2013年11月28日木曜日

1-16-64 ようやく乗り込んだ飛行機 飛び立つ前から一気に日本


ようやく、ほんとにようやくドバイ発日本行の飛行機に乗り込みます。

今度の飛行機は機体もずいぶん大きい。

満席?周りには日本人がいっぱい!

席の場所がたまたまそうだったのかもしれないけれど周りは日本人乗客が圧倒的。

乗務員にも日本の人がいます。

まだ日本までだいぶあるのにもったいなぁと思うくらい“日本”です。

 

せっかく日本での日常を離れて浸っていたこの間の空気感。

この飛行機が関空行と言うことを考えれば不思議でもなんでもないことだろうけど元気に関西弁で話しまくるおばさんたちの賑やかさにいっきに日本に帰ってしまいました。

まだ離陸さえもしていないのにねぇ。

せめてこの飛行機が日本の空港に降り立つまでのあとわずかの間だけでも浸っていたかったなぁ。

2013年11月26日火曜日

自分のことは棚に上げて タラレバ でT F K a のこと   a 1/3 どんな人


 
ずぅっと年齢がわからずにいました。

どうでもいいことだったのかもしれないけど、一緒に来る友達は皆見るからに若い人。だけど同じ歳には見えなかったし、それで逆に、一体幾つなんだとずっと思っていました。

 
段取りのできる人。リーダーの素養ありでした。

 
服装は着飾っている印象は受けませんでした。着こんで色が褪せている衣服は、着飾ると言うよりは清潔と言う印象。 

おしゃれにはあまり縁がないのかな、考えていないのかなと想像してしまいます。

身にまとっている服、身だしなみ。髪のまとめ方、顔の日の焼け方、肘の黒いところ、化粧っ気がありません。

高いヒールをはいたことのない脚、切りそろえてあるけれどそれ以外に特に手のかけていない足の爪。

 

性格は良い人、素直な人。 

太鼓を叩くときは教えてもらった通りに素直に手を上げています。 こんなところにも性格が表れていると思いました。

 

仕事は4人の中では唯一1次産業・農業の人。

私とは仕事の中身も違うけど、生活リズム、時間帯があまりにも違うので大胆にも一緒の(生活)ことを妄想すると面喰ってしまいます。 大丈夫かなぁ!?と。

枝豆の最盛期の時期には夜中の1時から仕事を始めるようです。私なんか1時に寝る時もある生活ですからねぇ。

(でも)生活、仕事をする中で感じる夜明けの美しさを話してくれたりして、感性としては共通するもの(ところ)があるように思っていました。

 

 

年齢。結果として、4人の中では一番歳の離れている人でした。

ここまで年が離れるとこの私でもさすがにね

「すべては君に逢えたから」「ラブアクチュアリー」を観ていて思い出した黒沢監督「7人の侍」で描き出された日本


邦画「すべては君に逢えたから」を観てきました。

私も気に入っていて繰り返し観ている一本。これからクリスマスに向かい一段と関心が高まるだろう「ラブ・アクチュアリー」のリメイク、日本版だろうと言うことは容易に想像がつきました。

お手並み拝見というところです。

 

この配役 エピソードはラブ・アクチュアリーだとどれかな?あれかな?と思い浮かべながら観ていました。

エピソード 登場人物の相関は、これがなければ絶対ダメというわけではないけれど、ラブ・アクチュアリーのラストの清々しさのことを思うとつながりが少し稀薄、鮮やかさに今一つかなぁ。

いつものわざと止まって口を半開き、表情もないというゆうのはあまり気にならなかったかな。

照明の色合いが違うことは結構はっきり感じました。
 赤みが増しているというか、実際セットの大きさも違うんでしょうけど奥行き広がりが描けているように感じました。

 

一番感じたのは“湿り気”かなぁ。


最初のうちはどうしてもラブ・アクチュアリーと対比するように見ていたのですが気づいたんです。
 黒沢監督の「7人の侍」この時の逸話を思い出しました。

実際はこの日本の「7人の侍」をリメイクする形で「荒野の7人」をはじめ「黄金の7人」などの作品が作られる時間軸なわけですが、黒沢監督はアメリカ・ハリウッドの西部劇を念頭にそれを超えようと考えたそうです。

それで行き着いたのが、荒涼とした西部、乾燥した空気感と違うのは“水”と言うところに気付いたんだそうです。

それを基に作られたシーンがあの土砂降りの中での合戦シーン。

なんでも消防車が総動員されてのあの土砂降りだったそうですが、刀を持つ手はすべる、みるみる泥沼になる、確かにすごいシーンだと思います。

 

と言うことを考えて来て、確かに差異はある、でもそれは俳優の力の差・演出の差だけではなくて、文化の違いもあっての事なのかな、そうとらえるべきなんだろうなぁと思った次第です。
 
だから“どちらが”というのは言えないのを承知であえて言うならば、もちろん悪いわけじゃなくて個人的な好みとしてだけど「すべては君に逢えたから」よりは「ラブ・アクチュアリー」の方がお勧めかなぁ。
 
 
*東山魁夷さんの作風も同様の発想がありますね。

2013年11月23日土曜日

伝わるということ


1122日”

正直なところ、これまで特別何も思うことなく迎え過ごしていた一日でした。

語呂合わせで「いい夫婦の日」としてこの日に婚姻手続きをするカップルが結構いる、というようなことを耳にする方が多いくらいでした。

でもジョン・F・ケネディ元大統領が暗殺された日だったんですね。

 

この度ジョン・F・ケネディ元大統領の長女でもあるキャロライン・ケネディさんが駐日大使として赴任しました。

そのことがあってか。ジョン・F・ケネディ元大統領暗殺から50年という節目と言うことなのか、その両方なのか例年に増して“ケネディ”関連が取り上げられています。

 

先日新聞にこんな一文を観ました。

稀代のアンカーマン クロンカイト氏がケネディ大統領銃撃、そして死亡を伝える放送の時に言葉に詰まった、メガネをはずし涙をぬぐった、そのことによって多くの人は事の大きさを悟った云々

 

時はちょうど、初めての衛星放送が行われるという時でした。

朝早くに行われた初めての衛星放送はケネディ大統領が挨拶をする予定でした。

ところがその最初の放送で伝えられたのは、ケネディ大統領暗殺される!だったのです。

 

一昨年亡くなった母が言っていました。朝の家事をしていた母に(私の)おじぃちゃまが「ケネディが死んだと…」とつぶやくように話したんだそうです。

母はある意味働きどうしの人生だったと思います。嫁姑の()関係も今とは別次元のころでしたし、途中までは夫の戦死したおばさんなども同居していましたから緊張の大変な日々だったと思います。そんな環境の中で優しく接してくれたおじいちゃまの一言。その表情雰囲気もあって印象に強く残ったことだったようです。

 

伝えると言うこと 伝え方  深いなぁ

2013年11月21日木曜日

1-16-63 ターミナルビルとエミレーツのラウンジで


降り立ったドヴァイの空港・ターミナルは、この前の時と同じく大きく賑やか。

ついこの前のことなんだから当たり前でしょうけど。一日24時間×何日分に収まりきらないほどの濃い日々でしたから、感覚的には。

 

とは言いましたけど、賑わい方はこの前の、雑踏のように人が大勢で椅子はおろか通路までいっぱい!とは幾分雰囲気が違っていました。

曜日のせいなのか時間のせいなのか、乗り継ぎのタイミングなんでしょうか。

 

エミレーツで乗り継ぎの人向けのラウンジで軽食を取りながら時間をつぶすことにします。

ラウンジは一度利用して覚えたから、場所もすぐわかったし受け付けも食材の取り方も席の取り方もスムーズ。

 

だけど5時間待ちは長い。

時間帯のせいか、目と頭がとても重く感じられます。

2013年11月20日水曜日

“何が秘密なのかも秘密” の下での公開。 ほんとにこれで全部なの!


「特定秘密保護法案」について触れないわけにはいかないでしょうね

 

振り子の揺り戻しのように平和と民主主義を脅かす目論見がなし崩し的に繰り返されてきました。

ですから今問題になり、時が経てばたつほど疑問を感じだし反対になる人が増えているこの特定秘密保護法案も突然出てきたものではありません。

今の国会の中での政府・与党議員の人数を考えると今度こそこのような法案が成立してしまうのではないかと危機感を感じています。

 

「情報公開法」という法律があります。

 社会の進歩成熟とともにある意味当然とも思います。

ところが運用にあたっての実際がひどいものなんです。

何やかやと理由をつけて応じないかと思えば、いざ出してきたと思っても個人のプライバシー保護だとかなんとか理由をこじつけて黒塗りの状態での公開なんです。これじゃわかりませんよ。

情報を公開しましょうと言う法律があってでもこんなですからね。

 

「特定秘密保護法案」

“何が秘密なのかも秘密”なんて思わず吹き出してしまうようなことも言われています。ほんとはとても恐ろしいことですけどね。

“だれが何を秘密にする”のを決めるのか。

3060年置いた後で公開すると言っているけれど果たしてどうだか。

それに、法律どおり3060年経ったので公開しますと聞かされてもそれで全部だったのかどうかがわからない。何せ“何が秘密にされていたのか自体が秘密でわからない”んだから確かめようがない。

 

何せ、記録するとか保存するということにおいてはたぶんに問題のある“国”で行われようとしている事ですから。

意見主張の対立のある事柄に対して「証拠がないじゃないか!」という国ですから。自分で破棄隠匿しておきながらね。

2013年11月19日火曜日

インド古典舞踊オリッシー 篠原英子さん


篠原英子さんの“インド古典舞踊オリッシー”を観てきました。{20131110()}

 

篠原さんのオリッシーは2度目。

1度目は201186日。 そうあの晩。

あの時は木揚げ場協会のぶかぶかの畳の上でした。暑かったー。

 

今回は改装なったバウワウのしっかりとした板の間。 

前段に斉藤さんのシタールの演奏がありました。

今回は、もうちょっとホットになる盛り上がりのところがあるともっとうれしかったかなぁとも思ったけど斉藤さんの演奏はいつもながらいい感じ。

 タブラがいつもの人とは違う人でした。

前に訊いたことがある“音”ではあるけど、いつもの人の時には使われない音が出てきました。

激しい音ではないけど、不思議な存在感のある音色でした。

 
 

篠原さんは部屋の後方から大地を踏みしめるようにガングルーの音を響かせながら入場してきました。

さすがですよねぇ。プロだから当然といえば当然なんでしょうけど、普通に歩いて舞台まで出て来て整列してさぁはじまりますなんてのとは違います。

やっぱりこうでなくっちゃ。

 

篠原さんのオリッシーはほんとに重心が低い。

合間の踊りを解説する時の声は、私が勝手に抱いていたイメージとは少し違いました。丸みのある柔らかい、かわいい!って感じかな。

 でも、踊っている時はそんな感じをさせないんだけど、息を整えながらの解説は大変そうでした。胸が大きく波打ち肩で息をしながらでしたもの。

 

オリッシーはアフリカの人たちの踊り、高く飛び跳ねるものとは逆の重心の低いままにずうっと踊り続けるものでした。

大地を踏みしめる。ちょうど“四股を踏み”大地の悪霊を鎮めるかのような。

アフリカの人たちの身体能力の高さとはタイプが違うけど、ずぅっとこの態勢で踊るというのもすごいと思いますよぉ。

 

 追伸 「大統領の料理人」を観てビックリしました。

         カトリーヌ・フロを観にというのが動機の映画だったんですが、年初めの
         「砂漠でサーモンフィッシング」同様の意味で心に残る映画でした。
          これはこれでいずれ…

        そのカトリーヌ・フロと篠原さんの顔立ちがすごく似ていたのでびっくりしま
        した。

2013年11月14日木曜日

1-16-62 ドヴァイの空港は広い広い


飛行機から降りて連結バスに乗り込みます。

走る走る。

まぁ どれだけ広い空港なんでしょう。

ターミナルビルが近づいて「着いたかな!」と思ってもまだ走る。

何度そんなことがあったでしょう。

広い広い。

2013年11月13日水曜日

1-16-61 間もなくドヴァイ


飛行機はエチオピアの街を遠くに眺め、ガルフアデンも越して飛行を続けます。

 

もう間もなくドヴァイというアナウンスが流れました。

不思議なものですが、帰路と言うのはいつも短く感じます。本当に不思議です。

特に、今のように夜で景色が見えなかったりするとなおさらそう感じるのかな。

 

飛行機は着陸態勢に入ったのでしょうか、段階的に高度を下げ始めました。

機体がガタタガタタと音を立てて細かく振動します。

 

いよいよUAの街が近くなってきたようです。

ナトリウム灯に照らし出されて、建物や道路が思いのほか大きくはっきり見えます。

いよいよだなぁと思います。

 

だけどここからが長かった。

ほとんどそのままの高度で飛び続けます。

UAは地図などでは小さいけれど、こうしてみるとなかなか大きいんだなぁ。

自分のことは棚に上げて タラレバ でT F K a のこと K3/3 ・ どんな人2/2


一緒に何かする 生活している所が想像できない人でした。

あまりにも反応がなくて、良いんだか悪いんだかわからなくて、情報がなくて。

かろうじて思い浮かぶ日常は会話もなく何にも楽しくない生活。

 

「こりゃダメだなぁ」どうしようもないなぁと思いながらも(これで)私が辞めると言ったらどうなるかなぁと思ってそれ以上に積極的にもなれなかったけれどやめにもできませんでした。

だから、嫌いでもないけど好きでもない「かかわるつもりはない」と分かったときは正直ほっとしました。

 

 

ところで

何とか好きになろうとしました。   →と言うことは好きじゃなかったと言うこと!?