2011年5月20日金曜日

「ロミオとジュリエットを書いたのは誰だ!」 「イタリア人のシェークスピアよ!」

“イタリア”というのは、アングロサクソンの感覚から言うと理解の範疇を越えているのだろう。主人公の身の上に突然!!非日常が起こっても何の疑問も抱かれず別の展開にサッと移られる。


 イタリアだから・・・というのがすべてを有りにしてしまう一つの呪文なのかも知れない。



 「ジュリエットからの手紙」を観ました。  

 どうしても耐えられない という不満はないけれど、この繰り返される“日常”の中でふと非日常に思いを馳せてしまう。日常にはあり得ないような展開を“見てみたい”人にお勧め。

 イタリアを舞台にしたこの手の映画はこれまでもいくつもあるのでお定まりのパターンだろうと思っていました。
 イタリア以外からきた訳有りの主人公が、イタリアの女性・男性に振り回されペースを乱されながらも、だんだん人間性を取り戻していく、という展開。

 でも今回ちょっと違うのは、登場人物の複数がそれぞれ何らかの喪失体験を持っている人たちどうし、というところでしょうか。

 劇中、小さいときに母親が自分を残して出ていってしまった体験を持つ主人公の髪の毛をバネッサ・レッドグレーブが解くシーンが出てきます。
 女の子にとって髪を解かれるということがとても意味のあることなんだと言うことが私にも本当に良く理解できました。髪の毛だけでなく、心までもがほどかれ、癒されていくということが良く理解できました。

 ジュリエットの家の壁に貼られた手紙をはがす女性。たまたまそれを見かけた主人公のけげんな表情。なにが起きているのか理解できない不思議な表情。
 このシーンで主人公はここでのこの出来事を事前に知らなかったというのが見て取れました。
 はがした手紙をバスケットに入れて立ち去る女性の後を付け歩き出す主人公。
 ここで、出会い、運命、縁によって、人生が予期しない方向に動きだしたと言うことがわかりました。

 こんなシーンも。

 イタリアの女性たちにやりこめられたイギリス青年が形勢逆転とばかりに
「ロミオとジュリエットを書いたのは誰だ!」と言い返すと
「イタリア人のシェークスピアよ!」と一言の元に打ち負かされる。
 このシーンは本筋ではないのかも知れないけど、イタリア(人)を理解するのに役立つちょっと痛快なシーンでした。編集でカットされなくて良かった。 

 観終わってほっとできる、ハッピーエンドの映画。

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