新潟県立近代美術館(長岡市)は、奈良「法隆寺展」(7月5日~8月17日)で今頃はきっと大混雑しているんでしょうねぇ。美術館・関係者後援団体も相当に力を入れていることを宣伝・広報を見ていて感じます。確かにこちらにいては(奈良まではいろんな意味で遠い)観ることのできない仏教美術の数々がこちらにいて観られるんですから。
で、そんな混雑した時にではなく、もっと静かで落ち着いた雰囲気の中で一時を過ごしたいと思ってぎりぎりのタイミングで「レアリスムの東と西」を観覧してきました。
館内は静かでした。「これもここの収蔵品だったのか」よその美術館・展覧会で観かけた作品がいくつもあるという収蔵品展でした。
写実主義=レアリスム (技法)は、紀元前5世紀頃ギリシャのゼウクシスが描いたブドウを鳥がついばもうとしたという逸話を持って始まった、というような解説がありました。その後ルネサンス期 バロック期をへ、陰影法 遠近法 造形法 色彩 を発見・産みだし技法的に高めてきた、近代になるとそれに対して反写実ということでキュビズム フォービズムの誕生につながってくる、という流れを復習する形で勉強になりました。
時代の流れ(社会的力関係の変化・考え方)そしてそれに呼応して、だからテーマにできるようになったのか・だから新しい技法が誕生したのかどちらが先なのか。歴史の流れの中で新しい技法が生まれる・新しい視点での作品が生まれるという流れを見ることができました。
近代、写真(技術)誕生以降についてのコーナー・作品のいくつかは私の認識をおどろがすものでした。大きくは「現実をありのままに描く写実主義」というテーマのもとで展示されていた作品群のはずなのに、これも(この技法も)写実の範疇に入るの?という作品があったのです。それは「もう一つのリアル」というくくりのセクションに展示してあった、観念芸術の先駆的作家のひとりと言われているという高松次郎さんの「椅子にかけた男の影」、こういうことをしたかったんだろうなぁと感じさせた金昌烈さんの「水滴」、佐善明さんのコラージュ「ボブの教え子」などに特に?を感じました。観念ですよ抽象ですよコラージュですよ。
“写真”が生まれてから(写真にもいろんな技法がありますが) 迫真的な客観描写・客観描写としての写実、緻密な写実で対象を描くという具象をとことん追求していけば写真になる・写真と同じということに対する一つの答え・対応ということなのでしょうか。
写真かと見間違うような細密画もありますが、それでもそれは写真ではありません。
これまでの、時代や技法・グループ等々で分類した鑑賞の仕方、受け入れてきたのはなんだったのかと思ってしまいました。これはこれ、という展示の仕方であり、これまでの分類を根本から覆すような試みではないとは思いますが。
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