2016年7月29日金曜日

共にと寄り添う人(ドナルド・キーンさん)と嫌がることを平気で続ける国(アメリカ合衆国・軍)の姿


案内をもらって柏崎のドナルド・キーン・センター柏崎に行ってきました。
今年の展示内容は「写真で綴るドナルド・キーンの歩み」と銘打ってこれまでの歩みを数々の写真、そしてドナルド・キーンさんとともに世界中を人生を歩んだ日用品を見せるというものでした。私にとっては前回そしてほかの機会に目にしていたものも多く、一つ一つが目新しいもの今回の目玉というようなものが特別にあったというわけではありませんでした。でも人生の節目ごとに整理され説明されたものを見ると改めてその歩みをとらえることができました。

そして、東日本大震災後 高齢になってからの日本国籍取得の想い。それぞれに印象深いたくさんの出会い・逸話の中でも特に印象深い高見順の日記の一節「私の目に、いつか涙が湧いていた。いとしさ、愛情で胸がいっぱいだった。私はこうした人々と共に生き、ともに死にたいと思った。否、私も、—私はいま罹災民ではないが、こうした人々のうちの一人なのだ。怒声を発し得る権利を与えられていない、なんの頼るべき権力もそうして財力も持たない、黙々と我慢している、そして心から日本を愛し信じている庶民の、私もその一人だった。」が今回も印象に強く残りました。3.11東日本大震災後のドナルド・キーンさんの選択を他の人の言葉を借りて示すならばこういう思いだったのではないでしょうか。特に同じ日本人同士でも“福島・原発”というと偏見視のある現状で「この人たちとともに居ようと思った」という決意に対して敬服の念を改めて感じました。 

ドナルド・キーンさんは、生まれ育ち第2次世界大戦では命を懸けて守った祖国(アメリカ合衆国)から、国籍としては日本を選択しました。この行為はやすやすとできることではありませんし、誰もが行えばいいことでもありません。ですからアメリカ合衆国にそうしろなんてことは言いません。
でもせめて日本の人が嫌がることをすることはやめてもらいたいものです。もうずぅっと いらないいらない 基地はいらない! と言い続けている沖縄に新しい基地を作ることはすぐにやめてもらいたいと思います。

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