2012年11月11日日曜日

スキヤキ  シンポジューム 「日本にワールドミュージックは育つか?」


22回スキヤキミーツザワールド/シンポジューム「日本にワールドミュージックは育つのか?」 ヘリオスアートスペース   826()1030~   

 

結局のところ、シンポジュームは何をしたいのか 目的 到達目標 がはっきりしないままに幕を開け終わった印象。

その地にもともとあったものとは別に、別の地域の“ワールドミュージック”を持ってきた場合のことを以て 育つか? と問うていたのでしょうか。日本にすでにあるワールドミュージックは、育つか?の対象なんでしょうか。

 

シンポは、まず ワールドミュージックとは何か? と言う定義づけでの発言が促されました。

アマジーグ・カテブ(アルジェリア)さんの「ワールド・ミュージックは音楽にとどまらない。文化 体制 社会 出会い (運動等まで包括している)」や、歴史や大きな出来事を前にその人の人間性まで問うOKIさんの発言などが印象に残っていますが、今の自分に至る経緯の発言などは、そのミュージシャンに関心のある人には無駄ではなかったと思うけれど、シンポのテーマに関してということではどうだったでしょうか。

コーディネーターの粕谷雄一さんの中で絞りきられていなかったのかもしれませんね。

 

それで、何時どんな発言があるかと注意はしながら、アマジークさんやOKIさんのようにではなくさらりとですがこの与えられたテーマと場の雰囲気の中で考えまとめてみました。

ワールドミュージックとは、ワールドとは言っているけどじつはローカルなもの?

グローバルに、国境や民族を超えたスタイル・ジャンルではなくて、ローカルに限られた地域・民族に伴うもの。 だけど“ワールド?

CDコーナーには、ジャズ ロック クラッシック 等とは別にワールドのコーナー。

考え方もあるとは思うけれど、店舗面積での制約もあり、このように分類されている物・ジャンル以外はすべてワールド・ミュージックと言うくくり方がされているのかもしれません。シャンソンやボサノバでさえもワールド・ミュージックコーナーに並んでいる時もありますけどね。

ただし、ネットでもおおむねこんな扱いなので面積だけではないのかもしれません。

一つ、面積を無視してどんどん細かく分けコーナーに名前を付けて行けば“ワールド”と言う看板は外れるのでしょうか。それともそれでもワールド、国・地域・民族に収まらないものなんでしょうか。

 

 私はアフリカ西部の音楽(ジェンベ)をやっています。

アフリカの音楽を、その国・民族以外の人がやるというのはどういうことなのでしょうか。

和太鼓をやったこともありますが、アイデンテティとして自分の音(文化)を持つ、探すべきでしょうか。

 

その地・その民族には普通に昔からあった音楽が“発見”されています。

コロンブス以前にアメリカがあったように、もともとワールドミュージックはあったのです。こちらが知ってから初めて始まったわけではない。

それを“発見”した側が ワールドミュージックと言っているだけではないでしょうか。

 

てなことを考えていました。

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