2013年3月31日日曜日

体調管理は難しい


先日、有名なバレエ団付属バレエスクールをあつかった番組を観ました。

もともと厳しい選抜を経て入学した人たちなので、技術的にも体力的にも大きな差、違いは存在しません。それが、卒業後あるダンサーはバレエ団に入団でき、あるダンサーはかなわない。バレー団に入団したダンサーの中からエトワールにまでなれるのはまたその中のごくごく限られたダンサー。

 
どうしてそんな違いが。

 
徐々に、そして後々大きな違いになってくるのは、もともとの実力のあるなし以上に、ここというタイミング、チャンスに実力を発揮できるかどうか。本番のタイミングに合わせて調子をベストに持って行けるか、合わせられるか。

運、偶然。めぐってきたチャンスをいかにものにするか、チャンスを逃さないかどうか。折々のその選択と結果が進む道を違えていくのだとよくわかりました。

 

こんなシーンが ありました。

 バレエ学校一年間の成果の発表会に向けて一生懸命だった少年。

 ところが本番の舞台に立ったのは別の少年。

 いったい何が

少年へのインタビューシーンが出てきました。

 それによると、本番少し前に喉の具合が悪くなりドクターストップがかかったのだそうです。

抜擢と言えるチャンスを、この少年はつかみ取ることができなかったのです。生かしきれなかったのです。

 少年はインタビューに応えて 「体調管理のむずかしさを知りました」と答えていました。

 

私も先日の M公演の数日前から喉がどうも変。 呼吸も浅くなり、公演当日の体調はベストではありませんでした。(風邪の前兆だったのでしょうか、その数日後熱が出てしまいました。)

いずれにしても、本番を前にしてもう少し体調管理で気を付けることがあったのではないか。
どう演ずるか、台詞を覚えるかと同じように体調管理についても考えなければいけないと反省しました。

2013年3月27日水曜日

1-16-32-3/3 小象の行進


基本的に、野生動物にとって人間、それもこんなに大勢の人間に取り囲まれるというのはストレスでしょう。

それに対する配慮ですね。

しばらくしたら、小象たちを丘の上の茂みの方に連れて行きました。

その様子はまさに“小象の行進”

 
 

「小象の行進」を作曲したヘンリー・マンシーニはこういうシーンにインスピレーションを得て作ったんじゃないかな!

もしそうなら私は超能力者!


毎朝の通勤ですれ違う車 車。

みんな始業時間が決まっているわけだから、だいたい毎日同じ頃に家を出ていることでしょう。

私は毎日すれ違う車とどのあたりですれ違うかで、その日の早い遅いを見ています。

ふと思いました。

「私(の方)もこういう風にして見られているんだろうなぁ」

 

 

 私は“どう見られているだろうか”“どう思われているだろうか”

とらわれすぎ、気にしすぎ、意識しすぎなんでしょうけど、ただすれ違うだけの縁じゃなくて、顔の見える関係においてどうなのかなぁと気になるのは実際のところ。 

 

 常日頃において、実際のところは私の方が思い気にしているほどには周りは気にしていない、なにも思ってはいないだろうと思います。

私が気にしていることなど相手は全く気にしていないかもしれません。

 

 話は飛びますけど。

離れている人なんかはなおのこと。

例えば、念を送っても何の変化もありません。

もし念を送って伝わるならばすごいこと。もしそうだったら 私は超能力者!

2013年3月24日日曜日

1-16-32-2/3  ほほえましい授乳の様子


係りの人たちは説明の合間に、大きなミルク・ボトルで小象たちに授乳していました。










 
 
 
 
 
 
 
 
 
一般的にアフリカゾウは気が荒い、人になれにくいと言われていますけれど、この授乳の模様は愛らしく、愛嬌がありとてもかわいい様子でしたよ。

1‐16‐32‐1/3 ゾウの孤児院  運営

 この、ゾウの孤児院はイギリス系の団体が運営しているそうです。

イギリス()は功罪いろいろの事をしてきているけれど、仕事の創設と地域に暮らす若者の教育機会にも力を入れているマサイ・マラの管理団体のしていることと同様これは功の面ですね。

 

 
ここでは、密猟などで親を殺され孤児になったゾウがいるという情報が入ると、ヘリコプターを使ってでも連れに行くんだそうです。

 

それも含めて、運営資金の一部にはここの入場料と里親制度で得られた資金が充てられているそうです。 

 

 
里親制度。

グッズのところには、個々のゾウの写真が張り出してあって、その中からどの子(ゾウ)を支援・里親になるかを選んで申し込む場所がありました。

2013年3月23日土曜日

1-16-31 ゾウと会う広場と飼育員の人たち


木立の間の下り道を抜けた先に、白衣ならぬ青い上っ張りを羽織った人たちがいます。

 
 
いよいよゾウと会えるところは、その先が遠くまで見渡せる丘になっていました。
 
ゾウの孤児院(ゲート)まで車はひたすら登ってきましたからここ自体が高いところにあるということは考えてみれば当たり前。

 あちらの方角はナイロビでしょうか。

 

飼育員(?)の人たちはゾウの相手をしたり、内何人かは見物の人たちに向かって大声で説明をしてくれています。

 

1-16-30 ゾウの孤児院入場


 
 
 
 
 
 
 
 
 
車から降り飼育小屋の前を通りチケット売り場に。

 

入場後の道は下りながら土産物の売店 事務所前を巡っています。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
そこを抜けた先に  いるいる

2013年3月21日木曜日

レストランM 公演無事終りました


かのん のレストランM公演無事終りました。(320)

今日の公演まで仲間と準備してきた間の事、そして終わった後のこの気持ち、これがたまらないんですよね。

 

今日の会場となったレストランM。規模としては小さい方のお店と言っていいと思います。

でもシェフが (自分が手間をかけることによってコストを下げて)お客様には本物を食べてもらいたいという考えでやっている、おいしい本格的なお店です。

 

そんなお店ですから、かのん の打ち上げで何度も行っていました。

その際の私たちの話、やり取りが耳に入っていたんでしょうね。他所でそんなにやっているならば、いつかここでもというありがたいお誘いを何度かもらったのちに、この度の公演が決まったというわけです。

 

会場となったMはレストランなのでまずご馳走を食べた後、大急ぎで会場を作り直しての公演。

もともと出し物をするような作りになっていない上に広さもそれほどなので、お客様の膝前という近さで演じました。

 観客は入学前のかわいい子どもとその親(祖父母)

 (いつもの繰り返しですが)個人的にはもっと違うスタイルもとも思うけれど、観に来てくれた人たちはみんな喜んでくれました。ありがたいことです。

 

片づけを終わって辞する時には次の公演日程も依頼されました。

感謝

 

追伸 公演日は、最初に話をもらった時はそんなことに気付かなかったんですけど「アートサイト岩室2013」の期間中でした。

縁あって継続していって全体のプログラムにも載るくらいなMの催しになったら楽しいな。

2013年3月19日火曜日

“スキヤキ”の先見の明 期待してますよ!


FMで音楽番組を聞いていました。

私の知らないミュージシャンや楽曲が数多く取り上げられる、結構聴いている番組です。

この日も、取り寄せてしまうほどの曲が流れました。

 

そんな番組の、今日書きたいのはペルネットさんのこと。

そう、昨年のスキヤキミーツザワールドに参加していたミュージシャン。

そのペルネットさんの曲を流した後「今年注目、期待されるミュージシャン」と紹介していたのです。

「えーッ わたし去年聴いたよ!」

思い起こしてみたら、日本でブレイクする以前にスキヤキで紹介されたミュージシャンが何人()もいます。

地元でのその位置づけに“チグハグ”なものを少し感じながらもこれからも大事にしたい“スキヤキ”。その先見の明大したものじゃないの、と改めて感じた次第です。

 

まだ今年の出演メンバーの発表はないけれど、ウエッブサイトではイメージイラストの発表があったし、楽しみにしてますよ!

人生(に)恋をしよう


映画としてはその前に観た「ルビー・スパークス」の方が書きたいことがいっぱい頭にあるんだけどここではクロード・ガニオン監督の「カラカラ」を観ていて人生 生き方で感じたことがあったのでそのことを。

 

映画について少し。

描き方 テンポについては、長編デビュー作の「keiko」の時にも感じたことを再度感じました。クロード・ガニオン監督には こう見えているんだろうなぁ 聞こえているんだろうなぁ、こう思っているんだろうなぁと。

全否定はしませんけど少し違和感を感じます。

 

でも、視点は私小説的なものからずいぶん変わったのかなぁ。

舞台が沖縄と言うこともあって、戦闘機の爆音の事、沖縄の多くを占める軍事基地の事、沖縄の人以外がいかにその認識がないかと言うことが(ちゃんと)映し出されていました。

それをうまく取り入れていたと思います。

始まりでは「どうしようもないのよ」と言わせていたヒロインに終わりには「あなたならこの現実を多くの人に知らせることができるからぜひ一度見に来てくれとマイケル・ムーアにEメールしたのよ」と言わせているところは、主人公の人生に向く姿勢が変わったということをわからせる作りになっていました。

基地の問題をこういう切り口で取り上げる手もあるんだなあと思いました。

 

さて今日の本題。

この映画の主人公は年を取ると白色人種は老けて見えるのかなぁ とさえ思ったほどの男性。設定では60少しなんだけど。

ベジタリアンだとはいうけれど気づかなければ肉だって食べてしまう。ケンカは小学生以来したことがない。争いは逃げるようにして避けてきた。ばからしい (楽しい?)ことはしないで来た。

子どもにも妻にも愛想を尽かされた、そんな職場をリタイアしてから何年か過ぎた主人公。

その主人公が旅先で、夫婦のもめごと それに関しての出来事の中で ○○を“取り戻して”いく 。

映画のカットとしてそこまで必要だったかなぁというところはあったけれど、男としての活力、そして人間としての尊厳を取り戻して行くところは、それが“旅” での出会いと言うものだったんでしょうねぇ。

終わりには活力と言うか、生命力を取り戻して最初より元気“若々しく”見えましたよ。

 

どの人も年は重ねていくけれど、それで 「年寄りになるか」 「大人になるか」 はその人次第。と言うことを改めて考えました。

 

私はどんな大人になっているだろうか?