そのとき思わず「私はそういう世界から対極に行ってしまったなぁ」とつぶやいてしまいました。
私ジェンベを始めるまでは、ぴったりと合って濁りがなくてすんだ音色が一番と思っていました。
もちろんそれ以外の“音”、スタイルが存在していることは知ってましたよ。でも一番は澄んだ音。今思えばそれは西洋音階・音楽の発想ということだったわけです。
この発想でいくと、楽器ごとの音域 音色の違いはあれど(もちろん個体差、鳴りの違いはあります。だから多くの楽器のなかに名器と言われるものが存在するわけです。)オーケストラとしてはぴたりと音が合っている状態、それが基本であり原則ということなんでしょうね。
日本でも“さわり”と言う、わざと響かせて共振・共鳴させ濁(?)らせるのがあるけれど、始めてから約10年経つアフリカの太鼓たちはそもそもからして違っていました。
同じグループの太鼓なのに個体差がすごく大きくて、こうまで音色が違うのか、違ってもいいのか!とびっくりしました。
その楽器(グループ)の持つ音(階)がないわけではありません。それでもずいぶんアバウトなのかなぁ。当地ではもッとなのかなぁなんて思ったりもしますけど。
そういうベースはあるにしても、いざ演奏という時は、ピッチさえ合わせないでそのまま入っちゃうんですもの。最初のころは違和感を覚えるほどでした。
(使い込むうちに延びてきた皮を締め直すということはあります。私も時々します。しめている時に縁が避けたことがあります。それだけ皮が弱っていたということかもしれませんが。)
ソロを取るためにわざと音を違わせるということもあるとはいえ、こういうのもあり? こんなんでいいの? 理解の範疇を越えていましたね。
それに、わざといろんなものをくっけたりぶらさげたりして(別の)音を立てるんです。西洋音楽の感覚で言うと雑音ですよ。
実際に演奏する時は、もちろんみんなと一緒にやるんだから、周り、相手のことをよく聴き視なければ成り立たないけれど、この 違い ずれ 時には雑音(?)が良いグルーブ感を生むんだなぁ。
この うねり、このグルーブ感 を生むものは、各楽器、パートで演奏も違うし音色も違ううえに、あえてピッチを合わせないのが一番大きいのかなぁ。
今言ってる「うねり」とは、音合わせのとき。たとえば何本かのサックスで音合わせをしているとき、合ってないうちは音が波打つ、うねって聞こえてくるあれですよ。
もちろんどうしても欠かせないのはリズム感であり“ノリ”だと思いますよ。でもこの、音がワウワウとうねる方のノリはこれもあるのかなぁ。
このこと。
人もいろいろあるよ 人もいろいろあっていいんだよ につながっていると思いました。
文化の多様性 人の多様性。
いろいろあるよ いろいろあっていいんだよ 違いOK、あなたはそのままですでにOKなのよ につながっていると思いました。
そんな ふうに考える(考えられるようになった)私も変わったなぁと思いました。
追伸 今こうしていて、そもそも音合わせってどういうことだったっけ、わからなくなってしまいました。
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