首都圏、東京などにある被災地のアンテナショップはどこも、(風評被害で苦しんでいる)産物を購入することが支援になるのならと善意の人たちが多く詰めかけています。そのニュースを見聞きするたびに温かい気持ちになります。
同時に今回の大震災の報道でとても悲しい思いをするのが、原発に関しての報道。
福島ナンバー、いわきナンバーの車が給油を断られたとか、スーパーの駐車場に止めておいた車に福島に帰れと落書きをされた。避難先 転校先でいじめにあったということを聞くたびに無残な気持ちになります。
同じ人が違うことをしているわけではありませんが、どちらも(同じ)人間のとっている行為なんですからね。 このような行為は決して許されるものではなく、その報いは受けなければならないと思います。でもそうさせてしまった、この場合は正しい情報を流さない対策をとっていない人たちも報いを受けるべきです。
どうしてこういう違いが出るのか?
私見ですが、正しい情報がないことから生まれる恐怖、生み出された疑心暗鬼がこのような悲しい出来事を生んでいるんだと思うのです。よくわからないものに対する得も言えない不安がこのような行動をとらせているのだと思います。
これらの違いを考えてみました。よくわからないものに対する不安があるときは、距離をよりあける、ということかなと思いました。アンテナショップや、被災地へのボランティアは、自分のほうからそこへ行くから好い、自分の思う距離も保てる。でも自分のところに来られるのは好ましくない、自分で距離が保てない。ということかな、違いかなと思います。
もちろん批判されるべき行為をしてしまっているわけだけど、これは生まなくてもいい悲劇を生んでいますね。
ODA(政府開発援助)の予算を減らすことには反対です。
確かに大変な時です。復興予算をどう確保しようかで苦労しているところです。
でも今この予算を削ることは、相手の国・団体の未来に大きな影響を与えることになります。
苦しくても出すものは出す!
これは節約倹約無駄を省くとは別の生きたお金の使い方だと思います。
復興予算確保のために、年金に関する予算を政府方針を変更して支出しないことにしました。
これも日本の将来、未来を大きく左右する行為だと思います。大震災の被害 影響を今にとどめ終わらせるのではなく何年にもわたって引き延ばしてしまうことになります。
まだ執行する前だから、現状と変わらないからいいだろうと安易に考えたのではないかと危惧します。
0 件のコメント:
コメントを投稿