2011年5月28日土曜日

今なら10%の節電で原発はなくせる!!



今日は先日知り合いから誘われた集まりのことから。


 こういう取り組み方があるというのは知っていましたが、直接このグループ、講師についての事前の知識はありませんでした。
 いろいろな取り組み方があって良いし、自分のできることを続けていけばいいんだから、運動はこの日だけこの集まりだけではないですけど、大勢集まることを願います。







原子力発電に関連して

 トラブルが起きたときどうしますか?と聞いているのにトラブルは絶対起きないからと答えがくる。“絶対”だなんて、神でもないのに。

 もし!ということを思わないのでしょうか。だいたいこういうことでいるから、実際にトラブルが起きて“想定外 想定外”のオウム返しでことが進まないんだと思います。

 原発の発電コストは安い!なんて言っていたけど、発電に至るまでの諸コストも、トイレのない住宅 ともたとえられている使用済み核燃料を筆頭とする廃棄物処理の問題。
 発電施設としての寿命を迎え廃炉にするときの手間暇を考えるとそんなことはないと思いますけどねぇ。
 いざ事故が起きたときの解決の困難さ。それで取り返しがつく、保証できるわけではありませんが補償金の大きさも。



 私は原子力発電も含めて核兵器(原発は固定式の核兵器だと思います。それが証拠にイスラエルが原子力発電所の攻撃を真剣に検討し、日本でも北朝鮮の攻撃を警戒したんだと思います。)、原子の力は神の領域だと思いますね。 人が上手にコントロールできるような代物じゃあないと思います。

 未だ先の見えない福島第一原発。再び繰り返された人が自ら招いてしまった悲劇。

 払った代償はあまりにも大きいけれど、今、これまでは原子力に賛成の人、必要悪と思っていた人、核兵器と平和利用(!)は別と考えていた、世界中の人たちが真剣に原子力のことを考えています。
 原子力発電の廃止に大きく潮目が変わったと感じています(経済発展に必要な電力確保を優先している国があることは確かだが)。




 現在日本において原子力発電の占める割合は30%といわれています。
 それをほかの手法に置き換える。いずれ 最終的には置き換えられるとしても、危険な原発の廃止が先行するでしょうから、電気の使い方を改めてみんなで考えなければなりませんね。
 実際のところ、もうみんなは確実に変わったと思います。

 無駄は当然省かなければならないけれど、必要なものはちゃんと使う。今更電気のない社会活動は考えられませんものね。それがいいんだと思います。そのほうが継続すると思います。
 30%と言うのは大きいけれど今ならできると思うんですよね。たとへ80%だとしても死んだり生活できなくなったら本末転倒なんだからやるしかありませんけどね。

 ところで、日本の原発54基のうち今稼働しているのは17基とのこと。約三分の一の稼働と言うことになりますね。
 つまり日本の総発電料に占める30%といわれる原発の発電量が今は三分の一の10%になっているということですよね。
それでも回っているということですよね。

 今それで回っているんだから、止まっているものはそのままにして10%を置き換えればいいと言うことですよね。なんか想像を絶することに取り組まなくても何とかなりそうですよね。

日常生活の中の難しさ。  常に“晴眼”であれ

  その後調子が出ないのを“もらったもらった”と考え言ってもきました。  


 大波に追いかけられ、今まさに津波にのみこまれている(当然この瞬間に命を落としている人がその映像の中にいるわけです)映像が繰り返し繰り返し流されるテレビの影響も大きく受けました。

 それも併せて、このたびの東日本大震災で“もらって”しまったのは確かだと思います。



 でもつい最近気づいたんです。

 向こうに行って活動していたときは、属する団体の存在意義 はたしている役割も、私が今していることもストレートに意義が感じられた わかった。
 それが、こちらにかえって、日常の仕事 生活に戻ったらそのダイレクト感がなくなってしまったんです。 
 決してそれがなくなったわけではないんですけど、こちらの感覚がなまってしまったんですね。頭での理解もなまってしまったんですね。

 疲れも確かにあり、緊張感が保てなくなり、張りがなくなって 沈んでしまったんだと気づきました。

 日常の中で、本質に気づきそれを忘れない。大切ですね。

大変だけど頑張りま~す

前座の前座 無事終わりました

 エピゾ・バングラさんのコンサートの前座の前座無事終わりました。


 当初、エピゾさんの前でバラフォンなんて!と思っていたのにやっちゃいました。 今回はまあまあの音量で鳴っていたのではないでしょうか。

 エピゾさんのを聞いて、さすがプロは違うなぁと思う人はいても、私と比べる人なんてそもそもいないでしょうから心配することもなかったんだと思います。

 
 エピゾさんはほんとに何でもできる人。今回のコンサートでもバラフォンを始め、歌にコラにチューニングを変えたツイン・ジェンベの演奏。昼のワークショップではダンスも、と実に多才なプレイヤー。

 でも今回は少し違う印象も

 帰りの列車時間のこともあって終わりの時間は動かせない中、ジェリヤカンとジュンジュンフレンズの時間を除くとエピゾさんの時間は限られてきます。そこがプロたるところなのかもしれませんが、すべてぴったりと収まりすぎて。

 もちろん演奏はすごいし汗もかいている。そんなことも!とか、思わず笑わせるようなことも含めて時間いっぱいまさに聴かせてくれました。
でも何となく余裕というか・・・
うますぎるがゆえにそう感じてしまったのかなぁ

 観客がもっと多くて、こちらが乗せるぐらいだったらまた違ったんでしょうね。
 でも演奏がすごかったのは確かですよ。

人間の本質は社会性にある  人とかかわらないと人は人になれない

 新聞の書籍紹介コーナーで、アンドロイド研究で世界的に有名な石黒浩さんの新著「どうすれば人を創れるか」が取り上げられていました。


 メディアを通してだけれど、この石黒さん自身をもしたアンドロイドも見たことがあります。
 似ているからなのか、まだまだと思うからなのか妙な気持ちになったのを覚えています。
 近いから故に感じた“妙な感じ”だったのかもしれません。



 その石黒さんが「ロボット研究を進めるうちに、人間の本質は社会性にあるということに気づいた」とコメントしているのです。

 実際ロボットの進化はすごいものがあります。アンドロイド型を含めて様々なロボットを目にするようになり、その進歩、完成度の高まりに驚くことも多くあります。

 ここまで機能的に進歩したロボットができてきて、その研究者の口から「人間の本質は社会性にある」「人とかかわらないと人は人になれない」という言葉がでるとは。


 考えてみれば“人間”という言葉、漢字はよくできていると感心します。人は人と人の間に居る。言い当てていますね。 

 “人”とは何者か。人間の定義は、動物と人間の違いは?
 この永遠のテーマに対して、生物的アプローチ・定義ももちろんあるけれど、社会学の立場から行動観察からの定義付けもあります。
 中でも もっとも早くからの手法は、哲学的なアプローチでしょうか。

 「人間は社会性のある動物」ということは「動物でもある」ということ。そして研究者の成果によって、動物にも一種の社会(性)を持っているものがいるということがわかっています。

 んーん。“人”とは何者か。人間の定義は、動物と人間の違いは?

2011年5月27日金曜日

とんちゃん 新聞沙汰になる!

  食後、くつろぎながら新聞を開き、何面か読み進んだ所に、場所と 趣旨からすると“もしや!”と思う幼稚園の記事が目に留まりました。
 さらに読み進むと、内容からして間違いないと確信するに至りました。
 そして、掲載されていた写真に目を向けると、アフリカンドラム&ダンスで一緒の とん ちゃんが写っているじゃありませんか。
 

 とんちゃん。

 何年か屋久島で音楽に関わるグループの活動に関わった後、昨年こちらに帰ってきたのかな。その後、自然の中で行う教育をモットーとする 森の幼稚園 の立ち上げに関わってきたのです。
 その[A・・・・森のようちえん」を取り上げた記事中の写真に
写っていたというわけです。


 屋久島では、寝るところと食事は手当されていたようですがお給料をもらわない生活だったようです。

 どうやって生活していたのか。どうやってこちらまで帰ってきたのか。
 なにがあって なにを思って 屋久島に行ったのか、こちらに帰ろうと思ったのか・・・

 人は時に本人でもわからないことが起こるし、してしまうこともあるので、私がわかるわけもありませんが。

 いずれにしろ、縁あってこの幼稚園の立ち上げに関わり、縁あってアフリカンドラム&ダンスに顔を出し、今一緒に楽しませてもらっているわけです。

 願っても 努力してもなにもかなわず進展しない時もあれば、予期しない時に思いも寄らない方向に物事が動きだしあれよあれよという間に決まってしまうときもあります。

 良かったのか悪かったのか、それはいずれのお楽しみ。


 がんばってください。そしてこれからもよろしくね。

2011年5月23日月曜日

1‐14‐27 空調はどうなっているの?


 ここ数日の経験で、“蚊”は日本で心配していたほどにはいない、ということはわかったけれど、夕暮れ時でもあるし念のためベランダに通じる戸を閉め蚊取りをつける。


 暑い!というほどではないけれど、風呂上がりということもあって、戸を閉めた後自然な流れ(行為)で空調を入れようと思って空調のスイッチを探してみたが ない。

 あちこち探してみたけどどこにも ない。


 部屋ごとになくても、スリットがあってそこから風が吹き込んでくる式でもないし。空調はどうゆうふうになっているの?、ですね。

 後で聞いてみたところ
       「こっちのホテルではないですね」  
                     とあっさり言われてしまいました。

 まあホテル(のグレード)にもよるのかも知れないけれど、タイプとしてこの部屋の作りはガバッと窓(戸)があいて風を入れられるヨーロッパ式ということもあったりしているのだろうか。

 そして、ナイロビ自体が標高1700m位と言うことで、ケニア第2の都市、貿易港のあるモンバサと違ってすごしやすいと言うことが大きいのでしょう。

1-14-26 ハイチ大地震 こんな大変なことが起こっているなんて

 なるほどと納得したり、流行がつかめる番組もあったけど、びっくりしたのはハイチの大地震。  興奮した声のレポーター。大変な被害が映し出された映像。
 びっくりしました。

 こんなに大変なことが起きていたことがぜんぜんわかりませんでした。

 ある意味現実に戻ったというか戻ってしまったというか、少し複雑。

2011年5月22日日曜日

1‐14‐25  テレビは韓国製

  バスタオルで汗を取りながらベッドに腰を下ろし、テレビのスイッチを入れる。


 エナイボルク村はもちろんジャシーでも、テレビはおろかラジオにも新聞にも縁のない日々だったからどんな番組があるのかいろいろ切り替えてみる。

 同じものが何度か出てきたからその数だけ有るわけではないけど、テレビの機能としては100チャンネル有りました。

 テレビは韓国製。

 韓国メーカーの進出はすごい。

1-14-24 シャワーもこうするとよく温まります


  少し欠けの有るホーロー製の白いバスタブの有る所は、
洋式便器と洗面化粧台も一緒の細長い部屋。

 バスタブに栓をしてシャワーのお湯をためながら髪や身体を洗う。ついでに靴下、下着、ポロシャツも。

 足を延ばしてのんびり。

やっぱり、一区切りというか、気分的にもリラックス。

 ひげ も剃る。3日ぶりだろうか。

2011年5月21日土曜日

1-14-23  変換プラグ

  そうそう、カメラのバッテリーを充電しなくちゃ。
変換プラグを介して充電器をコンセントに差し込む。

 マサイマラ・エネイボルク村に行く3泊4日のことを考えて念のためバッテリーを4つ用意しました。
 結果として3つでもやりくりできたかもしれませんが、精神的には正解でした。

 商品サイクルの短い電子機器・デジタルカメラ。
私の手の大きさや好みで言うとそんなに小さい物ばかりにしなくともと思うんですが。一眼もどんどんコンパクトになってきて、その過程でバッテリーも小型化しています。
 技術的に進化して消費電力を減らしてきているので、小型化したから撮影枚数も単純にその分減るわけではないけれどやはり大きさの制約はあります。

 バッテリー、初期の本体デザインを損ねるくらいのサイズに比べれば格段に小さくなったしこれはこれでいいくらいに到達したんではないでしょうか。
 ただ値段の下がり具合はメモリーカードほどには下がっていない感じがしています。
 昔メモリーカードがとても高くて、カメラ買い換えの時は今手にしているメモリーカードが引き続き使えるかどうかと言うのが機種選択の大きな条件の一つだった時期がありました。
 今は規格も性能も大きく進化し、値段も昔のあの値段が想像できないくらい安くなったので買い換えの時はもうメモリーカードによる制約はなくなりましたが。

 新しい物がでてくるのは歓迎すべき事ではありますが、レベルに達した物は継続して使えるように配慮してもらいたいと思いますね。
 それだけ改良の余地があるからと言うことなんでしょうけど、代が変わると規格が変わってしまってα700のバッテリーがもう使えないんですもの。4つも購入したのに。
 まあカメラ自体ももうカタログから落ちてしまいましたけど。



 200ボルトだからなのだろう。あれ!もう終わったの!と思うほど早く充電が終わりました。
同行のIさんのバッテリーも充電。

 今回は、変換プラグだけを持ってきました。
最初、変圧機もいるかなと思って電気店に行きました。そしたら、変圧器は高いんですねぇ、プラグの4倍から6倍の値段してました。
 それでも、必要であれば仕方ないとは思いましたけど、これがかさばるし重いんです。いずれにしろ高いのはわかったけど、もっと小型で軽い物はないかと聞いてみたら、イヤー聞いて見るもんですねぇ。
 そう言われてみれば確かにそうだったけど、今の充電器は最初から対応電圧が100から240V使用になっているんですよ。メーカーにとっても、日本国内用海外用といく種類も作り分けるより効率もいいでしょうしね。重い荷物を増やさなくて助かりました。

2011年5月20日金曜日

「ロミオとジュリエットを書いたのは誰だ!」 「イタリア人のシェークスピアよ!」

“イタリア”というのは、アングロサクソンの感覚から言うと理解の範疇を越えているのだろう。主人公の身の上に突然!!非日常が起こっても何の疑問も抱かれず別の展開にサッと移られる。


 イタリアだから・・・というのがすべてを有りにしてしまう一つの呪文なのかも知れない。



 「ジュリエットからの手紙」を観ました。  

 どうしても耐えられない という不満はないけれど、この繰り返される“日常”の中でふと非日常に思いを馳せてしまう。日常にはあり得ないような展開を“見てみたい”人にお勧め。

 イタリアを舞台にしたこの手の映画はこれまでもいくつもあるのでお定まりのパターンだろうと思っていました。
 イタリア以外からきた訳有りの主人公が、イタリアの女性・男性に振り回されペースを乱されながらも、だんだん人間性を取り戻していく、という展開。

 でも今回ちょっと違うのは、登場人物の複数がそれぞれ何らかの喪失体験を持っている人たちどうし、というところでしょうか。

 劇中、小さいときに母親が自分を残して出ていってしまった体験を持つ主人公の髪の毛をバネッサ・レッドグレーブが解くシーンが出てきます。
 女の子にとって髪を解かれるということがとても意味のあることなんだと言うことが私にも本当に良く理解できました。髪の毛だけでなく、心までもがほどかれ、癒されていくということが良く理解できました。

 ジュリエットの家の壁に貼られた手紙をはがす女性。たまたまそれを見かけた主人公のけげんな表情。なにが起きているのか理解できない不思議な表情。
 このシーンで主人公はここでのこの出来事を事前に知らなかったというのが見て取れました。
 はがした手紙をバスケットに入れて立ち去る女性の後を付け歩き出す主人公。
 ここで、出会い、運命、縁によって、人生が予期しない方向に動きだしたと言うことがわかりました。

 こんなシーンも。

 イタリアの女性たちにやりこめられたイギリス青年が形勢逆転とばかりに
「ロミオとジュリエットを書いたのは誰だ!」と言い返すと
「イタリア人のシェークスピアよ!」と一言の元に打ち負かされる。
 このシーンは本筋ではないのかも知れないけど、イタリア(人)を理解するのに役立つちょっと痛快なシーンでした。編集でカットされなくて良かった。 

 観終わってほっとできる、ハッピーエンドの映画。

 西洋音階の休符と日本の間

                       違いつながりで一つ、音楽の話。       ‐ 休符と間 ‐


  西洋音階の休符と日本の間。音としてはどちらも出ていない状態。ところが大きな違いが。

  西洋音楽でいくと、演奏(緊張状態)してきて休符でその緊張状態から解き放たれる。
 日本の場合は。“間”の間に息を詰め、緊張を高め、その緊張が頂点に達したとき演奏、音とともにポーン!と一気に解放される。(音を出す瞬間に向けて緊張を高めていくと言った方がいいのかも知れませんが)

 (曲が終わっての物ではありませんが)休符に到達して緊張がほぐれるのと、“間”で息を詰め緊張を高めていき実際に音を出したときに解放される。
 逆ですよね。どちらが良いと言うことではなく、文化の違いと言うことですが。

2011年5月19日木曜日

映画3題 幸せの雨傘 戦火の中へ 太平洋の軌跡・フォックスと呼ばれた男



 カトリーヌ・ドヌーブ主演フランソワ・オゾン監督の「しあわせの雨傘」を観てきました。

 シェルブールの雨傘から50年近くもたっているので確かに顔も体つきも“若く”はないんだけど、ドヌーブ、大人の女性として実に魅力的。
 特に、物語が動き出してからの生き生きと振る舞う様は美しく一段と魅力を感じます。 



  自分の足だけでの立ちはじめはふらふら危なっかしくて不安にもなるけど、なれますなれます。
 一声、一歩 踏み出した女性(人)は生き生きと魅力的。
 
  思いはあるのに踏み出していない人にお勧め。

 ところで、観ていて時代設定が何で1977年なんだろうと考えました。
 運動があり社会が大きく変わった60年代の後。あらゆる力関係位置関係が変わった(変わり始めた)80年代90年代の前、というのが“飾り壷”(いつもそこにあって美しくかつなにも主張しない)の主婦が目覚め踏み出していくのにふさわしい時代設定だったのかもしれません。

 それにつけても映画に登場する当時の車の愛らしくもアイデンティティのあることよ。




 続いては書き出しがひらめかなくて止まっていた映画の話。

 もう上映は終了してしまいましたが日本映画の「太平洋の奇跡・フォックスと呼ばれた男」韓国映画の「戦火の中へ」の2本。
 もちろん映画になる時点で脚色が加わっていますがどちらも実話が元になっている作品。

 常々、主役を取り巻く俳優たち、エキストラの人たちの雰囲気、特に“目”にどうも緊迫感が足りないと思っています。それがフォックス・・・では違っていました。
 当時の日本の軍国教育からみれば死に損なった兵隊の役の俳優たち、何十人もいるから台詞のない俳優たちもいる中カメラが映しだした兵隊役の俳優の顔、目つきがしっかりしていました。そこまで演出をしっかりしていたということなんでしょうが、このシーンの雰囲気は違いましたね。
 主人公の大尉、映画では良く言えば抑制の利いた人物設定。ただ、観ていて、必要なときに必要な決断をしないでいる間に、周りの状況が変わっていって結果として良かった、というケースだったような印象を持ちました。
 わざと時間をおくやり方もあるし、本当はどうだったのかは知れませんが。 

 朝鮮動乱の時の高校生たちの戦いを描いた「戦火の中へ」は、日本と韓国の違い、特に侵略された歴史の有るなしで真剣さというか、こだわりというか、こうも違った雰囲気、出来上がりになるのかと感じました。  

 タッチが違うのは日本と韓国の文化の違いも当然ながら影響しているでしょうね。
 テーマに沿った重要な少し重めのシーンが続いた後、切り替えのために挿入するシーン。このたびの作品では、韓国はより強く ハードにする、日本は笑いをとるというか和ませるというか力を抜く感じでした。
 たまたまだったのかも知れませんが、時をあまり開けずに同じ頃観た映画だったので、違うものだなぁと思いながら観ていました。

2011年5月5日木曜日

1‐14‐22 部屋は二人用だけど

 部屋はシングルとセミダブルサイズのベッドの入っている二人部屋。


 ベッドの上には白い蚊帳が結びあげられていました。

 このツアーで男性は私一人なので、新しい出会いという事では残念ともいえるのだろうけど、正直伸び伸びとさせてもらいました。

1‐14‐21 ホテルのすぐ隣は民家

 部屋は2階。


 ホテル正面は大通りに面していたけれど、今部屋のベランダに出てみると、少し広めの通路と言った幅を隔てたところにある塀の向こうは隣接してふつうの民家。

 住人の出入りが丸見え。でもこのごく日常に繰り返される生活、家族の姿って悪くありません。

1‐14‐20 ヨーロッパ様式の部屋

 鍵をもらって部屋に向かう。


 まだ本当に早かったんだろう、ルームキーパーの女性たちがまだ準備をしている部屋があるほどでした。

 すれ違ったまだ相当若い女性と挨拶。ここでの挨拶は「ジャンボ!」ですね。(もうマサイの人たちのところではないと改めて感じます)

 このホテル、ハイクラスのホテルというわけではないけれど部屋の作りなんかは、狭苦しい感じもしないし十分かな。

 でも、外に面した戸ががらがらと開けられていたのにはちょっとびっくり。

 今 日常に目にし利用するホテルの窓(戸ではない)のタイプは、開いたとしてもスリット様にわずかしか開かないし、なにより大きさも遥かに小さいアメリカ式。事故防止にはなるだろうけど、空調が完備していないとどうしようもないですね。土地の広さも環境も制約のある都市部のホテル様式という事になりますね。

1-14-19 ンゴング・ヒルズ・ホテル


ホテル フロント棟

 
 車での移動が順調だったので今日の宿舎ンゴングヒルズホテルに思ったより早く到着する事ができました。


 Nガイドが頼んでくれて、本来なら夕方6時頃からでないとお湯が出なかったらしいんですが、まだ4時というのにお湯のシャワー、
いやお風呂さえ使えることになりました。

感謝



ホテル レストラン ショースペース棟


2011年5月4日水曜日

1-14-18 チョコレートケーキ

 Nガイドによると、ここのコーヒーは有名なんだとの由。

 エスプレッソと、ケーキ屋さんではイチゴのショートケーキ、コーヒー店ではレギュラーでお店のことが一番わかると言われているのでレギュラーコーヒーとを頼みました。

 デザートにはチョコレートケーキ。
 チョコレートケーキの生地は際だってしっとりではないけれど、苦みの勝った濃厚な味。今の傾向としては皆こうですね。

 

 話がそれますが、私がチョコレートのケーキでおいしかったなぁと思い出すのは26年近くも前に訪れた“東ベルリン”! のホテルで夜散策していたときに入ったレストランで食べたザッハトルテです。

 それは、よそで口にしたものに比べて洗練の具合でいうとどちらかというと素朴な感じに寄っていたかな。まず大きさ。おしゃれというより、食べごたえを感じるくらいの大きさ。生地の洋酒の強い香りが示すようにたっぷりと濡れた生地故のずっしりとさえ感じる重さ。もちろんチョコレートの持つ苦さは感じるんだけど、甘さの勝った味。
 と言っても、日本のクリスマスで食べられるホールのチョコレートケーキほどの甘さではありませんよ。

 同じドイツでも南部のほう、西欧・資本主義地域は良くも悪くも日本のレストランでも見かけ口にするお料理でした。素朴な感じで食べた感じのするお料理は北部地方のもののようでした。寒さに対応するためにしっかり食べる、糖分をとるということも関係しているかもしれません。

 話のついでにもう一つ。

 この夜、さすがに街までは出かけませんでしたがホテルの内外を歩いてみました。
そしたら外国人観光客が利用していたレストランとは別のレストランが、一度建物の外にでないと入れない作りであったんです。

 夕食を食べたレストランはすでに閉まっている時間なのにここはほぼ満席。特に何か食べたい飲みたいという感じでもなかったんですけどなにも頼まないわけにも行かないと思ってコーヒーを頼みました。

 席から周りをちらちらと見てみると、周りもこちらを見ている様子。

 翌朝早くに出発と言うこともあったので頼んだコーヒーを飲んであまり長居をすることなく席を立ち、支払いの段になってちょっとびっくり。

 夕食を食べたレストランは観光客向け、つまり外貨獲得のために開かれているレストラン。サービスしてくれる人も大勢いました。支払いはもちろん外貨。USドルとか西のマルクと言うことになります。東のマルクは使えません。 外国人向けレストランのコーヒーは10西ドイツマルク。ところが地元の人たちが楽しんでいるこのレストランのコーヒーは5東ドイツマルク。エエーッ!

 東ドイツのお金は持っていなかったけれどここでも支払いは外貨でOK。ただ、お釣りは東のお金でしたけどね。

 本当は気をつけないといけないことをしていたんだろうけど、いい経験をさせてもらいました。



 

2011年5月3日火曜日

第3回 世界未来予想図展 4/4

1 意味ある相づちを打とう
2 相づちにひと言添えよう
3 最後まで聴こう
4 早合点して、話の腰を折らない
5 確認をとって明確化しよう
6 リピートして心の意味を探ろう
7 気持ちを込めたことばを大切にしよう
8 相手の話の中から訊こう(=聞きただす)
9 頭に描きながら聴いて、訊こう
10 心を開くオープンな質問をしよう
11 横に座って、肩の触れ合う距離で
12 相手も認め、自分も認めよう
13 目でも聴こう
14 目にも伝えよう
    『はずむ会話へ 聴き上手のコツ』NHK文庫より
 これは講座に最初に、傾聴ボランティアの心構えとして紹介されたものです。



・ワークショップ
 対面の仕方 体の置き方 正面 横に並ぶ 90度 45度  いろいろやってみました。

  会場で始めてとなり会った人。話をするのは初めて、相手がどんな人なのか。
  話の仕方 始め方 なにを話すか 聞くか 観るか   それも考えなくちゃならないけど、並び方を変えながらしてみました。そしてら話の中身も違ってくるけど、話やすさがこんなにも違うものかとびっくり。


 組になり、肩の高さに両側に上げた腕をもう一人が押し 下げる。押された側は下げまいとする。
  よほど力の差がなければ上げた腕は同じ高さで維持されます。私も、最初なにも聞かされずに講師に押されましたが下がりませんでした。思いっきり押されたので、思わずおっとっとって感じで動いてしまいましたが腕自体は下がりませんでした。
  それが「何かいやなことを考えてください」と言われた後、腕が意図もたやすく下がってしまったのです。  えぇーッ!!
  続けて、「何か良いことを考えてください」の後だとそんな大げさなとか本当?と思うだろうけど、微動だにしないんです。 びっくりしたけど本当なんです。


 相手と向かい合ったときの距離間
  自分の内面の変化での違いだけでなく相手との間隔でも違いがありました。 その人の安心していられる間隔が保たれているときは腕を押されても下がらないが(この間隔はその人の目と眉毛の間隔で狭いか広いかがわかるんだそうです)それよりも近いときは簡単に腕が下がってしまう。私も「初めての人といきなりこんなに近づいて向かい合うことはないよなぁ」と思いながら腕を上げていたらいきなり講師が痛くなるくらい腕を押したもんだから腕は下がるはよろけるはで大変でした。
  それが、名前だけでもいいから自己紹介しあった後だ  と、間隔は同じでも今度は腕が下がらない。ぜんぜん  遠慮しないで力を入れてきたんですけど下がらない、  不思議 びっくり。


 これまでも傾聴の講習、講座に関心はありました。でもいずれも時間帯・曜日・回数・開催場所などのどれかで折り合いがつかず受講することがかなわないでいました。
 だから今回のはチャンスだと思いました。
 もちろん簡単に終わるものではないとわかっていますが、足りないとわかるだけでも次へのステップになると思っています。

第3回 世界未来予想図展 3/4




 以下傾聴口座に参加してのものです。 単なる羅列になったかもしれませんが。


・初っぱなに「傾聴ボランティアはお話を聴いてくることだけではない」と言われてしまいました。


・テクニック は ないよりはある方がいい。
 これを聞いたとき本田勝一さんの「言葉はできないよりはできた方がいい・・・」を思い出しました。

 取材の時言葉ができないと取材ができないかというとそうではない。言葉ができなかったら通訳を雇えばいい。
 言葉のできるできないと、取材力は別のもの!を思い出しました。

 今回の講座の言い方でいうと、どう取材するかのそのまた前の、今なにを取材すべきか、何に注目すべきかという言い方になるでしょうか。



・被災地に入るときは、ミッションを持って
 今日の課題は!目標は! と言う心構え ミッションを明確にもって望むことで、その場に立ったと  
きも その場から持ち帰るものも違ってくる。気づき方が違ってくる。

 たとえば、その避難所を訪問したときに見えてくる問題の数。種類 項目もどれだけの人が抱えている問題なのかの総量も。

 傾聴ボランティアとしてそこに行くと言うことは、話を聞くだけでなく 今話をしている相手の全体をよく見る 観察する、なにが足りていないか 必要か情報を集める。避難所全体へも注視を広げる。(昔々宮本常一の佐渡島の調査の仕方、特に写真の撮り方を知ってから、私はその道中も視るようにしています。)



・注意。釘を差されました。
 被災地に行く時は 自分のストレス度が高いときは行かない。もらってしまうから と。

 思いあたります。特にどこが悪いと言うことではないんですが、どうも調子が出ない。何となく沈んでいる感じなんです。アフリカンドラム&ダンスやヨガの仲間もそんな人が結構いました。職場の人たちは特にそんなことを言う人はいませんから、感受性が多少違うのかもしれませんね。

 ストレスチェック、項目は多岐にわたっています。
私の結果は、困っているどうにかしたいと思っていることがいくつもありましたから本来なら相当高いストレス度合いの結果(この場合は点数で判定)になるんでしょうけど、それがストレスになってますかというと必ずしもストレスの自覚がないんですね。気づかないうちに溜まっていくパターンなのかもしれませんが。

第3回 世界未来予想図展 2/4

 

さて、第3回となる今回の展示はネパールの子ども達の絵だったので「もっと知ろう!ネパールのこと」と題して、長年ネパールで教育支援に関わっている人の現地報告がありました。(報告をしてくれた人は50歳の時に27年間勤めた学校を退職して関わっている元教師)



 展示 紹介されている絵の数々は、うまい下手で観賞するようなものではありません。 描いた子どもの境遇 夢を、他の人にもわかるように、心にある思いを目に見える絵という形で表してもらったものです。

 でもこの絵がどういう背景で生まれてきたのか、子どものおかれている状態、社会が反映されてますけどね。




 以下は 書こうかどうしようかずいぶん考えました。

 現地報告の話については、絵が描かれた背景、ネパールの状態について報告してもらうとより思いいれが深まったのにと感じます。

 ネパールの教育事情、それだけじゃないでしょ、なぜそうなのかその背景を聴きたいと感じました。
 愚民政策は変わったんですか?と聞いてみたら、愚民政策という言葉自体を知りませんでした。

 “寄り添う”と言う感じがしませんでしたね。ネパリ・バザーロの土屋さんの感じ、対応とはずいぶん違う感じがしました。
 援助する側される側、強い弱い、上下、と言うものを感じたんですよね。

 もちろん、私の知っているスタイルが一番とかすべてとかは思いません。
 そういうことでいうと、違うスタイルだからそのぶん運動が広がっているというべきものでしょう。

 それにしても、自分がいかに たばこ が嫌いかとかパチンコをやめたとか旅行でいろんな所に行くのが趣味とか、ここに写っているのはどこでしょうか(映し出された映像は半分は車 半分は地面と木が何本かなので、こんなのはその思いでのある本人以外のわかるようなものではない)とかは、自分でそう言っていたので、自己紹介のつもりで見せたり話たりしてのかもしれませんが、ネパールの子どもの絵の話をするのにどのように必要なのかがわかりませんでした。

 特別に作ってきましたと言っていましたが、ネパールクイズとやらを盛んにやりたがってました。途中、何でそう行くのかが理解できませんでしたが「中学生はいませんか?いたら答えてもらいます。」と何回も後ろを振り向いて言ってました。さっき聞いたばかり、そしてその後誰も新たに会場には入ってきてませんよ!と思ってました。

 学校の先生だよなぁという上から目線。ここにいる中で私が一番なんでも知っている。立場が上、と思っているのが見え見え。

 学校という世界、教師という特別な世界、ふつうの感覚とはずれている。どこにどれだけに人がいるか。様々な経験、能力を積んだ人がいるかもしれないという慎み。相手に対しての敬意というものを感じられませんでした。

 このお話をしてくれた人が、自分の関わっていること 自分のスタイル以外のことをどれだけ知っているのかな。ネパールの歴史・文化・社会・現状との関係 立ち位置、他の団体とのことでどうなのかということを考えてしまいました。

第3回 世界未来予想図展 1/4

 縁があったんだと思います。

 通勤途中のカーラジオで知った 
未来予想図展実行委員会 主催 
第3回世界未来予想図展 
  ‐ネパールのこどもたちの夢‐
に行ってきました。(2011/4/10)

 会場は柏崎市のソフィアセンター。
わかってしまえばなんてことはないけど、最初は会場がわからずぐるぐる車で探し回ってしまいましたが、本来なら家から1時間と少しで着いたのかなぁ。

 催しのメインは、もちろん子どもたちの描いた絵。でも今回は「東日本大震災のことがあるので“傾聴ボランティア講座”も開催します」とのアナウンスがありました。
 それで行ってみようと思い立ったわけです。 

 でも何で世界未来予想図展で傾聴講座なのか。

 それというのは、この会が誕生したきっかけが2007年7月の中越沖地震をきっかけとしたもので。被災した子どもたちの心のケアとしてアートセラピーで未来を予想した絵を描いてもらったことがきっかけ。 そして会の代表の下條茂さんがアメリカで医師免許を取得し傾聴の研修もうけていて災害支援について積極的に関わっているということからです。 

 傾聴講座講師の会代表下條茂さんは生き生きしていましたね。スタッフは20後半から30前半くらいの女性たち。

 「中越沖地震がなかったら今こういう活動はしていなかったかもしれない」という話がありました。大変なことに遭遇してしまったわけです。失ったものもありました、でも得るものもありました。どこでなにがどうなるか。


(傾聴については別項で)

心和む情景





        よかったね


     東北 明日は

     晴れだって




  通勤途中で聞くラジオ番組に週に一回、川柳のコーナーがあります。そこでは3週勝ち抜くとチャンピオンと言うことになっています。

 冒頭の一句は、まだ寒い日が続く3月の末に見事チャンピオンになったものです。

 詠んだ人はまだ小さい女の子。それをお父さんが心に留めて投稿してくれた一句です。

 チャンピオンになろうがなるまいが、心に響く作品だなと毎週聞いていました。

 直接は知りもしない遠く離れたところの人のことを思いやれるこの小さな子のことを。
 親子でやりとりしている場を思い浮かべながら聞いていました。

 心から、いい子だなぁ 優しい子だなぁと思います。
この川柳を聞く度に、この子がお父さんと一緒にいる情景が思い浮かび心が和みました。

 この子は、家族から本当に愛されているんだなぁと思います。
 愛されているからこそ、自分を愛している家族が東日本大震災のことで心を痛め、天気予報一つでも寒さを心配しているのを目の当たりにしていたからこそ、ある日の天気予報で“明日は暖かくなる”と聞いてごく自然に口からでたんでしょうね。