2011年5月19日木曜日

映画3題 幸せの雨傘 戦火の中へ 太平洋の軌跡・フォックスと呼ばれた男



 カトリーヌ・ドヌーブ主演フランソワ・オゾン監督の「しあわせの雨傘」を観てきました。

 シェルブールの雨傘から50年近くもたっているので確かに顔も体つきも“若く”はないんだけど、ドヌーブ、大人の女性として実に魅力的。
 特に、物語が動き出してからの生き生きと振る舞う様は美しく一段と魅力を感じます。 



  自分の足だけでの立ちはじめはふらふら危なっかしくて不安にもなるけど、なれますなれます。
 一声、一歩 踏み出した女性(人)は生き生きと魅力的。
 
  思いはあるのに踏み出していない人にお勧め。

 ところで、観ていて時代設定が何で1977年なんだろうと考えました。
 運動があり社会が大きく変わった60年代の後。あらゆる力関係位置関係が変わった(変わり始めた)80年代90年代の前、というのが“飾り壷”(いつもそこにあって美しくかつなにも主張しない)の主婦が目覚め踏み出していくのにふさわしい時代設定だったのかもしれません。

 それにつけても映画に登場する当時の車の愛らしくもアイデンティティのあることよ。




 続いては書き出しがひらめかなくて止まっていた映画の話。

 もう上映は終了してしまいましたが日本映画の「太平洋の奇跡・フォックスと呼ばれた男」韓国映画の「戦火の中へ」の2本。
 もちろん映画になる時点で脚色が加わっていますがどちらも実話が元になっている作品。

 常々、主役を取り巻く俳優たち、エキストラの人たちの雰囲気、特に“目”にどうも緊迫感が足りないと思っています。それがフォックス・・・では違っていました。
 当時の日本の軍国教育からみれば死に損なった兵隊の役の俳優たち、何十人もいるから台詞のない俳優たちもいる中カメラが映しだした兵隊役の俳優の顔、目つきがしっかりしていました。そこまで演出をしっかりしていたということなんでしょうが、このシーンの雰囲気は違いましたね。
 主人公の大尉、映画では良く言えば抑制の利いた人物設定。ただ、観ていて、必要なときに必要な決断をしないでいる間に、周りの状況が変わっていって結果として良かった、というケースだったような印象を持ちました。
 わざと時間をおくやり方もあるし、本当はどうだったのかは知れませんが。 

 朝鮮動乱の時の高校生たちの戦いを描いた「戦火の中へ」は、日本と韓国の違い、特に侵略された歴史の有るなしで真剣さというか、こだわりというか、こうも違った雰囲気、出来上がりになるのかと感じました。  

 タッチが違うのは日本と韓国の文化の違いも当然ながら影響しているでしょうね。
 テーマに沿った重要な少し重めのシーンが続いた後、切り替えのために挿入するシーン。このたびの作品では、韓国はより強く ハードにする、日本は笑いをとるというか和ませるというか力を抜く感じでした。
 たまたまだったのかも知れませんが、時をあまり開けずに同じ頃観た映画だったので、違うものだなぁと思いながら観ていました。

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