2012年11月29日木曜日

1-16-7 ビューポイント後ろの建物


ビューポイント、道路を挟んで反対側AFYA HAOUSEは何の建物でしょうか。日本で言えば厚生省、保養施設その関係の建物?。

 



別の車がやってきました。

降りてきたのは中国からの観光客のようでした。

かわるがわる記念写真を撮ってさっと行ってしまいました。

同じだなぁ。

 

私たちも交代で写真を撮り合い再び車に乗り込みました。

 

2012年11月27日火曜日

1-16-6 ビューポイントの眺め


 
 
 
 
 
 
中心街に向かう途中立ち寄った観光客向けのビューポイントから見るナイロビは雨雲に覆われていました。

ビューポイントの真下は公園のようです。池もあります。

その先には、広々とした敷地のメモリアルパークでしょうか、その奥に高いビル群が見えます。

1-16-5 ナイロビ中心部へ下っていく


 
 
ナイロビはやはり盆地のようです。

ホテルを出て、何度か通ったロータリーの処もすぎどんどん下って行きます。

ナイロビ中心部、官庁街はマタトウ進入禁止なんだそうです。

心なしか車自体が少なくなったような感じがします。

2012年11月26日月曜日

9・17 自由の橋




“自由の橋” 朝鮮戦争の時、一度奪われたこの橋を国連軍が取り返した、休戦協定後捕虜がこの橋を渡って帰ってきたことなどからそう呼ばれているそうです。

 

  自由の橋。私たちがたちいることのできる部分は木でした。

 
 
 
 
 
 
 
 
その先を遮るフエンスはリボンで飾り立てられています。観光客が大勢記念撮影しています。

 

9・17 休戦状態の中の観光




 でも、この賑やかさ華やかさとは裏腹に、なんとなく居心地の悪い“気”を感じます。

あちらからも こちらからも見られているんだろうなぁ 監視されているんだろうなぁ。

これまでの多くの 無念な思いがこもっているんだろうなぁ。

私たち観光客にとっては、観光スポットだけれど、ここ韓国は戦争・休戦状態なんだなぁ戦場なんだなぁと思いました。

9・17 臨津閣 破壊された機関車


 
 
 
朝もまだこの時間から人が大勢です。望排壇などいろんな記念碑、お土産物屋も入り屋上は展望台になっている大きな建物・臨津閣。

 
 
 
 
 
 
朝鮮戦争の時、汽笛を鳴らしながら攻撃から必死に逃げる時に破壊された蒸気機関車が、赤銅色に錆びつき凹み傾いたまま生々しい音とともに保存展示されています。

9・17 臨津閣公園入口のモニュメント





 




“自由の橋”のある場所、関連施設のある場所の入り口には大きなモニュメントが建っています。  


これは、朝鮮戦争後にここが攻撃された時に亡くなった兵士のために作られたものだそうです。

9・17  最後の日 漢江沿いの歩哨所


漢江沿いの自動車道路で一路オドサンの統一展望台、そして自由の橋に向かいます。


漢江沿いは短い間隔で歩哨所がおかれています。
 

北朝鮮が攻めてくるとしたら漢江を伝って一気に来るだろうという予測の基にとられている対策の一つのようです。



最後の日、雨こそ降っていないけど空と川面の区別がつかないくらいの曇り空。

だからでしょうか、みんななんとなく無口です。

 

2012年11月23日金曜日

ビキニデー   福島県民の8%が自宅で正月を迎えられなかった


11月も残すところわずか、もう師走。

年が明ければ 一月去る  二月は逃げる であっという間に3月。

“収束宣言後も収束していない”福島第1原発 事故 から2年、今年参加したビキニデーから一年たつことになります。

 

福島の現状は、立ち入り禁止解除 避難生活解除 が宣言されても一向に改善していません。

 そりゃそうでしょう。 “原発事故収束していない”し生活していくうえで必要な水や電気、食品などの生活していく上で絶対必要なものから、生活していくうえでの環境が整わないんだから進むわけがないと思います。現状では、たとえ帰りたいと思っていても無理と言うものでしょう。

 

「福島県民の8% 16万人が昨年自宅で正月を迎えられなかった。」

「こどもには安全なものを食べさせたい。年寄りは、(危ないとわかっていても)最後は自分の家で迎えたいと思ってる。だけど(子供は)安全なところで生活させたいと思ってバラバラになって生活している家族もいる。」 

2012 31ビキニデーの国際フォーラムでの福島農民連の人の発言・現地報告

 

ずっと頭から離れなかった言葉だけれど、なかなかUPできなくて。

でも2度目の年末を控えこれは書いておきたいと思ったのです。

 

最近の報道でも、戻る人もいれば子どもを安全なところで育てたいと県外に避難する人もで、入れ変わりがあるけれど、総計としては私がビキニデーで耳にした 数字 と変わらない数字が伝えられています。 

 

2年と言う時間はあっという間でもあり、2年もたつのに とも。

だけどこの間に何が解決したんでしょう。

16万人という一塊の数を見るのではなく、その一人一人に人生・生活があることを、事件のことも、みんなのことも私は忘れません。

スキヤキ   サカキマンゴー 


サカキマンゴー

“へぇーこんなだったの”いろいろ思いがあるんだろうし、悪いわけではないけれどそんな思いでした。

今思えば何かの勘違いでその名前に行きついたとしか思いつかないんですが。

とは言え、カリンバ ムビラ イリンバ チリンバ リケンべ そのほかの楽器にも造詣が深いようで関心を持っていました。

いろんなことを知ってるようで・やってるようで。ウエッブサイトを見ると、いろんなことに相当こだわっている(徹底)ようで。 何時か! と思っていました。

この度その機会が与えられたわけです、が。

 

プログラムに乗っているもののほかにもあちこちに出没、目にしました。

服装、髪型などからして目立ってますからひょいひょいと歩いてくるとすぐわかる感じでしょうか。

で、肝心の演奏。

これが周りの電気楽器、打楽器、そして演奏者たちの前に立つと萎縮してしまっている印象でした。

「親指ピアノなんだから仕方ないんじゃないの」と思うかもしれないけど、今やエフェクターやピックアップ PAまで通しているんですから楽器、音の大きい小さいの問題ではないと思います。

OKIさんの骨太さを見ているものだからかなぁ。でもスキヤキ製スペシャルユニットのスキヤキ電気ボックスの他の人と比べてもそんな印象だったなぁ。

このスペシャルユニットは、ユニットとしてはあまり成功、完成しているとも思えなかったけどその中でも今一つ乗りが違うというか、“まだ見つけていない” と言う感じかな。

次に期待ですね。

 

ところで、誰と取り違えたのかなぁ と考えてみると。浮かぶ名前は大西匡哉さん。

アフリカ東部・ケニアで、音楽だけにとどまらずいろんな活動をしている人です。

私のやってる西部の太鼓とは形からして違うし、リズム、演奏の仕方も違います。でも 楽しい音楽、一時を作ってくれますよ。先日のジャクソンさんのツアーに同行していました。

ケニアの人たちの音楽を採集してCDを作成、自立の一助を担っています。マゴソスクールのみんなの歌を集めたCD作成にも関わっています。

でもなんで間違えたのかなぁ。

2012年11月21日水曜日

F  メタルギニーライブ会場にて  ほんとに!?


 当夜はあまり光の回らない後ろの方に控えていました。

写真も撮る気にならなくてカメラ自体持って行きませんでした。私にしてはすごく珍しいでしょ。

 

急に斜め前方、いちばん前の席・人に気持ちが飛びました。

一緒に来た友人でしょうか、隣の人に話しかける時に見えた横顔、開けた口の感じがFさんのような気がします。

だけど形相が違います。体つきも全然違います。

誤解のないように言っておくと、最初からこの体格だったら別にいいんです。ただ、もしFさんだとしたら、私の記憶にある身体つきとあまりに様変わりしているもんだからということなのです。

Fさんがおそらく服用しているだろう薬には、副作用として太るというのがあるとは聞いていたけど。 だとしてもこれほどまでにとは。

太ったと言う太り方ではなくて、尋常じゃない、病的と言うか、まさに薬のせいなんでしょうね。そう思わなければ理解できない変わりよう。

 と言っても、こう書いていて自分でびっくりしたけど、Fさんとは個人的に会ったことは一度もなかったし、みんなと一緒の時に“見た”と言うのを数えたって何回!?

だから。 どうなんだろうか、もともとこういう体格・体つきの人、別の人なのかもしれません。

 だけど、もしFさんだったとしたら。 薬のせいだと思うけど、失礼だと思うけど、ほんとにすごい変わりようなんです。

でもなんとなくそんな感じがするんです。

見た目は、よく言ってもムッシュビバンダム。個人的にはビバンダム好きですけどね。タイヤもコンチネンタルとミシュランだし。

 
 

Fさんは確かに“病気”なんでしょう。

だからその治療はもちろん受けなければいけないけど、それだけじゃなく“考え方”人生の生き方としてカウンセリング、何らかの対応が必要な人、ケースだと感じています。

Fさん、時には必要なことだけど、逃げてばかりじゃなくて、時にはちゃんと考え対処する生き方をするべきだと思うんです。

そこらへん、まだ大人に育っていない気がするんです。

 年齢・体つきは確かに大人に育ったけど、子どもの時の出来事、体験が精神的な成長を妨げてしまったと思うんです。

 

治療・投薬をちゃんと続ける。合わせて子どものころからの 育ち直し をするといいと思うんです。 

メタルギニー ってどんなグループ?   演奏はすごい迫力 スタイルは今風

 さてこの度のライブ、先触れとしてレゲエのグループと主催者のグループ「ユナイト」と言う2グループが出演しました。

ユナイト はなかなかに良かったですよ。

ダンスパフォーマンスは身体能力だけでなくて、見せ方にも気を使っていて好感が持てました。楽しかったですよ。
  演奏の方は、きれいなんだけど今ひとつ迫力と言うか思いっきり打ってない感じがしました。

この2グループは地元のメンバーだし、私も含めてみんなが知っているメンバー。
  だからかもしれないけど、ごひいきからアンコール!の声が。
そのせいでいつまでもメインが始まりません

 

メタルギニーは 会場の外から太鼓を打ちながら入ってきました。すごい迫力です。

スピードも迫力・音の大きさもさすが!です。このあたりがプロと“アマチュア”の大きな違いでしょうか。

演奏スタイル、曲目はトラディショナルではなくて、今地元で流行っている演奏スタイル曲目をメインにしたどちらかと言うとコンテンポラリーな感じ。これはこれで楽しいですけどね。

何度目かのアンコールで「じゃあ一緒に踊って演奏しましょう」ということになってすごい盛り上がりでした。

メタルギニー ってどんなグループ?  教えるということに関しては向いてない!?

メタルギニーのライブとワークショツプが二日にわたってありました。

 

以前ドウンドウンを教えてもらえると大喜びでメタルギニーのワークに参加したことがありました。念願かなってJUNJUNセットを手にしたものの、特にドウンドウンは他の太鼓より一段と鳴らす場所を選びますから願ってもない機会だと喜び勇んで参加したというわけです。

そのワーク当夜は他に大きな催し物もあったようで、ようやく駐車場に入れたものの一番離れたところ。何せ私のドウンドウン、音の響きは一級品だと思うんだけど大きくて重くて、会場まで担いで行ったんだけど大変でした。

そうやって楽しみにしていったんですが、叩かせてもらえなかったんです。

いや、正確に言うと最初にちょっと、ほんのちょっと叩いたら「最初はケンケニからがいいです」と言うことで自分のドウンドウンではなくて他の人のケンケニを叩くことになってしまったんです。

できないから習いに行ったんだし、それならそれでドウンドウンワークなんて最初からしなきゃいいんですよ。

楽しみにしていた晩だったし、重かったし、「ドウンドウンを教えてもらえると聞いてやってきたんだ」と言えなくて心がぐるぐるしました。 

体が熱くなりっぱなしでした。全然楽しくなくて、リズムも上の空でした。

グループの演奏自体はなかなかのものだと思いましたけど、教えるということに関しては向いてないメンバーだったようでした。

そんな一晩があったものだから、正直なところ素直に行く気持ちにはなれませんでした。

でもまあ、今回プロデュースしている人から声をかけられたこともあって、ライブだけでも行ってみるか と言うことにしたわけです。

 

ワークは行きません。

いつまでもそんなこと と言われるんだろうけど、メタルギニーと言う名前とセットの思い出になっちゃってるもので。

2012年11月19日月曜日

 NATO 新略語  有言(不)実行


NATO と言えば 北大西洋条約機構 と思っていたら、たぶんに情けないけどこんな訳(略語)もあったんですね。

それは、アジア視察ツアーに臨んだ日本の企業、企業トップの言動に対して放たれた言葉でした。

 
   NATO

      N ノット 

        A アクション  

   
          T トーキング
   
          O オンリー
 

いつも経営者でいっぱいのアジア視察ツアー。

しかし、その視察先で約束が成立することはほぼないんだそうです。

参加した企業トップがいずれも「持ち帰って検討する」と言って帰るのを見て、「社長や会長の上に誰かいるのか?」といぶかしがるのだそうです。