿命を縮めてしまったということは知っていました。もちろんスリーマイル島のことも知っていました、でもサンタスサーナは初めて聞きました。

 そんな話がいっぱい出てきました。

 

追伸 この所週刊誌の記事に堀潤さんの私生活を暴く論調の記事が載るようになりました。 堀潤さんの言動が目障りになってきたということですね。