2012年6月17日日曜日

レイ・ブラッドべりが亡くなったことから改めて考えた “物事にはすべて時がある”

 レイ・ブラッドベリが亡くなりました。(2012年6月5日)


 知り合いでSFの好きな人に「レイ・ブラッドベリが亡くなったねぇ」とEメールしたら、久しぶりということもあって返信にいろんなことを書いてきてくれました。
 レイ・ブラッドベリが亡くなったということに対して「一つの時代が終わったんだなぁ」と話していました。

 特に好きなジャンルというわけではなくて、そんなに詳しくもないんだけどこの一言で大きな存在だったんだなぁということを再認識しました。



 私の場合レイ・ブラッドベリさんのことは、映画「華氏451」の原作者ということで初めて知りました。
この映画のことは、ショッキングな印象も含めてよく覚えています。
 出ている人は魅力・実力のある人たち、出来としても悪くありません。ただし時代(社会)がそうだったのか多分に実験的なタッチ

 私がこの映画・作品に強い印象を持っているのは、文化・社会性・未来に対する希望・不安・恐怖、素晴らしいこともしてきたけど愚かな“戦争”特にWWⅡで核をも手に入れ出したことに危機感を感じていた当時のみんなの思いを、この人は自分の手段“書く”ということで代弁していたと思うからです。
 SFというジャンルを越してすごく普遍的、哲学的なものをその作品、主張に感じたからだったんだと思います。
 華氏451とは本(紙)が燃えだす温度だというようなサイドストーリーがあったのも好みだったかもしれません。



ところで。
 考えてみるとこの5年10年というもの私の好きなアーティスト、 印象に強く残っている人たちがたくさん亡くなっています。
 もちろんその前もその後の時代にも素晴らしいアーティスト、曲・作品はたくさんあります。でも“時代”としては60年代がすごく印象に強いので、そのころに20代30代だった人たちだったとすればちょうどそういう年回りということでしょうか。

 この時代は良いも悪いもとにかく激変。
行動を起こせば変わるという感じがしたし、生きてるとストレートに感じられた時代だったように思います。(それだけに、その後大きな挫折感を味わい、停滞の時代があるわけですが。)



 “年回り”ということで言うと昨年母が亡くなりました。
 以前に比べると100歳を超える方もずいぶん多くなり、そこまではいかないものの母も長命の方だったんではないかと感謝しています。
   社会に出たころが祖母の代が体調を崩す頃でした。今が母のという年代になるのでしょう。

 もう何年か猶予をほしいといっても、そしたら大丈夫ということでもないし。
 いまだ大人になりえたかどうか自信のない私だけれど、神の判断で与えられた時間(時)を受け入れるのが一番正しいのでしょうね。

 これもやはりそういう年回り、時ということ、物事にはすべて時があるということなのでしょうね。

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