6月29日は原発のない沖縄電力を除く電力9社の株主総会がそろって行われた日でした。
そこでは、細かい文言・内容は異なりますが、いずれも原発の停止や原発政策の見直しなどの株主提案がされました。すんなり通るとは思いません。おそらくだぁれも。でも、このような提案があちこちで繰りかえし出されることによって、たとへそれが否決されるにしてもその手順を何回も何回も踏む。それによって何かを感じる、気付く人が増えていくことと思います。
実際、この日の提案はいずれも否決という結果になってしまいましたが、世の中変わったなぁ。すっかり潮目が変わったと思いました。
でも、不思議に思いませんか。
営利を目的とする株式会社にとって、原発の建設・建設後の運用・放射性廃棄物の管理そして廃炉などなど多岐にわたるコスト、ましてや、原発事故の時の際限のない負担(それでもいまだに収束していない)は会社の維持運営に多大なマイナス。ゆえに、なぜ原子力・核分裂を利用した発電からは手を引き、再生可能エネルギーをもっと積極的に取り入れるという提案・考え方を否決してしまうのか。営利企業の責任者ならば、そういう提案がされる前に、自らすべき選択と思いますけどねぇ。
ただし。私は毎年行われているビキニデーの時に知ってしまったんです。営利企業である電力会社が、普通に考えればこんなに不経済な原子力・核分裂を利用しての発電をやめないのは、経済ではなく政治がそれを必要としているからだ、と。
ビキニ環礁1954年3月1日の水爆実験(実験はその日以外にも何度も何度も繰り返し行われた)で第5福竜丸をはじめとする千隻を超す被ばく漁船。“原爆マグロ”というショッキングな言葉まで生まれた核爆弾の実験以後燎原の火のごとく広まった核兵器反対の運動に対して、“原子力の平和利用”という名目ではじめられた原子力・核分裂を利用しての発電だということ。つまり政治的必要性から始められたことだったということ。
だから、経済・効率の訴えだけでは止められない。“事”が経済ではなく政治のことだからこそ、政治・社会・選挙運動が必要なのだということを知ってしまったのです。
でも、経済の問題ではなくて政治の問題ということは、政治が変わればすぐやめになることもあるということだと思います。いざとなれば、経済的なケースより物事は早く進むんじゃないかな。
紆余曲折はあっても、大きな歴史の流れは「核は人間の力ではコントロールしきれない」ということで廃絶の方向だと肌で感じています。
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